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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
528/783

第一三二回 ④

オウタン徒爾に兵を発して恥辱を(こうむ)

ガラコ余暇に猟を楽しみ奇禍に遭う

 満足して頷くと、オウタンへと視線を向ける。大仰な身ぶりを交えて言うには、


「おお、将軍には礼を申し上げねばなりませんな。我が将兵をわざわざここまで連れてきていただけるとは……。一万(トゥメン)の精鋭、たしかに受領いたしましたぞ。ご苦労ですが、すぐに戻って族長(ノヤン)によろしくお伝えください」


 オウタンは恥辱のあまり、(ハツァル)を真っ赤に染めて唸り声を挙げる。縄を解かれると嘲笑の響く中を(うつむ)いて去る。行ってしまうとドクトが尋ねて、


「バアトル、生かして帰してよかったんですかい?」


「ははは。あんな奴、殺す(アラハ)ほどの価値もない」


 モルトゥは兵を(まと)めてクリエンに帰還した。ハヤスンをはじめ、みなおおいに喜んだのは言うまでもない。


 王大母のクリエンの威名は日に日に高まり、新たに投じてくるものはあとを絶たなかった。攘夷を棄てた志士たちは、モルトゥに「武神」の渾名(あだな)を奉って敬仰したが、くどくどしい話は抜きにする。




 ある(ウドゥル)、ガラコはふと思い立って、狩りに出かけることにした。モルテはその身を案じて引き留めたが、


「近ごろ忙しくて腕が(なま)ってるからね。モルトゥのおかげで少しは暇もできたしさ。私のことなら心配要らないよ。誰だと思っているんだい?」


 そう言って取り合わない。そもそもガラコは狩りが何より好きで、以前は三日と空けずに行っていたのだが、クリエンを構えてからはただの一度も暇がなかった。


 モルテもそれを知っていたから、あまり強くは言えない。そこでチルゲイが言うには、


「ではオノチを供にお加えください。彼は弓射にかけては古の名人も(ヘル)を巻く(エルデム)の主です」


「そうかい、それは楽しみだねえ」


 上機嫌で頷くと、十数騎ほどを連れて出立した。不安が(ぬぐ)えないモルテは、


「まことに心配ないでしょうか。王大母の身に何かあっては……」


「オノチが傍にあれば安心かと思いますが、どうしても不安ならば密かにジュゾウをして警護せしめましょう」


 さて、ガラコは久々の遠出に身も心も(はず)みつつ、狩りの獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)(もと)めて(アクタ)()った。オノチは間断なく周囲を警戒して、いささかも気を緩めることはなかった。


 幸い成果は上々で、ガラコは狩りをおおいに満喫した。いよいよ獲物を(まと)めて帰らんとしたときのこと。(にわ)かに(ヂュブル)の中から、喊声を挙げて一団の兵馬が飛び出してきた。ガラコはあわてふためく従者(コトチン)をよそに余裕綽々、


「ははあ、現れたね」


 得物を握り直す。オノチは早くも二、三騎を射落とすと、


「王大母様、お退()きください。ここは私が……」


「うるさい。つべこべ言ってる暇はないよ!」


 そう言って襲いかかってきた男をばっさりと斬り下げる。刺客(アラクチ)はいずれもかなりの武術の使い手、オノチ、ガラコほどの勇将ですら容易(たやす)くは退けえない。


 従者の多くはあるいは逃げ、あるいは討たれてまったくあてにならない。あわてて駆けつけたジュゾウも加えて、三人で(バラウン)(ヂェウン)へと戦い続ける。


 奮戦することしばし、(ようや)く刺客はその数を減じはじめる。最後の一人をジュゾウが(ほふ)ってやっと息を()いた。


「王大母様、ご無事ですか」


 オノチの問いに答えて、


ああ(ヂェー)、何ともないよ。あんたたちこそ傷を負わなかったろうね」


 もちろんオノチもジュゾウも刺客ごときに(おく)れをとるものではない。高らか(ホライタラ)に笑い合うと、逃げ散った従者を呼び集める。


「さあ、帰ろうか」


 ガラコが馬首を(めぐ)らした、その瞬間であった。


「死ね、王大母!」


 その(ダウン)にオノチとジュゾウははっと振り返る。見れば、あろうことか、ガラコの側腹に匕首(ひしゅ)(注1)が深々と突き立って(カドゥグタダアス)いる。


「あっ!!」


 瞬時(トゥルバス)には何が起こったのか、判然としない。さらによくよく見れば、何と従者の一人が、(にわ)かにガラコを刺したのであった。


「此奴め!」


 ジュゾウはおおいに怒って、(きびす)を返さんとしていた男を斬り捨てたが、ガラコはううむと唸ってどっと落馬する。


「王大母様!」


 あわてて助け起こしたが、その(ヌル)からはみるみる血の気が()せていく。ジュゾウが愕然として叫ぶ。


「いかん、毒が塗ってあったらしい!」


 これでは医療の心得がある五技鼠といえどもいかんともしがたい。ともかく応急に処置を施すと従者どもを睨みつけて、


「おい、王大母様に何かあったらただではおかないぞ!」


「待て。どうやら彼らは関係ないようだ」


 オノチが言うとおり、余の従者は首を振るばかりで、まっすぐ立っているのもやっとという有様。さらに問い詰めれば、王大母を刺した男は近ごろ新たにクリエンに加わったものらしい。


「開かれたクリエンが仇となったか……」


雷霆子(アヤンガ)、ぼんやりしているときではないぞ。お前は王大母様をクリエンまでお連れしてくれ。決して無理をしてはならぬが、できるだけ速やか(クルドゥン)に!」


承知(ヂェー)。飛生鼠は?」


「俺はひと走りして聖医(ボグド・エムチ)殿を連れてくる」


「おお、それが好い!」


「それまで保てばよいが……。テンゲリの加護を祈るばかりだ」


 二人の好漢(エレ)はそこで別れたが、まさしく奸智の刃の率然と至りて女傑の(アミン)旦夕に迫るといったところ。(たの)むは聖医の神業とテンゲリの加護ばかり。


 しかしこのことから東西はますます結歓(けっかん)(注2)し、ひとたび危殆を逃れて再び義憤を新たにすることとなる。果たして王大母の命はどうなるか。それは次回で。

(注1)【匕首(ひしゅ)(つば)のない短刀。懐剣の類。あいくち。


(注2)【結歓(けっかん)(よしみ)を結ぶ。仲好くする。互いに喜び合う。結好。

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