第一三六回 ③
ショルコウ金杭星を翼けて北原の利を図り
ヒィ・チノ白夜叉を派して四方の情を探る
道中格別のこともなく東原に帰ると、まっすぐにオルドを訪ねる。
「ハーン、戻りましたよ」
「おう、白夜叉。北伯たちはどうであった」
「それはもう妬けるくらい仲睦まじく暮らしておいででした。司命娘子は森の民とも打ち解けているようで、あれなら心配は要りません」
ヒィはおおいに喜んで、
「やはり俺の目に狂いはなかった。あれならきっとうまくやると思っていたのだ。ほかに司命娘子は何か言ってなかったか」
ミヒチはちょっとだけ悪戯心を起こして、
「ハーン個人には何も言ってなかったし、書簡の類も預かっておりませんねえ」
ヒィはきょとんとして、
「それはどういう意味だ?」
「いえ、何でもありません。でもひとつ献策を預かっています」
内心舌を出しつつ、渡し場と交易のための街を造る案を伝えれば、ヒィはみるみる目を輝かせて、
「おお、さすがは司命娘子だ! すぐに取りかかろう。鉄面牌を呼べ。あれは神都の商人だったから、渡し場のことにも明るかろう」
また言うには、
「白夜叉、お前のところの族長をこの件の代官とする。今すぐ行ってワドチャをここに連れてくるのだ」
「えっ、今からですか?」
「そうだ」
ミヒチはおおいに不服だったが、ハーンの勅命には逆らえない。頬を膨らませて、傍らのゾンゲルの背をわけもなく、ぱんと叩く。
跳び上がらんばかりに驚いて、
「うへぇ! ありがとうございます」
「何でありがとうなのさ!」
「はい、姐さん。いってらっしゃい、お気をつけて」
呆れ顔で退出する。再び馬上の人となってオラザ氏のアイルを指す。
部族でも屈指の富を誇るオラザの族長は長らくハイチョウが務めていたが、先年これを長子のワドチャに譲った。
ワドチャはもとより経綸の才があり、また家畜の病に詳しかったこともあって、その財産をますます増やした。その手腕をおおいに称えられて、今では「長者」の渾名を奉られている。
駅站を辿って数日。アイルに帰ったミヒチは、機嫌を損ねたままワドチャのゲルを訪ねる。
「帰りましたよ」
「おお、白夜叉。ご苦労だったな。ハーンや司命娘子の様子はどうだった」
ワドチャが呑気に尋ねれば、
「司命娘子は息災でしたよ。ハーンについてはご自身で確かめてくださいな」
無愛想な答えに目を円くして、
「何だって? どうしたんだ、いったい」
「ハーンがお呼びです。早くオルドへ」
それを聞いておおいにあわてる。宿将を呼んで後事を託したり、従臣たちにあれこれ準備させたりしているうちに、ミヒチはいつの間にか退出していた。それに気づいたワドチャは、
「白夜叉め。何故ハーンがお召しか、言わずに帰りよった」
側使いを呼びに行かせたが言を左右にして応じないので、業を煮やして自らそのゲルに足を運ぶ。戸張の前で叫んで、
「おい、白夜叉! お前は大事なことを言い忘れているぞ!」
返事はない。
「ハーンが何で私を呼んだか、聞いているだろう!」
再び叫べば俄かに戸張が開いて、
「うるさいねえ。そんなの行ってから聞けばいいじゃないか」
「お前ねえ、ハーンのご気性では、何も知らずにただ来ましたってわけにはいかんだろう」
「私はもう疲れたから休むんですよ」
「そんなこと言って私を困らせるな。さあ、オルドへ参るぞ」
「今、帰ってきたばかりですが」
眉を顰めて言えば、
「ハーンはお前に何と命じた」
「今すぐ族長をここに連れてこい、と」
「ならばお前もともに行って復命せねばなるまいよ」
「…………」
まったくワドチャの言うとおりである。ミヒチはしぶしぶゲルを出て、あとに随った。二人は軽騎を率いてオルドへ駆ける。道々、渡し場と街の建設について説明すれば、ワドチャはおおいに感心して、
「さすがは司命娘子。まさに部族の宝と言うべきだ。お前も不平ばかり言ってないで少しは……」
「族長、それ以上言ったら私は今すぐアイルに帰りますよ」
「…………」
ミヒチはやると言ったら必ずやってしまう質である。もちろんワドチャはよく承知しているので口を噤まざるをえない。
ところは再びオルド。無事に拝謁する。ヒィは顔を見るなり、
「おお、早かったな。話は聞いているだろう。鉄面牌とともに北原へ行って、司命娘子と諮ってまいれ。詳細については委せる。秋までに完成させよ」
「承知」
答えながらワドチャは、事前に内容を聞いておいてよかったと胸を撫で下ろす。ここで何のことかなどと尋ねるようでは、無能と思われかねない。
それからヘカトも招いて酒食をともにする。話題は早くも中原との通交へと及ぶ。ヒィは首を傾げながら、
「俺は今すぐにでも義君インジャに会ってみたいが、その前に盟友たる獅子ギィ、超世傑ムジカと話がしてみたい。二人は一昨年、ジョルチの南征を機にインジャに投じた。ジョルチが敗れたにもかかわらずだ。どういう経緯でそうなったのか、いかなる心境がそうさせたのか知りたい」