第一三〇回 ③
バルゲイ燕饗に斃れて衆庶圏営に投じ
モルトゥ軍命を奉じて奇人籌策を運らす
一方、ウリャンハタの北伐軍はチルゲイからの報告を待っていた。やっと飛生鼠ジュゾウが至って事の次第を告げるや、一同小躍りして喜ぶ。太師エジシが頷いて言うには、
「おおいによろしい。あとはクリエンの世論を会盟へと誘導してください。それから、モルトゥ・バアトルに接触を試みてください」
そのモルトゥが兵を率いて向かっていることなど彼らが知る由もない。ともかく命を受けたジュゾウは引き返した。
王大母のクリエンで、あれこれみなで談義しているところへ、あたふたとカンバルがやってきて、
「諸君、容易ならざる事態となった」
イトゥクが尋ねて、
「何があったんです?」
答えて言うには、
「モルトゥ・バアトルが出陣した」
「えっ! それはつまり……」
「そうだ。ウリャンハタ迎撃に発ったのだ」
先ごろモルトゥの幕僚からクリエンに宛てた檄文が届いたらしい。不安を払拭できない幕僚たちの独断でなされたことだが、これも彼らの知るところではない。カンバルは語を継いで、
「それを知った志士どもが騒ぎはじめた。今は王大母殿が抑えているが、いつ暴発するかしれん。一部の過激な連中は、オルドを包囲して出兵の勅許を得んとしている」
「オルドを包囲ですと!? そんな暴挙、許されるわけもない!」
イトゥクが憤慨して立ち上がった。ドクトとナハンコルジも続こうとしたが、オノチがすばやく制する。顧みて、
「チルゲイ、どうする?」
「どうするもこうするもない。この状況を用いてバアトルに会いに行こう」
一同は驚いてその顔を見返す。すると泰然として言うには、
「ジュゾウはご苦労だが、もう一度戻ってモルトゥ出陣の報を伝えてくれ。我々はオルドへ向かおう」
「それでどうする?」
ナハンコルジが目を剥いて問えば、
「志士どもの望みをかなえてやるのさ」
「なっ、それでは意味がないではないか!」
激するナハンコルジに、チルゲイはいつにない冷眼を向けると、
「意味? では聴け。私は少しばかり手荒いことを考えた」
「手荒い?」
「そうだ。あの頑迷な志士どもを手懐けることに拘っていては、一向に埒が明かぬ。死にたいのなら死なせてやろうではないか。これは彼奴らを一掃する好機だとは思わぬか」
「まさか……」
チルゲイは一瞬躊躇する様子を見せたが、すぐに気を取り直して言い放った。
「彼奴らの望みを容れたふりをしてクリエンから引き離し、然るべき策をもってこれを殲滅する」
あの奇人の口から出たとは思えない策に、一同は愕然としてすぐには言うべき言葉も知らない有様。堪らずイトゥクが、
「それはあまりに酷い! 彼らとて部族を思う同志、それを騙し討ちにするなど……」
ふっと息を漏らして微笑むと、
「そう言うと思った。案ずるな、私とて命まで奪おうとは思わぬ。殲滅するべきはその過激、蒙昧な思想のみ」
「…………」
「わけがわからぬという顔だな。つまり、彼ら志士どもはあまりにも道理を解さぬ。尊王攘夷を唱えるばかりで、それができるかどうか測ろうともしない。実のところ、尊王と攘夷をともに行うことはできない。この機会にそれを教えてやろうと思うのだ」
「どうやって……?」
「ウリャンハタ軍の戦を実地に体感してもらうのさ。そうすればいかに魯鈍でも、さすがに自らの無謀に想到しよう」
「戦を体感すると云っても……」
「もちろんまともに戦えば死者も出るし、かえって敵愾心を煽ることになりかねん。そこで友軍と示し合わせてひと芝居打つことにする」
今や誰も口を挟もうとすらしない。そこでにやりと笑うと、
「みな、耳を貸せ」
何やら囁けば、一同愕然として開いた口が塞がらない。カンバルが疑わしげに眉を顰めて、
「そのように奇妙なこと、実行できるのか?」
軽やかに笑いつつ答えて、
「心配は要りません。我がウリャンハタには、いかなる珍奇な策戦も必ず成し遂げる名将がおります」
ジュゾウを顧みて言うには、
「わかっているだろうな」
「お前が言うのは、花貌豹のことだろう」
「察しがいいな、そのとおりだ。君は中軍にモルトゥ出陣を伝えたら、併せて今述べた策を進言してほしい。そして必ず花貌豹にそれを託すよう勧めてくれ。彼女でなければこんな微妙な用兵はできぬ」
「承知」
「君には以後も早馬を嘱むことになろう。手が足りぬようだったら矮狻猊を借りておけ」
「もとよりそのつもりさ」
「よし、細かいことはあとだ。さあ、参ろう」
立ち上がると、さっさとゲルを出る。一同はうち揃ってオルドへ向かった。