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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
524/783

第一三一回 ④

サチ虎将を(したが)えて縦横に擬戦し

チルゲイ武神に(まみ)えて流暢に説陳す

 シンが併走するスクに(ダウン)をかけて言うには、


「やあ、ちょうどいい相手がいるぞ」


おう(ヂェー)。存分に暴れてくれるわ」


 (ドブン)の上で震える志士どもには目もくれない。千騎(ミンガン)の精兵は、速度を緩めることなくみるみる間合いを縮める。


 三千のクル・ジョルチ軍を率いる将はいわゆる凡将の類にて、ウリャンハタの兵勢を察することなく、ただ数を(たの)んで鶴翼の陣形(バイダル)で待ち受ける。


 かくして(ガル)に汗握る志士どもの眼下で、両軍は正面から激突した。志士どもは僚軍が弱卒(アルビン)の群れであることを知らないから、モルトゥの武名に期待して戦況を見守った。


 ところがまさしく鎧袖一触、一直線に突入したウリャンハタ軍はそのまま無人の野を行くがごとくこれを席巻する。陣形は瞬時(トゥルバス)に崩壊して、縦横無尽に駆け(めぐ)る千騎に為す術もない。


 方々で巻き起こる悲鳴はクル・ジョルチ兵のものばかり。早々に主将自身もスクに討ちとられる有様。多少なりとも(ソオル)の様相を呈したのは接触の寸前まで、あとは到底戦とは呼びがたい酷い内容に志士どもは声も出ない。


 三千の騎兵はみるみるその数を減じて、ほどなく掃討戦に移る。主将を失ったクル・ジョルチ軍は撤退を指揮するものもなく次々と討ち果たされていく。やがてそれも終わると、ウリャンハタ軍は隊伍(ヂェルゲ)を整えて、何ごともなかったかのごとく戦場を去った。


 丘の上は(せき)として声もない。しばし呆然としていたが、やっとイトゥクは志士を見回して、


「バアトルに顛末(ヨス)を報告せねばなるまい」


 そう言ってチルゲイとジュゾウを呼ぶ。二人は悄然たる(てい)でその場を辞したが、駆けていくうちに沸々と笑いが込み上げてきて、ついには辺りを(はばか)らぬ高笑いに変わる。


「奇人よ。彼奴らの(ヌル)を見たか?」


おお(ヂェー)! 花貌豹め、見事に志士どもの心胆を寒からしめたぞ!」


「それはそうだ。事情(アブリ)のわかっている俺ですら身震いしたくらいだ」


「まことに名将というのは得がたいものだなあ」


 慨嘆したかと思うと、ふと表情を改めて、


「さあ、彼方で待っている名将も我が薬籠中のものとしよう!」


 快活に告げて道を急ぐ。道中格別のこともなくモルトゥの陣前に至った。本営(ゴル)にて(まみ)える。挨拶もそこそこに撃ち破られたことを告げれば、特に意外そうな顔もせずむしろ感心すらした様子で、


「ふむ、千騎でな……」


 あわてたのは幕僚たち。言うには、


「バ、バアトル、慮外の強敵です。先鋒(アルギンチ)ですらかくも精強となると、本軍(ゴル)に至っては……」


 別の一人が、


「しかし先の檄に応じたのは王大母殿だけではないか。ほかに誰が……」


 帳幕(ホシリグ)のうちは騒然となったが、みないたずらに発言するばかりで一向に採るべき意見が出ない。モルトゥは程度の低い論争に業を煮やしたか、一喝してこれを鎮めるとチルゲイに尋ねて、


「先にお前は緒戦の結果を見てから大計を定めよと言ったな」


はい(ヂェー)。申しました」


「見てのとおり、此奴らは揃って役立たず(アルビン)だ。お前の意見を聴きたい」


 (ヘル)で唇を湿すと一礼して言うには、


「然らば鄙見(ひけん)を申し上げましょう。バアトルがいかに名将とはいえ、現有の兵力でウリャンハタ軍と当たるのは得策ではありません。ここは道を()えて新たに僚軍を(もと)め、兵を温存して時局の変化を待つのがよろしいかと存じます」


 モルトゥはやや不満そうに、


「それでは此奴らの言うこととあまり違わぬな」


 怯むことなく答えて、


「『良策に奇手なし』と申します。ただこれだけは申し上げておきましょう。(たの)むものを誤るなかれ。率直に申し上げて上卿会議とそれに(くみ)する輩は恃みとするには足りません。彼らは孤軍にてバアトルを放り出し、己の保身のみを憂えてほかを顧みず、大カンですら意のままに廃立しております。そんな連中が人衆(ウルス)の安危などまともに考慮しているはずもありません」


「何と……」


 モルトゥはありありと動揺の色を浮かべる。チルゲイはもうひと押しとばかりに声を励まして言った。


「今、外寇を退け、人衆を(やす)んじる唯一(ガグチャ)にして最良の計は、バアトルが軍兵を率いて王大母様と連合することです。そもそも部族(ヤスタン)が兵を養うのは、人衆の生命(アミン)財産(エド)を護るためであって、一部の権臣のためではありません。バアトルにまことに人衆を救う(オロ)があるのならば、まず上卿会議から離れるべきです」


「しかしそれは……」


いいえ(ブルウ)。先に私が申し上げたことを想起していただきたい。すなわち『叛逆とは大カンに仇を為し、人衆を害すること』にほかなりません。これをもってこれを()れば、いったい誰が忠臣で誰が逆臣であるかは明々白々ではありませんか」


 幕僚たちは総じて顔面蒼白、モルトゥも目瞬き(ヒルメス)すら忘れてチルゲイを凝視する。やっと言うには、


「……結局お前は何を言いたい?」


「謹んでお答えします。王大母様と連合してハヤスン・カンを擁し、人衆のために上卿会議を打倒なさいませ。そしてウリャンハタやジョルチと和親して平和(ヘンケ)を恢復せしめれば、小はクル・ジョルチの、大は草原(ミノウル)全体の利益となりましょう」


 モルトゥはすぐには声も出ない。畳みかけて言うには、


「バアトルの率いるは大カンの近衛軍(ケシクテン)。ならば上卿ではなく大カンをこそ守護するのが責務(アルバ)でしょう」


「ううむ……」


 唸ったきり黙り込む。チルゲイも焦らない。帳幕にしばしの静寂が訪れた。それを破ったのはモルトゥ。居住まいを正すと言うには、


「貴公、名は何と云う?」


「チルゲイと申します」


「そうか」


 モルトゥの下した決断から、男女の両傑は会合し、クリエンは一致協力して回天の大業に邁進することになる。まさしく大鵬(ハンガルディ)群雀(トゥヤル)の巣には住みがたく、小人は大人の志に化しやすいといったところ。果たしてモルトゥは何と言ったか。それは次回で。

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