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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
526/783

第一三二回 ②

オウタン徒爾に兵を発して恥辱を(こうむ)

ガラコ余暇に猟を楽しみ奇禍に遭う

 しかしチルゲイの示唆した第三項、すなわちウリャンハタ、ジョルチとの和親を告げると、志士どもは愕然としてあたふたと狼狽する。


 なぜなら彼らはつい今までウリャンハタ、ジョルチは退けるべき外敵(ダイスンクン)としか認識していなかったからである。それは圧倒的な強さを見せられたあとでも変わっていなかった。ゆえにモルトゥの言葉(ウゲ)は天地が(くつがえ)るような衝撃を彼らに与えたのである。


 モルトゥはおおいに笑って、


「ウリャンハタ、ジョルチの精強ぶりはお前らもよく知るところだ。だが我らはこれと争わぬ。むしろその兵を用いて腐敗した上卿専制を打ち砕く(エムブルー)のだ!」


 一瞬の間を置いて、歓声が天地をどよもした。蝟集(いしゅう)(注1)する兵卒は、あるいは拳を突き上げ、あるいは(フル)を踏み鳴らした。チルゲイは、ジュゾウやオノチらと視線を交わして笑いあったが、くどくどしい話は抜きにする。


 かくして志士軍を嚮導にクリエンに至れば、先にジュゾウを()って報せておいたので、王大母ガラコ、賢婀嬌(けんあきょう)モルテ、黥大夫(げいたいふ)カンバルが揃ってこれを出迎える。モルトゥは颯爽(オキタラ)と下馬すると拱手の礼を交わす。そして言うには、


「王大母殿、(おく)()せながら大カンの膝下に加わるべく参りました!」


「おお、よく来たね。大カンもきっとお喜びになるだろうさ。さあ、オルドへ案内しようか」


 ガラコも上機嫌で応じる。一行は群衆(バルアナチャ)の間を縫って進んだ。


 カンに拝謁したモルトゥは平伏して遅参を詫びる。ハヤスンは殊の外喜んで早速モルテに諮問して、


「バアトルの武名は轟いておる。無官ではすまされぬが、何か良案はあるか」


 答えるより先にチルゲイが進み出て、


「僭越ながら申し上げます。バアトルの率いる五千騎は、これすべて大カンの近衛軍(ケシクテン)として徴集されたもの。よって近衛大将の職こそ相応しかろうと存じます」


「ふうむ。しかし近衛の将には王大母を任じてあるのではなかったか」


「仰せのとおりでございます。王大母様は長らく大カンに忠義を尽くしてまいりました。そこでその功を(よみ)してさらに位階を進め、全軍を統帥する大将軍の栄誉(フンドゥ)を担わしめてはいかがでしょう?」


 ハヤスンはおおいに気を好くして、


「おお、そうじゃな! それが善かろう」


 ところが当の王大母はあわてて言った。


「私はとてもそんな重任には堪えられません。天下に聞こえた名将が目の前にいるというのに、私ごときが上席を汚すわけにはいきません。どうかバアトルをこそ大将軍に」


 ハヤスンは困り果てて師傅(しふ)たるカンバルに援けを求める。笑みを禁じえない様子で答えて、


「チルゲイの上奏、まことに(ヨス)(かな)ったものと思われます」


 モルトゥも莞爾と微笑んで、


「大将軍には王大母殿が適任かと存じます」


 ともに推したので、ハヤスンはほっとして、


「みなこう申しておるゆえ、王大母を大将軍に、バアトルを近衛大将といたす。よいな」


 ガラコは(ニドゥ)を円くしたが、大カンの勅命(ヂャルリク)をこれ以上固辞するわけにもいかず、不承々々拝命する。この決定が布告されると人衆(ウルス)の狂躁はますます(こう)じて、方々で祝杯が挙がる。


 会盟を志向する同志(イル)もこの例に漏れず、王大母のゲルに集まって宴の席に連なった。居合わせたのは総じて十人(アルバン)、すなわちガラコ、モルテ、カンバル、モルトゥ、イトゥク、チルゲイ、ドクト、ジュゾウ、オノチ、ナハンコルジの面々。


 彼らは今後の方策を話し合いつつ流觴飛杯(りゅうしょうひはい)、いつ果てるともなくうち興じたがこの話はここまでとする。




 さて、先にモルトゥと(たもと)を分かった幕僚たちは、上卿を(もと)めてついにオカク氏の狂癲婆ソドムのアイルに駆け込んだ。彼女はモルトゥ離叛を聞くや、怒り(アウルラアス)心頭に発して彼らを難詰した。


「それであんたたちはおめおめ逃げ帰ってきたってわけ?」


 彼らはうなだれて黙り込む。その態度にますます激昂(デクデグセン)して、


「揃いも揃って無能(アルビン)ね! 生きて(オスチュ)いる価値もない。斬れ(オンラヂドクン)!」


 応じて常にソドムの側に(はべ)屈強(クチュトゥ)隷民(ハラン)どもが、彼らを引き摺り出そうとする。悲鳴を挙げて口々に命乞いするが、もとより聞き容れるソドムではない。あっと言う間に全員斬り殺される。


 それを見届けると(テルゲン)に乗って、鬼女のごとき形相でシュガク氏のアイルへと向かった。


 デゲイのゲルに乗り込んだソドムは、渾名(あだな)の示すままに(わめ)き狂う。デゲイにとってもモルトゥ離叛は想定外のことだったが、それ以上にこの眼前のソドムに辟易(へきえき)して、寒くもないのに流れ落ちる汗を(しき)りに(ぬぐ)う。


 そもそもソドムは、かっとしてはいたずらに騒ぐばかりで、大局を観る目も事理を考える(タルヒ)もなかった。


 デゲイを責めているのも単なる嗜虐(しぎゃく)に過ぎなかったから、ひたすら平身低頭して肥えた身体(ビイ)を縮めているほかない。あえて抗弁しようものなら、それに倍する罵詈雑言を浴びるだけのことである。


 (ようや)くソドムが満足して帰途に就いたころには、デゲイはぐったりとして考える気力も()せていた。そこにオウタンが現れて言うには、


「いったいソドム様はどうされたのですか。ひどくお怒りのご様子でしたが」


「ああ、オウタンか。いやはや参ったよ。実は困ったことが起きてね」


 打ちのめされた様子に、生来の諂侫(てんねい)心性(チナル)を発揮して、


「お困りのことがございましたら、このオウタンめにご相談ください」


 恭しく言えば、デゲイは疲れきった口調で、


「ううむ。実は先に敵人(ダイスンクン)迎撃に(つか)わしたモルトゥが、離叛して王大母に投じたらしいのだ」


 あっさり事情を明かす。

(注1)【蝟集(いしゅう)】一か所に群がり集まること。


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