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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
538/783

第一三五回 ②

ツジャン蕃民を駆りて(たちま)ち勝機を(もたら)

ショルコウ聖旨を奉じて(すなわ)ち異郷に()

 中軍(ゴル)ではエバ・ハーンが狂ったように(わめ)き散らしていた。


「討て、討て! かの小僧(ニルカ)どもを一人残らず(ほふ)るのだ!」


 実地に指揮を()るのはズベダイの役だったので、一斉に前進を命じる。足並みの揃わない蕃民八旗を(うなが)す心算である。先行するケルンはほかの七旗を待つ気もなく、ただただ突進する。やがて双方より驟雨(クラ)のごとき矢の応酬が始まる。


 ヒィ・チノは前方を睨んで、


「今や我が軍は騎虎の勢いを得た。ケルンさえ破れば、必ず勝てる」


 次々に指令を下せば瞬時(トゥルバス)に形となり、五万の騎兵がさながら左右の手足のごとく自在(ダルカラン)に動く。いよいよ先鋒(アルギンチ)同士が激突した。突出するケルンの三千騎は、押し寄せるナルモント軍にあっと言う間に呑み込まれたかに見えた。


 が、(にわ)かにナルモントの戦列(ヂェルゲ)が乱れた。(ニドゥ)を凝らして視れば、中心(オルゴル)に得物を縦横に振るうケルンの姿(カラア)があった。その(カタン)の棍棒の赴くところ、次々と(ヤス)を砕き、頭蓋(テリウ)を割る。


 モゲトはこれを包囲(ボソヂュ)して討たんとするも思うに任せない。ヒィは歓声を挙げて、


「ははあ、さすがは金杭星(アルタン・ガダス)! 勇者(バアトル)だな」


 だがあわてる風もない。それもそのはず、戦局全体を見ればナルモントの各隊は展開してじりじりと敵陣を圧していた。


神行公(グユクチ)


はい(ヂェー)


「小金剛に伝令。金杭星は必ず生け捕れ」


承知(ヂェー)


 キセイはすぐに駆けだす。ショルコウが目を(みは)って、


「ケルンはエバの女婿(グレゲン)。何故に……」


「あれほどの勇者、死なせるには惜しい」


「しかし……」


「懸念には及ばぬ。俺には考えがあるのだ」


 はっとして(うつむ)くと、


「出過ぎたことを申しました。ハーンの御意(オロ)のままに」


 ヒィ・チノは再び戦況に目を転じる。相変わらずケルンは暴れているようだったが、劣勢は覆いがたく徐々に後退を余儀なくされている。


「ふむ、あとひと押しだな。アケンカム軍を投入」


 指令が飛び、ゴオルチュ率いる一隊が喊声とともに疾駆(ツォギオ)していく。


 整然と前進するナルモントの攻勢に対して、蕃民八旗は早くも分断されつつあった。セペート軍の本隊も有効な手が打てず、前線の混乱が波及して統制を失いかけていた。大軍ゆえに一度乱れはじめると容易なことでは制御できない。


 これをもってこれを()ても、ヒィが戦前に看破したように初めからセペート軍は統制に不安を抱えていたのである。とはいえ、そう易々とは崩れない。いつしか戦線は膠着する。


「そろそろかな。神行公よ、鳳毛麟角に伝令」


はい(ヂェー)


「策の成果を見せよ、と」


承知ヂェー


 そのころ、エバは業を煮やしてズベダイに言うには、


「蕃民どもめ、何をもたもたしておるのだ」


 たしかに見たところ戦意が旺盛であるとは言いがたい。先手を奪われたとはいえ、その戦いぶりはとても剽悍な北の異族(ホイン・カリ)とは思えない。奮戦しているのは独りケルン・カーンのみで、ほかの七旗はむしろ戦闘(カドクルドゥアン)を避けているようですらある。


「少々、脅かしてやる必要がありますな」


 ズベダイは弓兵に命じて、蕃民に向けて鏑矢(かぶらや)を放たしめんとした。と、敵の一隊が動くのに気づいた。


「あれはサトラン氏の(トグ)……」


 警戒して観ていると、混戦に加わろうとはせず中途にて留まる。何をするかと思えば、弓兵がぞろぞろ出てきて矢をつがえたが、矢の届く間合いにはない。


 (いぶか)しむ間もなく矢は放たれる。それはひゅるひゅると唸りを挙げてテンゲリに舞う。鏑矢であった。


 ズベダイは今しも自らが鏑矢を放たせようとしていたところだったので、唖然としてその意図を量りかねる。


 すると、驚くべきことが起こった。蕃民どもが(とき)の声を挙げるや、一斉に反転してセペート軍を襲いはじめたのである。おおいに狼狽(うろた)えて俄かに混乱に(おちい)る。


「な、何ごとだ!」


 エバは目を円くしてズベダイを責める。しかしズベダイも何が起きたか判らない。浮き立った将兵がどっと退いて、戦列は千々に乱れる。右往左往しているところにナルモントの(トイ)から銅鑼が鳴りわたり、攻勢はさらに強まる。


 ヒィ・チノは馬上に小躍りして喜んで言うには、


「鳳毛麟角の離間(カガチャクイ)の計が()たったぞ! さあ、一挙に押しきれ!」


 再び勢いを得て総攻撃に転じる。今や鎮氷河の誇った蕃民八旗がナルモントの先駆け(ウトゥラヂュ)となって、(たの)むべき兵力差も(くつがえ)る。


 セペート軍はこれを支える術もなく、呆気なく瓦解する。間断なく金鼓が打ち鳴らされ、一個は勇を得て、一個は怯に堕す。一個は喊声を轟かせ、一個は悲鳴を挙げる。


 七万騎の威容は過去(エルテ・ウドゥル)のものとなり、あたかも狩りの獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)のごとく追い立てられる。ズベダイは戦線を立て直すことの不可を悟って、


「ハーン、離脱(アンギダ)して再起を図りましょう!」


 エバは(ヌル)紫色(カラムバイ)に染めて歯噛みすると、


「うぬぬ、彼奴らめ。所詮は蛮族か!」


 とて馬首を(めぐ)らす。


 ナルモント軍は潰走するセペート軍を散々に蹴散らして、手を緩めることなく追撃に追撃を重ねた。三日後に戦果を(まと)めたところ、セペートの死者は一万数千、捕虜となったものはそれに倍した。


 これは両部族(ヤスタン)の抗争において空前の大勝であった。ただ惜しむらくは、エバとズベダイは討ち漏らしてしまった。またケルンも重囲を突き破って遁走(オロア)した。


 それでもヒィはおおいに気を好くして、帰ってきた諸将を(ねぎら)った。殊に寝返った蕃民七旗に対しては、自ら下馬してこれを迎えるほどだった。異族の首長(アカ)たちは感激してずらりと平伏する。これに言うには、


「お前らはそもそも森の民(オイン・イルゲン)。まず草原(ケエル)の争いに巻き込んだことを詫びよう」


 彼らは恐懼して、口々にヒィの徳を(たた)える。それを制して、


「俺は鎮氷河のように(ヂュブル)を侵す気もなければ、その人衆(イルゲン)を草原で戦わせる気もない。だからお前らがセペートの(くびき)から脱するための助力(トゥサ)は惜しまぬが、以後はそれぞれの領分を守って互いに干渉せぬことにしたい。どうか?」


 これにはみな大喜びで、拝謝して再びヒィを称える。


「ならば我らは決して森を侵すまい。もしお前らが交易を望むのであれば、自由(ダルカラン)に行え」


 ふっと笑うと、


「我々草原(ミノウル)の民は、誓いを立てるときはテンゲリにこれを行う。お前らにはお前らの流儀があろう」


 一人の首長が顔を上げて、


「我々は何ごとも森に誓います。森は我らの守護神(ネンドゥ・クトゥグ)にして(ボグド)なるものゆえ」


「そうか。ならばそれぞれの信ずるものの名において、友好(ナイラムダル)を誓い合おうではないか」

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