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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
523/783

第一三一回 ③

サチ虎将を(したが)えて縦横に擬戦し

チルゲイ武神に(まみ)えて流暢に説陳す

 進軍七日、哨戒兵(カラウルスン)(ブルガ)の斥候を捕らえたとて連れてきたのを見れば、矮狻猊(わいさんげい)だったのであわてて縄を解かせた。苦笑しながらタケチャクが準備万端整ったことを告げれば、チルゲイは笑いながら、


「私としたことがうっかりしていた。君に靖難将軍の割符(ベルゲ)を渡すのを忘れて(ウマルタヂュ)いた」


 そう言ってその場で割符を用意する。改めて言うには、


「さあ、会戦の(ガヂャル)を選定しよう。知世郎は何と?」


「東南三百里、トゥヤル(群雀の意)平原」


 地理に明るいタクカの意見に異を唱えるものはなく、会戦の(ウドゥル)を打ち合わせてタケチャクは発った。それから彼らは会戦の地、会戦の日を(たが)えぬよう行軍を再開した。


 その行程は、ジュゾウによってモルトゥにも伝えられた。モルトゥは後続として三千の兵を充てたが、これは先に上卿に与えられた弱卒(アルビン)。自軍の統制に不要であるばかりか、むしろ障碍だったため後続の名の下に排除したのである。


 トゥヤル平原におよそ五十里というところで、再びタケチャクが現れた。今回は割符のおかげですんなりと本営(ゴル)に通される。


「すでに花貌豹は現地で待っています。私が嚮導を命じられました」


 イトゥクは野営を命じて諸将を集め、最後の軍議を行った。翌日、一路トゥヤル平原を目指す。先駆けるドクトの傍ら(デルゲ)にタケチャクがあって全軍を導いた。


 形ばかりに放った斥候が、血相を変えてウリャンハタ軍発見の報をもたらした。イトゥクは鷹揚に頷く。


 やがてトゥヤル平原に至って敵影を認めると、(はや)る志士どもを抑えつつこちらも(デム)()いた。志士軍は約五百騎。対するウリャンハタ軍はおよそ千騎(ミンガン)。自軍に倍する敵を前にしてなお、勇躍(ブレドゥ)して開戦の合図を待つ。


 もとより無謀な連中ではあるが、何より後背に友軍(イル)三千騎が続いていることを知っているからであった。ただしそれがモルトゥ直属の精兵ではないことは知るべくもない。


 イトゥクはそっとチルゲイを手招いた。主将の不安を察したチルゲイは莞爾として言った。


「憂慮されますな。花貌豹は用兵に関しては誰もが認める天才です」


 安堵したイトゥクは布陣が()わったのを見て、いよいよ盛大に銅鑼を打ち鳴らさせる。またそれはウリャンハタへの符牒でもあった。ついにチルゲイ立案による世にも奇妙な(ソオル)が始まる。


 志士軍は喊声とともに前進する。ウリャンハタ軍も直ちに呼応してこれを迎え撃つ。間合いが縮まると、志士どもは(カラ)も待たずにばらばらと矢を放ちはじめる。本来ならドクトは大喝してこれを戒めるところだが、今回は心中ほくそ笑むばかり。


 むしろ相手方の先陣にあるシンやスクが、


「何だ、あれは。矢の浪費ではないか」


 憤慨する。ウリャンハタ軍はもちろん妄動するはずもなく整然と陣を進める。さらに近づくと、志士はもう己を制御できずに手に手に得物を()るや、わっと喊声を挙げて突撃に移行した。


 それを見たシンはまたもや、


「ああ、まずい、まずい。彼奴らは戦の初歩も知らぬらしいぞ!」


 叫ぶ。陣形(バイダル)が乱れたのをサチが見逃すはずもない。さっと片手を挙げると、常のごとくただひと言命令を下す。すなわち、


「斉射」


 旗幟(トグ)がさっと振られると、ウリャンハタ軍から驟雨(クラ)のごとく矢が放たれる。血気に(はや)るばかりの志士どもは、火中に飛び込む羽虫のように次々と(コセル)に落ちる。


 この瞬間にも、目敏(めざと)いものは異状に気づいたかもしれない。だがそれを考える暇はなかった。


「突撃」


 サチの短い命令はすぐに形となって志士軍を襲う。もとより花貌豹直属の精鋭、しかもその先頭には万人に将たる麒麟児と一角虎(エベルトゥ・カブラン)がある。瞬く間(トゥルバス)に突入して片端から叩き伏せる。今や陣形は四分五裂して、悲鳴を挙げるのは志士ばかり。


 とりわけ戦に飢えていたシン、スクの驍勇は凄まじく、シンが鋭い(クルチア)一撃で確実に相手を仕留めていけば、スクは剛力(クチュトゥ)をいかんなく発揮して得物を振るうたびに敵兵を中空高く舞い上げる。


 そのあまりの強さに志士どもは先の強気もどこへやら、すっかり怖気(おじけ)づいて(バラウン)(ヂェウン)へと逃げ惑う。


 だがどこへ行ってもウリャンハタの重囲に突き当たる。これは言うまでもなくサチが戦局に応じて兵を動かしているからであるが、彼らにはたかだか千騎の兵が万にも十万にも思われて、すっかり恐慌を(きた)す。


 ところが、ここに至って(ようや)くみな何かがおかしいことに気づきはじめる。というのは、いくら斬撃を浴びても白粉が散るのみで、衝撃で落馬はしても(ビイ)に傷ひとつ負わされていないのである。


 よくよく観れば、何とウリャンハタ軍の手にした得物の刃先には厚く(フルテスン)が巻いてあって、それに白粉がまぶされているのであった。先に放たれた矢に至っては(やじり)が取り除かれてあった。


 これこそチルゲイの考案した「ウリャンハタの戦を見せる」方策だったのだが、もちろん志士には何が何だかわけがわからない。わけのわからぬまま追い散らされて先の恐慌とは別の不安が押し寄せる。


 イトゥクはついに撤退の金鼓を鳴らさせた。志士どもは(セトゲル)の底から安堵して、とにかく走る。秩序ある(ヂャルチムタイ)退却など望むべくもない。


 これが真の戦であれば、追撃を受けて壊滅は(まぬが)れないところであったが、ウリャンハタ軍も金鼓を聞くと戦場から離脱(アンギダ)しはじめた。そして陣形を組み直す。


 しかしまだチルゲイの計は完了したわけではない。イトゥクは残兵を掻き集めながらトゥヤル平原を離れて、後続の三千騎と合流(ベルチル)を果たすべく駆けた。


 が、それは擬態で、実はウリャンハタ軍を誘導するためであった。サチらは今度は真の矢を矢筒に詰め、刃先を覆った布を取り払って悠然とそのあとを追った。


 翌日、友軍の(セウデル)(とら)えると、イトゥクは直接これに合流せずに小高い(ドブン)の上に布陣した。志士の一人が背後を顧みて悲鳴を挙げる。


「来た! ウリャンハタが追ってきた!」


 ナハンコルジが殊更(ことさら)に叱りつけて、


「案ずるな、たかだか千騎ではないか。見よ、モルトゥ・バアトルの援兵三千がすぐそこに在るぞ!」


 無論、ウリャンハタの諸将もそれに気づいていた。およそ三倍の敵に臆するどころか、むしろおおいに喜ぶ。

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