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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
529/783

第一三三回 ①

アサン圏営に赴きて(まさ)鴆毒(ちんどく)を除かんとし

ナユテ祭壇を設けて(まさ)に連盟を誓わんとす

 王大母ガラコは武神モルトゥの帰投により久々に余暇を得ると、周囲の制止を振りきって狩猟へ出かけた。ところが(にわ)かに刺客(アラクチ)に襲われて重傷を負ってしまった。


 同行した二人の好漢(エレ)はおおいに狼狽(うろた)えて、とりあえず飛生鼠ジュゾウは聖医(ボグド・エムチ)アサンを(たの)んでウリャンハタの(トイ)へ、雷霆子(アヤンガ)オノチはガラコを護ってクリエンへと(モル)を分かった。


 オノチはクリエンに帰ると、真っ先に賢婀嬌(けんあきょう)モルテにことを知らせた。モルテはさっと顔色を変えると、すぐにガラコのもとへ走った。


 王大母が兇刃に倒れたことは瞬く間(トゥルバス)に知れわたってしまったので、人衆(ウルス)はおおいに動揺した。それはチルゲイやイトゥクらも例外ではなく、青ざめた(ヌル)で駆けつける。オノチは彼らと(まみ)えるや、(ツォサン)が出るほど(オロウル)を噛んで、


「私が附いていながら面目ない。王大母様に何かあったら死んでも詫びきれぬ」


 そう言って(ムル)を震わせる。常には多弁(ビルヂウル)なチルゲイもかける言葉(ウゲ)がなく、ただ言うには、


「王大母様はテンゲリに替わって道理(ヨス)を貫いてきた方、必ずや加護があろう」


 そう慰めつつ仰臥するガラコを見れば、(フムスグ)は苦しげに(ゆが)められ、肌は青黒く変色している。チルゲイはううむと唸って、


「毒か!」


 絞り出すように言った。さらには、


「……毒が用いられたとあっては五技鼠の医術も及ばぬわけだ」


 そこで初めてジュゾウの姿(カラア)がないことに気づいて尋ねれば、


「ジュゾウは一縷(いちる)の望みを託して聖医殿を呼びに行った」


 チルゲイはおおと(ニドゥ)(みは)って、次いでテンゲリを仰ぐと、


「私としたことが動転してアサンのことを忘れて(ウマルタヂュ)いた! 彼ならきっと王大母様の毒を除いてくれよう。ただ……」


 はっとして(アマン)(つぐ)む。しかしその先は言わずともみなわかっていた。


 いかに聖医とはいえ死人を蘇らせることはできない。ガラコの(アミン)(ガル)が尽きるのが先か、アサンの到着が先か、まさしく人事を尽くして天命を()つといったところ。誰もが黙ってテンゲリに祈りを捧げる。


 しばらくしてチルゲイはそっとゲルを出ると、モルトゥを捜してついにオルドで彼に会うことができた。凶報に接して(おのの)くハヤスン・カンの傍ら(デルゲ)に附いていたのである。チルゲイが口を開くより前に、


「おお、王大母の容態はどうだ? 命に別状はないか」


 次々に質問を浴びせる。というのもハヤスンが異常に怯えていたからである。それを察して慎重に答えて言うには、


「王大母様は僅かに傷を負われましたが、軽傷にてまったく心配は無用でございます。刺客もすでに討ち果たしておりますゆえ、ご安心ください。治療が()わり次第、王大母様自らオルドへ参ろうかと存じます」


 モルトゥはその気配からことは楽観できぬことを(さと)ったが、あえて喜色を浮かべて言った。


「おお、それは好かった! 大カン、お聞きになりましたか。王大母殿は息災、さらに刺客の脅威も去りましたぞ」


 ハヤスンは安堵した様子で、


「うむ、うむ。だが王大母は部族(ヤスタン)柱石(トゥグル)、決して無理はせぬよう伝えよ」


承知(ヂェー)


 チルゲイは退出するとき、ちらとモルトゥに目配せする。外で待っていると果たしてあとを追ってきたので、周囲を気にしながら実情(アブリ)を明かせば、やはりテンゲリを仰いで、


「何と卑劣な! 王大母殿を欠いては回天どころではないぞ」


「今、ジュゾウが草原(ミノウル)に冠たる名医を迎えに行っております。我々はテンゲリに祈るしかありません」


「名医だと? それは……」


「彼が間に合えば、必ず王大母様は助かります」


(ウネン)か!」


「おおいなるテンゲリに誓って偽り(クダル)は申しません」


「そうか……。ならば祈ろう」


 呟いてしばらく黙っていたが、ふとチルゲイを見遣(みや)ると、


「それほどの名医がいるとはついぞ聞いたことがないが、いったいどこの氏族(オノル)のものだ」


 すぐには答えない。(ようや)くモルトゥが(いぶか)りはじめたので、ついに言うには、


「バアトルがご存知の氏族(オノル)ではおそらくありません」


「どういう意味だ」


 また少し間があって、(オロ)を決したように言うには、


「その名医は我が部族(ヤスタン)出自(ウヂャウル)。すなわちクル・ジョルチのものではありません」


「何? ということは……」


 驚いて問い返せば、もはや躊躇することなく()べて、


はい(ヂェー)。今までバアトルに言わずにおいたことがございます。私はクル・ジョルチのためにはたらくものですが、クル・ジョルチの人衆ではありません」


「…………」


「バアトル、王大母様のゲルまでご足労願えませんか」


「よかろう」


 二人は黙って移動する。目指すゲルに至って戸張(エウデン)をくぐると、先と変わらず誰もがうち沈んで枕許(まくらもと)を囲んでいる。幸いかな、まだガラコの(アミ)はある。

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