第一三六回 ①
ショルコウ金杭星を翼けて北原の利を図り
ヒィ・チノ白夜叉を派して四方の情を探る
さてセペート部を滅ぼした神箭将ヒィ・チノは、金杭星ケルンを捜しだして、これを帰順せしめた。さらには信頼ある司命娘子ショルコウを嫁としてこれに与えた。
その祝宴の席上、ヒィが放った言葉に居並ぶ諸将は等しく驚愕した。何と言ったかと云えば、
「金杭星ケルンを『北伯』に任命して北原を統べさせよう。ショルコウは正妻としてこれを輔翼し、北方をして憂いなからしめよ」
ヒィは当初、ショルコウの実家であるアケンカム氏の兵を北原に残して抑えとするつもりだったが、ショルコウが諫めて言うには、
「北原は森の民に委ねるべきです。ハーンの兵を置くべきではありません。それでは誓いを破られたと思うものもあるでしょう」
「なるほど。だが、それではお前独りを異郷に残すことになる」
「ご配慮ありがとうございます。しかし私独りのほうがかえって安全です。ハーンは鎮氷河とは異なることを示して、彼らを安堵させなければなりません」
その雄心と洞察に感心したヒィ・チノは、すべて彼女の望むとおりにさせることにした。
もちろんショルコウは、エバ・ハーンの娘アラクチュと同じ轍を踏むわけにはいかないので、いざ森に入る前には細心の注意を払った。いかにヒィ・チノが森を侵さぬと誓おうと、これを疑うものは必ずいるはずだからである。
まずショルコウは袍衣を改めた。皮裘や羽飾りなど、森の民の習俗に完全に遵ったのである。森の女を招いて、化粧も抜かりなく整えた。すっかり装いを新たにしてケルンにこれを見せると、瞠目して言うには、
「おお、見違えたぞ。もとより美しかったが、お前には森の装いが殊の外似合う。ああ、何てすばらしい!」
「帰ったら再び各旗の首長を招いて、森の民の婚礼を行いましょう」
「それはよい! お前の姿を見たら、みなきっと喜ぶぞ」
ケルンはおおいに燥ぐ。かくして二人は轡を並べて森に帰った。
そこでショルコウは、まず長老たちを訪ねて丁重に挨拶して回った。また巫者を呼んで信仰や禁忌についても熱心に学ぶ。まさに古言に謂う、「水を飲んだら掟に遵え」といったところ。
こうした態度は瞬く間に知れわたって、森の民たちは先のアラクチュと比べてその謙虚をおおいに称えた。
一方でケルンを翼けて、その勢威を増すためにあれこれと智恵を授けることもあった。
そもそもケルンは王の一人であったが、かつてセペート部と通婚したことを快く思わないものも数多あった。今、ヒィ・チノとの友誼を得て、表向きは再び強盛に転じようとしていたが、ショルコウが言うには、
「力だけを誇ってはいけません。各旗の首長を心服させてこそ、北伯としての責務をまっとうできると心得るべきです。そして何より、それこそ森の平和のためでもあります」
ケルンはショルコウの言うことならば何でも素直に受け容れた。あまりに従順なのでかえってショルコウが心配して、
「カンは私を疑うことはないのですか。謀略を肚に秘めて、あなたたちを陥れようとしているかもしれませんよ」
「俺はお前がそうではないことをよく解っている。いや、たとえそうだとしても俺はかまわないよ」
ショルコウは呆れつつも喜んで、いよいよケルンと森の民のために尽くした。
春になった。ヒィ・チノは北原に嫁いだショルコウのことが気になったので、ある日、白夜叉ミヒチを召して言った。
「北伯を訪ねて、お前の朋友が息災かどうか確かめてきてくれ」
「はい、いいですよ。では病大牛を借りますね」
ミヒチは以前から、ヒィの側に仕える病大牛ゾンゲルをまるで舎弟のごとく扱って、あれをしろこれをしろと命じては揶揄っていたが、なぜかゾンゲルも喜んで、「はい、姐さん。はい、姐さん」と附き随っていた。
ヒィもそれをよく知っていたので、ふふんと笑うと、
「またこいつを扱き使うつもりだな」
「私はこの阿呆が人の役に立つよう、導いてやってるんです」
そう嘯けば、呆れて、
「まったくしかたのない奴だ。よし、ともに行け」
ミヒチは旅装を整えると、ゾンゲルと数人の従者を連れて発った。
「もたもたするんじゃないよ! 日が暮れちまう!」
戯れに罵れば、大きな背を丸めて、
「はい、姐さん」
にやにやしながら答える。そうこうしながら幾日か旅をして、まだ水量の少ないズイエ河をそのまま騎馬で押し渡る。道中格別のこともなくケルン・カンのオルドへ至った。
二人を見てショルコウはおおいに喜んだ。ミヒチはその装束を見て密かに驚いたが、何も言わずにやはり再会を祝す。ところがゾンゲルは口をあんぐり開けて、
「ははあ、何とも妙な感じですなあ。でもショルコウ姐さんは何を着てもやっぱり美人……、痛っ!!」
最後まで言わせることなく、ミヒチがその頭を叩いた。
「そういうところだよ。まったくお前ときたら」
ショルコウは笑いながら、
「まあまあ、そのくらいにしときなよ。もうすっかり森の暮らしにも慣れて、この化粧だって自分でやったのよ」
「相変わらず何でもすぐできるね。さすがだわ」
感心しているところにケルンが帰ってくる。