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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
536/783

第一三四回 ④

三上卿朋輩を売りてモルトゥの不興を買い

胆斗公盟邦を援けてエジシの帰郷を勧む

 ナオルは大きく頷いて、


「東原はどうですか。何か聞いていますか」


「そのことだが……」


 言いかけたところ、百策花セイネンが身を乗り出して言うには、


「昨年、神箭将(メルゲン)がついに北伐を敢行しました。南伯シノンと光都(ホアルン)のサルチンに後方を託して、総勢五万の兵を(ひき)いてズイエ(ムレン)を渡りました」


「ほう、ヒィ・チノも北伐を……」


 ナオルはおおいに感嘆する。みなそれは同感にて、東原の英傑(クルゥド)に思いを馳せる。


 当初、ヒィ・チノは一昨年(ジョルチン・ハーン五年)の(ナマル)には出陣する予定だったが、いろいろと事情があって(ウドゥル)を延ばしていた。


 それがついに用意万端整って、兵を発することになったのである。ちょうど西原で王大母がクリエンを形成したのと同じころである。


 五万騎の陣容はと云えば、先鋒(アルギンチ)は例によって小金剛モゲト、中軍(イェケ・ゴル)はヒィ・チノ自ら統べ、幕下にツジャン、キセイ、ゾンゲルらを配す。今回は司命娘子ショルコウも幕僚として遠征に加わった。また密かに鉄面牌(テムル・フズル)ヘカトも従軍する。


 後軍(ゲヂゲレウル)はオラザ氏の族長(ノヤン)となったワドチャが務める。牧地(ヌントゥグ)を守るのは隻眼傑(ソコル・クルゥド)シノンと笑面(だつ)ヤマサンである。


 対するセペート部の鎮氷河エバ・ハーンは、またも女婿(グレゲン)たる金杭星(アルタン・ガダス)ケルン・カーンに来援を請い、迎撃の態勢を整えた。


 だが前回と違って、神都(カムトタオ)のヒスワは(たの)みにできない。なぜなら先に述べたとおりすでに同盟は決裂(注1)していたからである。


 代わりにエバはこの数年、ケルンを助けて北の異族(ホイン・カリ)をあるいは討伐し、あるいは慰撫して勢力を拡大していた。その兵を併せたおかげで七万騎を超える大軍となっていた。


 それを知ったキセイがあわてて報告に及べば、ヒィは呵々と笑い飛ばして、


(ソオル)は数ではない。雑軍は雑軍、十万が百万でも恐れるには足りぬ」


 そう言って懸念を退けた。実際、ヒィはやろうと思えば十万から十五万の兵をも動員できたが、あえてそれをしなかった。かつてヒスワに後方を襲われたのを戒めとして、かなりの兵を残してきたのである。


 結局、()りすぐった精鋭を五万。これは先の北伐(注2)とほぼ同じ数である。だがこの五万騎こそはヒィが長年に(わた)って鍛えた精兵中の精兵だった。


「それにな、神行公(グユクチ)。俺は以前の俺とは違うぞ」


 というのは、ツジャンに命じてある計略を遂行させていたのである。そこへちょうどツジャンが現れたので、ヒィは相好を崩すと、


「おお、待っていたぞ。どうだ、うまくいきそうか」


はい(ヂェー)。抜かりはございません」


 怪訝(けげん)な表情のキセイに言うには、


「ははは、いずれ判る。それはそうとツジャンよ。君は近ごろ大層な渾名(あだな)を付けられたそうではないか」


 面を伏せて恥ずかしそうにしながら、


お耳(チフ)に入りましたか。身に余る名にて困惑しております」


「ほう。どんな渾名か、興味があるな」


「お(ゆる)しください。虚名を自ら吹いて回るほど豪胆(スルステイ)にはできておりません」


「ははは、では余のものに尋ねよう」


 ずっと静か(ヌタ)に座していたショルコウに(ニドゥ)()って、


「お前は知っているか?」


 ツジャンの表情を伺いつつ述べて言うには、


「存じております。『鳳毛麟角』というものです」


「司命娘子、止めよ」


「まあまあ、よいではないか。ふうむ、また仰々しい名だがいかなる意味か」


 応じて答えたのを聞けば「鳳毛」とは鳳凰の毛、「麟角」とは麒麟の角のこと。ともに世に極めて稀なものである。転じて、ツジャンの才能(アルガ)はそれほど得がたいものであるという意味。


 初めは詩作に長じていることからその(すぐ)れた文才を鳳毛に(たと)えていたが、やがてその多才はただの鳳毛に留まらぬというので、いつしか鳳毛麟角と併せ称されるようになった。


 ヒィはおおいに喜ぶと、


「何とすばらしい名ではないか。恥じることはない。堂々と名乗れ」


いえ(ブルウ)、私には過ぎた名でございます」


「ははは、ならぬ。その響き、気に入ったぞ。以後は勅命(ヂャルリク)においても用いることにする。わかったな」


 ハーンにそこまで言われては逆らうことはできない。ヒィは満足して、幾度も「鳳毛麟角、鳳毛麟角」と呟いたが、くどくどしい話は抜きにする。




 さて、ナルモント軍は楚腰公サルチンの調達した舟で一斉にズイエ(ムレン)を渡った。号令一下、進軍を開始する。広く斥候(カラウルスン)を放ち、セペートの先遣隊と小競り合いを繰り返しながら奥地へと進んだ。


 エバ・ハーンの本営(ゴル)には次々と早馬(グユクチ)が至っては、敵軍(ブルガ)の精強当たるべからざることを告げていく。ついに怒りだして、


「もうよい! 飛虎将の猛勇(カタンギン)はとうに承知しておるわ。それだけなら報告に及ばぬ!」


 ズベダイはそれを見て、憂いの色を浮かべる。それも気に入らずに罵って、


「どいつもこいつもヒィ・チノを恐れている。お前もそうなのだろう!」


 ややあわてて答えて、


「何をおっしゃいます。我が軍は北方の経略によって倍増しました。いかに飛虎将が優れていようとも、ケルン様率いる『蕃民八旗』に(かな)うものではありません」


 蕃民八旗とは、帰順した異族を八隊に編成したもので、先鋒を担う強兵(ヂオルキメス)にほかならない。一隊およそ三千騎、すなわち計二万四千騎である。


 エバは途端に機嫌を直すと、


「そうだな、蕃民八旗ほどの兵は草原(ミノウル)中を見回してもそうはおるまい」


はい(ヂェー)。必ずや敵人(ダイスンクン)の心胆を寒からしめることでしょう」


「ふふふ。ひと泡もふた泡も吹かせてくれようぞ」


 まさしく大志を()べるに障壁となるはいずれも(ホイン)の姦賊にて、東西相和するがごとく義兵を興すといったところ。


 西の一個は汚穢(おわい)(まみ)れて自ら亡びたるものの、ひとたび(ヂェウン)に目を転ずれば、一個は北胡を(たの)んで侮るべからず勢い。果たしてヒィ・チノの再度の北伐は功を奏するか。それは次回で。

(注1)【同盟は決裂】ヘカトの経略によってヒスワを欺き、エバを怒らせてその使者であるドブン・ベクを斬ったこと。第九 一回③参照。


(注2)【先の北伐】七年前、ヒィ・チノは即位してまもなく北伐を敢行した。第四 三回④~第四 七回①参照。

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