第一 四回 ② <トシロル・ベク登場>
ヒスワ密かに感状を竄めて主人を陥れ
ゴロ敢えて大河に投じて神都を逃れる
ヒスワはすぐにミスクにその書簡を見せた。ミスクは、神都では知らぬものなき評判の美人、妖艶たる色香を一身に纏い、出逢う男をことごとく狂わさずにはいられぬ魔性の主。だがゴロの前では貞淑な妻を演じている。
「おや、これは先に牢破りをしたハツチからの書簡じゃないか」
「そのとおりだ。ゴロ様はあの髭と仲が好かったからな」
そう言いながらヒスワはさりげなく傍に座り、その腰に手を回す。ミスクは抵抗する素振りもなくそれに順う。実は彼女はとうの昔にすっかりヒスワの手管に屈していた。
「これをうまく使えば、俺たちは堂々と一緒になれるかもしれないぜ」
「どういうこと?」
媚態を込めて情夫を見返す。
「ゴロ様が、草原の賊と通じていたことにするのさ」
「だってあんた、これには旧恩への感謝のほか何も書いてないわ。これだけじゃ証拠にならないでしょう」
「ははは、容易なことだ。書簡を偽造するのさ。筆跡を似せて叛乱の計画に一枚噛んでいるように見せるんだ」
さすがのミスクもそれを聞いて青ざめた。
ヒスワは語気に力を込めて、
「ゴロ様が賊軍を城内に導き入れる任を負っていることにするんだ。役所の連中はハツチの筆跡を知っているから、まず疑わないだろうよ。そうすればあとは役所がやってくれる。謀叛は大罪だからきっとゴロ様は死刑になるだろう」
ヒスワはミスクの耳許に唇を寄せて囁く。
「ほとぼりが冷めたら一緒になろう。この神都一の富が俺たちのものになるんだ。俺はゴロ様と違って気前がいいから、君にも贅沢させてあげるよ」
こうして二人は、ゴロを陥れる恐ろしい謀略を練りはじめた。
そんなこととは露知らず、三月が経つとゴロは隊商を連ねて帰ってきた。いざ河を渡ろうとすると、それを引き止めるものがある。
誰かと見れば、家で使っている小童と、役人のトシロル・ベクであった。先に草原で賊に襲われたところをドクトに救われた男である。いかなる人となりかと云えば、
身の丈は七尺、髪は羊毛のごとく、面は水袋のごとく、眼は澄み、唇は厚く、胴体は肥え、四肢は太く、経綸の才を胸奥に秘めたる好漢。
「何だ、なぜ河を渡ってはいかんのだ」
ゴロが不審に思って尋ねると、小童が三月前のできごとを詳しく説明した。それを受けてトシロルが、役所に訴えられた経緯を述べる。
あのあと、ヒスワはすぐに役所にハツチの書簡(無論、ヒスワとミスクが偽造したもの)を持って現れ、ゴロを謀叛の容疑で訴えたのである。
神都で高名なゴロ・セチェンのことだからと書簡を細かく検べたが、ハツチの筆跡に間違いなかったので、やむをえず逮捕の命令を出したのであった。その裏ではヒスワが多額の賄賂を使った形跡がある。
トシロルは、きっと何かの間違いであろうと手を尽くしたが、地位の低い彼ではいかんともしがたく、今日に至ったのであった。
「戻ればすぐに捕まるぞ。もう僕には、逃げろと言う以外何もできない。いつか冤罪が晴れるまで身を隠したほうがいい。幸い君は西方の街に知己が多い。帰ってきたばかりで何だが、引き返せ」
ところがゴロはからからと笑うと、
「何の戯言だ。私を誰だと思っている。この私を逮捕だと? たいしておもしろくもない」
「戯言ではない! まことに捕まるのだぞ」
「ゴロ様、信じてください!」
二人は交互に説得したが、聞く耳を持たない。そして言うには、
「いいか、だいたいミスクが私を裏切ることがあろうか。あれは貞淑な妻だ。同じようにヒスワも忠実な男だ。私の信頼に応えて、これまで過ちを犯したこともない。二人が共謀して私を訴えたなどと卒かに信じられるものか。戯言もほどほどにしないと見苦しいぞ」
トシロルはもはや説得を諦める。
小童がなおも喰い下がって、
「ヒスワ様はとても忠実などとは言えません。ゴロ様を恐れて本性を隠していただけです。憚って言えませんでしたが、これまでもゴロ様が留守のたびに奥方様を口説いておりました。それで奥方様もすっかり気持ちが変わってしまったのです」
ゴロはそれを聞くや烈火のごとく怒った。いきなり小童を殴りつけると鬼神のような形相で睨みつけて言うには、
「お前のような小者がどういうつもりだ! 忠義面してあることないこと抜かしおって。讒言の類を私が憎むことを知らないのか。ヒスワを貶めるだけならまだしも、ミスクまで淫婦のごとく罵るとは見下げた奴だ。二度と顔も見たくない、今日かぎりで罷免だ!」
小童は泣いて主人の裾に縋りつく。ゴロはそれを力のかぎり蹴りつけると、さっさと部下に舟の手配を命じる。トシロルは首を振って小童を助け起こすと、別の舟を見つけるためその場を離れた。