第一三六回 ②
ショルコウ金杭星を翼けて北原の利を図り
ヒィ・チノ白夜叉を派して四方の情を探る
ケルンもやはり喜んで酒食の用意を命じると、二人を盛大にもてなす。しばらくは歓談に興じていたが、ふとショルコウが表情を改めてそっとミヒチに言うには、
「ズイエは騎馬のままで渡ったきたんでしょ?」
「ええ。もう少しすると水が増えて、舟が要るようになるねえ」
「ひとつハーンに献策があるのだけど、伝えてもらっていいかな」
「いいも何もこれで一応ハーンに命じられて来てるからね。伝えるくらいならお易い御用だ」
そこでショルコウが何と言ったかと云えば、ズイエ河に新たに渡し場を造って、北原に小さな街を開くべきとのこと。ミヒチは驚いて、
「北原に街を? いったい何のために」
すると答えて言うには、
「ハーンは交易は自由にせよとおっしゃったけど、いざ森の民がそれをしようと思っても、どこに何を持っていけばよいやら雲を攫むような話でしょ。だから交易するための街があれば喜ばれるんじゃないかと思ってね」
「ああ、なるほど! いいかもね。街で市が開かれるなら、草原の民にとっても森の民と交易しやすくなる」
「そう! 実はすでに便の良い地も幾つか考えてあるんだ」
「さすがは司命娘子! きっとハーンもお喜びになるよ」
その地については改めて見て回ることにして、なおもショルコウが言うには、
「北原に街を造る利点が実はもうひとつあるわ。これまでナルモントは北原を軽んじてきたけど……」
おもむろに西の方角を指して言うには、
「いい? シェンガイ山脈を北に見ながら西行すると、ズイエ河の上流に突き当たる。それを渡れば何とそこは中原よ。河を二度渡るというだけで何となく避けてきたけど、道程は神都を経由するのとそれほど違わない」
「えっ、そうなの?」
「間違いない。今の神都があの有様では、中原との円滑な通交はしばらく望めない。ズイエにひとつ渡し場を造るだけなら、神都を攻略するよりよほど容易いでしょう」
そう言って嫣然と笑う。ミヒチはいよいよ感心して、
「ハーンはすぐにでも貴女の言うとおりにするだろうよ。以前からジョルチのハーンに会いたがっていたからね。それにしてもそんな道があったんだねえ」
「私も北原に来るまで気づかなかったわ」
するとそのころにはすっかりゾンゲルと意気投合、肩を組んで笑語していたケルンが赤い顔で割り込んできて、
「おい、美しい女性二人で何を密談している! お前らも飲め。酒は飲むためにあるんだぞ」
途端にショルコウは相好を崩して、
「あらあら、今日はえらく早く酔ってしまったのではないですか。飲みすぎですよ。もう少しゆっくり飲まなければ」
「いや、俺がもっと飲めるのを知ってるだろう。ああ、この病大牛が悪いんだ。此奴が痛快すぎてつい酒が進む」
ゾンゲルは吃驚して、
「わしのせいですかい! いやですよぅ、旦那が自分でどんどん注ぐのがいけないんですよぅ」
すかさずミヒチが頭を叩いて、
「北伯を捉まえて旦那なんて呼ぶ奴がどこにある! 呆れた奴だねえ」
「はい、姐さん」
首を縮めて謝す。ケルンは大笑いで、
「恕してやってくれ。よし、病大牛だけは俺のことを『旦那』と呼んでもよいことにしよう」
「ひゃあ、それだけはお恕しを。ハーンに叱られます」
「つくづくおもしろい奴だ」
ケルンは満悦の体。四人は二、三刻も飲んでから漸く散会した。
夜、ミヒチは寝台に横たわっておもえらく、
「司命娘子が思ったよりずっと息災でよかった。金杭星ともずいぶん仲良くやってるようだし。北原に嫁して、かえって活々しているくらいだわ」
またつらつら思うに、
「てっきり司命娘子はハーンと結ばれると思っていたのだけれども、人の運命というのは判らないものだね。幾度そのことを尋ねてみようと思ったかしれないけど、言わないでよかった」
心の中で付け足して、
「私はあの病大牛とは違うからね。言わなくてよいことは決して言わないのさ」
そんなことを思っているうちにいつの間にか眠ってしまったが、くどくどしい話は抜きにする。
それから数日に亘ってミヒチは森に滞在した。その間にショルコウが街を造るべきとして挙げた土地などを検分した。いよいよ帰ることにして言うには、
「ほかにハーンに伝えるべきことはないかい?」
すると即座に答えて、
「ええ、特に。ミヒチが見たままを話してくれたらいいわ」
ミヒチは僅かの間、無言でショルコウが涼しい顔をしているのを眺めていたが、
「わかった。じゃあ、そのうちまた来るよ。それまで息災で」
ゾンゲルに向かって言うには、
「ほら、お前も挨拶するんだよ。河が増水する前に帰らないとね」
「はい、姐さん。じゃ、ショルコウ姐さんもケルン様も息災で」
丁寧に揖拝して別れを告げる。満足して振り返れば、とうにミヒチは遠ざかりつつある。
「ややや! おおい、姐さん。待っておくれよぅ」
あわてて追いかける。ミヒチが何か甲高い声で罵り返したようだが、何と言ったかはすでに聞き取れない。北伯夫妻は顔を見合わせて大笑いしたが、この話はここまでとする。