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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
537/783

第一三五回 ①

ツジャン蕃民を駆りて(たちま)ち勝機を(もたら)

ショルコウ聖旨を奉じて(すなわ)ち異郷に()

 さてジョルチ、ウリャンハタが北伐に従事しているころ、東原でも神箭将(メルゲン)ヒィ・チノが、宿年の課題を果たすべく北征の途に就いていた。


 ズイエ(ムレン)の北方に盤踞するセペート部こそは、父祖の代からの仇敵(オソル)であった。ヒィの(エチゲ)、翻天竜ダコン・ハーンもセペートとの(ソオル)で受けた傷が(もと)で死んでいる。ヒィは周到に準備を整えて、ついに五万騎の精鋭をして渡河せしめた。


 対する鎮氷河エバ・ハーンも、併せて七万の大軍を動員する。「草原(ミノウル)一の強兵(ヂオルキメス)」と誇る「蕃民八旗」が先鋒(アルギンチ)である。蕃民八旗とは、従えた北方の異族(ホイン・カリ)を八隊に編成したもので、主将は金杭星(アルタン・ガダス)ケルン・カーンである。


 エバは常々、ヒィ・チノの武威に恐れ(おのの)く将兵に不快を隠さなかった。しかし内心では彼自身最もこれを恐れていたので、ナルモント軍渡河の報に接してたちまち震え上がった。


 そこでそれを糊塗するべく殊更(ことさら)に機嫌が悪かった。ところが敵兵の数が予想(ヂョン)より少ないことを知るや、俄かに気を強くして、


「飛虎将め、この数年何をやっていたんだか。さては(おご)ったな。我が軍は七万、負ける気遣いはない」


 自信満々にこれを待ち受ける。しかし当のヒィに言わせれば、「戦は数ではない。数を(たの)むなど阿呆(アルビン)のすることだ」ということになる。


 ともかくナルモント軍は小金剛モゲトを先頭に快進撃を続ける。神行公(グユクチ)キセイの諜報網は、ほどなくセペート軍の(トイ)(とら)えた。闘志を燃やして一直線にそれを指す。幕僚として中軍(ゴル)にあった司命娘子ショルコウが危惧して言うには、


(ブルガ)は大軍、あまり性急に過ぎるのはいかがなものかと……」


 呵々と笑い飛ばして、


「一理ある。だが(ネグ)を知って(ホイル)を知らぬ。なら訊くが、敵は我が軍に勝る大兵を擁しながら、何故奥地に逼塞(ひっそく)しているのだ? おそらく出撃するほどの自信がないか、統制に不安があるか、あるいはその両方か。いずれにしても敵の勝るは数ばかり。ならば一気呵成にこれを撃つのに躊躇(ためら)うことはない」


 出陣してからのヒィは終始上機嫌である。夜、ツジャンが天幕(チャチル)を訪れた。ヒィは満面の笑みでこれを迎えて、


「おお、鳳毛麟角!」


「その呼称はお改めください」


「ははは、ならぬと言っただろう。それで首尾は?」


 応じて辺りを(はばか)るように見回すと、(ヌル)を近づけて何ごとか(ささや)く。それを聞いて、


「そうか! おもしろい(ソニルホルトイ)、おもしろいな。ほら、この手の策略は君も知っているチルゲイが得手とするところだが、さすがは鳳毛麟角。そのまま進めるがよい」


承知(ヂェー)


 とて退出するが、まだ計略の詳細は伏せておく。


 セペート軍は一次の会戦にて勝敗を決せんと、総兵力を集中して敵軍の襲来に備えた。すなわちウブ・トナグ平原(※剥ぎたる肌の意)である。かつて森の民(オイン・イルゲン)が、領域を侵した草原(ケエル)の民の皮を()いで殺した(ガヂャル)であることから、かかる不吉(ベリクウダイ)な名が付けられた。エバ・ハーンは、


「かの飛虎将の肌を剥いでやらん」


 そう言って酷薄な笑みを浮かべたが、ヒィ・チノはウブ・トナグの由来を知るや、呵々と笑って、


「鎮氷河め、己の(クヂゥウド)を絞めたな。勝利は疑いないぞ」


 ショルコウが首を(かし)げてわけを問えば、


「ウブ・トナグはかつて森の民の刑場だったとか。(かんが)みるに、北方の(ヂュブル)を侵しているのは我らではない、鎮氷河ではないか。さても愚かな、自ら肌を剥がれるために赴くとは。神道子あたりが聞いたら何と言うかな」


 かくして両軍はついに相見(あいまみ)える。ときはすでに(オブル)、寒風吹きすさぶ中、旌旗(トグ)ははためき、干戈は陽光を浴びてきらめく。平原(タル・ノタグ)を総計十二万の兵馬が埋め尽くして、一種異様な空気を(かも)しだす。(アミ)を詰めて睨み合い、徐々に緊迫する。


 ナルモント軍は(せき)として(ダウン)もなく、じっと開戦のときを待つ。対するセペート軍は()れたものか、次第にざわめきはじめる。それに(うなが)されたかのように金鼓が打ち鳴らされる。応じてどっと喊声が巻き起こった。


 それでもナルモント軍は動かない。またもやセペートの陣中から金鼓、そして喊声が轟く。前軍(アルギンチ)のモゲトは、何か指示があるかと後方を顧みたが何もない。ナルモント軍においては将兵の妄動は許されない。


 中軍では病大牛ゾンゲルが不服そうに尋ねて、


敵人(ダイスンクン)は盛んに士気を鼓舞しております。なぜ息を潜めているのです?」


 ヒィはふふんと笑って、


「お前は強弓を射んとしたらどうする? 必ず引き絞って(クチ)を蓄えるだろう」


 突然そう言われて何と答えたものか惑う。からからと笑って、


「今もそれと同じよ。敵は士気を高めているのではない。それを浪費しているに過ぎぬ。円石(グル)を千(じん)に転じるがごとく兵を投入せんと欲すれば、鼓するのは一度でよい。幾度も鼓しながら動かないのは、本心(カダガトゥ)では恐れているからだ。我がじっと黙っているのは、強弓を放つがごとき勢を得るためだ」


「はあ……」


 ゾンゲルには今ひとつ伝わっていない様子。かまわず続けて、


「そもそも士気とは、一鼓にして満ち、二鼓にして衰え、三鼓にしてついに()きるものだ。敵はすでに二鼓、すなわち衰勢にある。次の一鼓に応じて兵を合わせれば、我は満ち、彼は竭きる。勝てない道理(ヨス)があろうか」


 そう言ううちにも敵陣からどっと金鼓が鳴り響く。わあっという喊声も続いたが、ヒィの講義のあとでは心なしか勢いが落ちたようにも聞こえる。


「ころは善し!」


 ヒィは面に気力を(みなぎ)らせると、さっと片手を挙げた。


「かかれ!」


 激しく金鼓が打ち鳴らされる。全軍待ってましたとばかりにこれに応えて、喊声は天地をどよもし、敵人の(セトゲル)を驚かす。


 モゲト率いる前軍は、まさしく張り詰めた弦から放たれた矢のごとく飛び出していく。左右に展開する騎兵もこれを(たす)けてどっと押しだす。


 セペート軍は明らかに虚を衝かれた様子、劣勢のナルモント軍が先制してくるとは思っていなかったのである。しかしケルン・カーンはさすがに剛勇(カタンギン)を誇るだけあって、独り気概(ヂルケ)(あらわ)にすると、


「我に続け!」


 八旗の一を率いて迎撃する。残る七旗は僅かに出遅れる。

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