第一三四回 ③
三上卿朋輩を売りてモルトゥの不興を買い
胆斗公盟邦を援けてエジシの帰郷を勧む
これには武神と称されるモルトゥも不気味に思って、
「さすがの狂癲婆も死罪は免れぬと悟ったか」
声をかければ、何とたちまち身をくねらせて、媚を含んだ眼差しで言うには、
「バアトルよ、私は一個のかよわき女に過ぎませぬ。死に価するどんな大罪を犯せましょうか。一命を救ってさえいただければ、婢女となってバアトルにお仕えします。哀れと思し召して一抹の慈悲をお賜りください」
口上を終えるとさらに秋波を送る。居並ぶ好漢は、ぞっとして目を背ける。モルトゥは怒り心頭に発して、
「天下に大罪を犯した上に、容色の衰えも省みず好漢を誑かそうとは何たる色狂い! 目の汚れだ、斬れ!」
するとソドムは忽然として顔を歪めると、耳を掩いたくなるような罵詈雑言を放ちはじめる。みなおおいに辟易して早く刑を執行するよう促したので、即座に斬られる。
最後に残ったのはチャウン・カン。ひと言も抗弁することなく平伏して声をかけられるのを待っている。そもそも彼は、己の意図に反してカンの位に即けられただけの人物だったので、さすがにモルトゥも哀れに思って、
「貴公に罪はない。面を上げられよ」
恐る恐る顔を上げたチャウンに重ねて言うには、
「大カンに上奏して処遇を決めていただくゆえ、謹慎して下命を待つように」
チャウンは処刑されるとばかり思っていたから厚く拝謝して、促されてもなかなか立とうとしなかった。後日の話になるが、彼は「忠順公」の名を与えられて、静かに余生を全うした。
かくして上卿会議の勢力は完全に消滅した。モルトゥは諸方に早馬を送ってこれを報せる。予想以上に早い平定に、みな驚くやら喜ぶやら大変な騒ぎようで、早速約会の地へ赴いた。
なお、その途上でネサク氏の一隊がデゲイを擒えた。シンが笑って言うには、
「この阿呆め、延々と車を連ねてうろうろしていたのさ。俺が捉まえずとも、早晩野盗どもの餌食になっていただろうよ」
これを聞いて好漢たちはおおいに嗤った。デゲイも刑場の露と消えたのは言うまでもない。
諸将の集結を待つ間、モルトゥは抜かりなく人衆の慰撫とアイルの再編を行い、動乱の影響は漸く収まった。
ちょうどそこへウリャンハタ軍もクリエンに残した部隊も合流する。好漢たちは互いに肩を叩き合い、北伐(あるいは回天)の成功を祝した。
ハヤスンは改めて大カンとして詔勅を発して、人心の一新を図った。昔日の過ちを省みて人衆の苦しみを労い、以後はジョルチ、ウリャンハタと和して平和と安寧を冀求(注1)することをテンゲリに誓った。
長らく上卿どもに虐げられてきた人衆は歓喜の声を挙げて、大カンの徳を称えた。また太師エジシの示唆によって上卿会議に替わる新たな体制が築かれた。ジョルチ部を範として、まず断事官には王大母ガラコが起用された。
司法官に黥大夫カンバル、右王大将軍に武神モルトゥ、監察官に賢婀嬌モルテがそれぞれ任命されて、政権の中核となった。靖難将軍イトゥクは弓箭士から近衛大将へと昇格した。
同時に各氏族の族長にも勅命が下された。すなわちゴコク氏はガラコ、シュガク氏はモルトゥ、ブリカガク氏はカンバルである。
シャガイ氏は開明派の首魁たるチラウンが、インガル氏はハヤスンの側近だったオグハンが、それぞれ族長に新たに任命された。そのほかの小氏族についても然るべきものを選んで重任を担わしめた。
さらにエジシはここでも太師に任ぜられ、軍民両政の指導およびジョルチとの修好を委ねられた。これはジョルチン・ハーンの代理たるナオルが、強く勧めて実現したものである。エジシはおよそ三十年ぶりに郷土で暮らすことになった。
そしてついに「法」が宣布された。やはりジョルチに倣って大カンには広範な権限が付与された。断事官をはじめとする諸官の任免は無論、軍においても百人長以上は大カンが自ら任命することとなった。さらに侍衛軍の増強が図られた。
法の内容は多岐に亘り、人衆の生活にまで及んでいる。何より重要なのはクリルタイの復権である。部族の大事や、カンの選挙に際しては、祖宗の法に従って、必ずこれを開催することが定められた。
クル・ジョルチ部が日々面目を新たにしていく中、ジョルチ、ウリャンハタの両軍はやっと帰路に就きはじめた。
まず一角虎と竜騎士率いる第三軍が発ち、次いで衛天王の中軍、花貌豹の第二軍、麒麟児の第一軍と順に去り、最後まで残ったジョルチ軍もひと月後には中原へと帰っていった。
こうして西原は秩序と平和を取り戻したのである。さらにナオルらと入れ替わるようにやってきた美髯公ハツチの協力によって、徐々に駅站が整備されると、西方からの商旅は以前に倍増してクル・ジョルチはおおいに潤った。
さて、一年余の遠征から帰還したナオルらを迎えたインジャがおおいに喜んだのは言うまでもない。早速宴を張ってこれを慰労し、西原の平定を祝った。
使者として同道してきたカンバル、イトゥクらも盛大に歓迎された。彼らは義君インジャに見えてその高徳に感激し、また居並ぶ好漢の錚々たる顔ぶれを見て、三族会盟が正しかったことを確信した。席上、ナオルが尋ねて言うには、
「留守の間、何か変わったことはありましたか?」
「うむ。ヤクマン軍がメンドゥ河畔を騒がしたことがあったが、紅火将軍が退けた。おそらく探りを入れてきたのだろう」
「それ以降は?」
「特に動きはない。だが、超世傑や獅子には気を抜かぬよう命じてある」
(注1)【冀求】強く願い求めること。