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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
53/783

第一 四回 ①

ヒスワ密かに感状を(あらた)めて主人を(おとしい)

ゴロ敢えて大河に投じて神都を逃れる

 ナオル、ジュゾウ、ドクトの三人は、ハツチの書簡を携えて先の非礼(ヨスグイ)を詫びるべく、ゴロの家へと向かった。ナオルとドクトは、家を知らないどころか当人と面識すらなかったが、行ってみれば迷いようがなかった。


 というのも、さすがは神都(カムトタオ)一の富豪(バヤン)というだけあって、この神都(カムトタオ)においては元首(ドルチ)の官邸に次ぐ豪邸だったからである。聞きし(ソノスクサン)に勝る豪壮な邸宅を眼前に、ナオルは思わず嘆声を漏らして、


「やあ、凄いな。この塀に囲まれた土地(コソル)はすべてゴロ殿のものというわけか」


 ドクトが答えて言うには、


「たいしたことないわ。我らにとってみれば、草原(ケエル)の続くかぎり己の庭のようなものではないか。比べればこんな家、石ころ(チラウン)も同然だ」


「こらこら、そんなことを言うものではない」


 飛生鼠ジュゾウもここでは塀を乗り越えるような無粋をはたらくわけにもいかず、門を(たた)いて案内を請う。これもまたサノウ邸と違うのは、すぐに門が開いて利発そうな小間使い(インヂェ)小童(ニルカ)が現れた。小童はジュゾウの(ヌル)を知っていたので驚いて、


「ジュゾウさん、あなたはお尋ねものですよ。こんなところでうろうろしてたら危ないじゃありませんか」


 気にする風でもなくせせら笑って、


「それよりゴロは居るかい」


「ああ、ゴロ様は十日ほど前から商用で出かけております」


「何だ、居ないのか! で、どこへ行ったんだ」


「中原の西南方にシータという(ダライ)があります。そこにイシ、カムタイという(バリク)があるとか。そちらに出かけております」


 ジュゾウはそもそも草原(ミノウル)の地理には(くら)かったので、どの地名も知らなかった。ナオルが、メンドゥ(ムレン)が流れ込む海だと教える。


 シータ(ダライ)は、実は巨大な(テンギス)である。が、中原の民でそれを知っているものはあまりいない。イシ、カムタイはどちらもその(ほとり)にある(バリク)で、東西交易の拠点のひとつになっている。


「ちぇ、困ったな。しばらく帰ってこないぜ」


「なあ、君のご主人(エヂェン)がいつ帰ってくるか聞いてるか」


 ナオルが尋ねたが、小童はそこまでは知らないようであった。が、思いついて言うには、


「でもいつも三月かそこらで帰ってくるから、今回もそんなものだと思いますよ」


 それを聞いては会うのを諦めざるをえない。やむなくハツチの書簡だけを置いていくことにした。


「ゴロ殿が帰ったら、この書簡を渡してくれ。大事な書簡だから忘れないように」


 小童はそれを受け取りつつ、


「お名前を聞かせてください」


「ジュゾウの友人(イル)だよ、怪しいものではない。書簡は開ければ誰からのものか判るから心配しなくていい」


はい(ヂェー)。ちゃんと渡します」


 実は小童、ジュゾウの友人と聞いて内心これは怪しいと思ったが、あえて何も言わずに書簡をしまった。三人はゴロには会えなかったものの、無事に務め(アルバ)を終えて意気揚々と草原に帰っていったが、くどくどしい話は抜きにする。




 さて、小童が門を閉めて中に戻ると、一人の男がそれを待ちかまえていた。


「おい、今の(ヂョチ)は誰だ」


 はっとして見れば、家宰(アルバト)のヒスワであった。(ちまた)で評判の色男で、才覚(アルガ)も十分に備えており、ゴロに気に入られて重用されていた。ゴロが留守の間は数多の店舗のすべてを管理して、これまで過ち(アルヂアス)を犯したことがない。


 しかし小童は、この男を忌み嫌っていた。


 ヒスワは容貌(クナル)といい才略といい、欠けるものは何ひとつなかったが、性格(チナル)は高慢で虚飾を好み、また狡猾(ザリ)残忍(ハラギス)でもあった。近ごろではゴロの(エメ)であるミスクに色目を使いだしており、それがまた小童の気に(さわ)っていた。


 が、ヒスワは家宰である。(ニドゥ)を伏せておもむろに答えた。


「何でしょう、ヒスワ様」


 ヒスワは、口許(くちもと)(ゆが)めて笑うと、


「今の客人は誰だと聞いてるんだが」


「知りません。ゴロ様の友人と言ってましたが」


「ふうん」


 ヒスワは意地の悪い笑顔のままで近づいてくると、じっと小童を覗き込んだ。たまらず顔を背ける。


「おや、どうしてこっちを見ない。何か隠していることがあろう」


 小童は黙り込む。くっくっと(ホオライ)の奥で笑いながら、


「ちらっと見たところでは、一人はあの飛生鼠ではなかったかな?」


 どきりとして、それでも平静(ガイグイ)を装って言うには、


いえ(ブルウ)、見間違いでしょう」


「そうかな。それならば、なぜお前は客の名をしかと聞かなかったのだ。ゴロ様が留守のときに来客があれば、名を確かめるよう言われているのではなかったか。怠慢だぞ」


 小童は背筋(ノロウ)に冷汗が流れるのを感じた。


「も、申し訳ありません……」


「しかもそんな名も知れぬ客から、お前は何か預かったであろう」


 いよいよ小童はがたがたと震えだし、返答に窮する。

 俄かにヒスワは大喝して、


「こら、小僧(ニルカ)! (クダル)()くな! 書簡のようなものを受け取っていたではないか。さては善からぬことを企んでいるな。家宰として看過できぬ。さっさと出さぬとただではおかんぞ」


 すでに小童は腰を抜かしてへたり込んでいる。

 ヒスワは冷めた目でこれを見下ろした。


「飛生鼠は重罪人だ。そんな奴から書を受け取るとはお前も同罪、すぐに役所に突き出してもよいのだぞ。そうなればお前の両親もただではすまぬ」


 そしてぐっと顔を近づけると、(ささや)いて言うには、


「だがな、預かったものを出せば(ゆる)してやってもよい。さ、悪いことは言わん。すぐに出したほうが身のためだぞ」


 小童は目を白黒させるばかり。かまわずその(エブル)(ガル)を突っ込んで、例の書簡を奪い取る。その場で開いて内容を一瞥すると、不敵な笑みを浮かべて、


「おい、これは俺が預かっておく。お前には関係がないことがわかったから(ゆる)してやろう。他言は無用だぞ」


 そう言い捨てて去ってしまった。小童は今のヒスワの表情から、きっとゴロの身に善からぬことが起こるに違いないと思っておおいにあわてたが、どうすることもできない。

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