第一三〇回 ②
バルゲイ燕饗に斃れて衆庶圏営に投じ
モルトゥ軍命を奉じて奇人籌策を運らす
カンバルが拱手して言うには、
「姦兇僕と尽忠社はゴコクの疾病、それを討った彼らの行為は義挙です。これを容れずして何人を容れましょうや。畏れながら大カンの御意にも副うことかと存じます。躊躇なさいますな」
「そうだねえ。ならば賢婀嬌、彼らを導いて、クリエンに然るべきところを得さしめよ」
「承知」
そしてガラコは様子を伺っていた志士どもに、
「喜べ! 人衆を害う禿鷹どもは、彼らによって誅戮された!」
わっと歓声が挙がり、志士どもは足を踏み鳴らし、躍り上がって喜んだ。このことはほどなく知れわたり、一般の人衆もおおいに安堵した。喧噪の輪から逃れたカンバルは、ついとガラコに近寄って、
「禿頭虎に降伏を勧めたのが、思いもかけぬ結果を生みましたな。まさか返り討ちに遭うとは……」
「所詮そこまでの男だったということさ。テンゲリに見放されたね」
それから二人はオルドを訪ねた。すでに弓箭士としてイトゥクらが詰めていた。ガラコは進み出て、怯えるハヤスンに事の次第を報告した。ハヤスンはほっとして言うには、
「ならば王大母よ。汝が今よりゴコクの族長の位を襲うがいい。早急に人衆の動揺を鎮めてクリエンを再編せよ」
勅命を下す。しぶしぶ拝命して退出すると、チルゲイが追ってきて言うには、
「族長就任、おめでとうございます」
「何がめでたいものか。族長なんてなりたくもないよ。でもしかたないからねぇ」
チルゲイはふと表情を改めると、
「王大母様、身辺にお気をつけください」
「ん? どういう意味だい」
「上卿が刺客を差し向けてくるかもしれません」
「ふん。そんなものを恐れる王大母じゃないさ」
「いえ、怠ってはいけません。これまで彼奴らは禿頭虎をして王大母様を牽制させていました。しかし奴が死んだ今、必ずや別の手を打ってくるでしょう。このクリエンが存立しているのは王大母様の力の賜物、それをお忘れなく」
「ふうむ、わかったよ」
「我々は大カンの警護に意を注ぎましょう。よいですか、上卿は必ず大カンと王大母様を狙ってきます」
ガラコは呵々と笑って、
「私は心配要らないよ。大カンの警護をしっかりおやり」
「承知」
神妙に答えて退いたが、くどくどしい話は抜きにする。
果たして奇人の予想が中たったと云うべきか、それとも世の奸人の考えるところは常に同じと云うべきか。シュガク氏族長デゲイは、ゴコクの政変を聞いて早速混血児ムライに諮ったところ、
「王大母と廃帝を暗殺するのがよろしいでしょう」
との回答を得て、おおいに満足した。麾下の隷民から特に武技に長じたものを選抜して直ちに命を下す。刺客の一団はその日のうちに発った。デゲイはひとまず安堵すると、またムライを召して尋ねた。
「どう、モルトゥはおとなしくしている?」
「はい。バアトルはさすがに生粋の武人。不平も言わずに近衛兵の調練に励んでおります」
「ほっほっほ。シャガイの弱卒を鍛え直すのはさぞかし難儀であろうな」
頬を緩めるデゲイを見て、ムライの瞳が怪しい光芒を放つ。
「されどデゲイ様。バアトルに対する処置、まだ甘いかと存じます」
「ほほう。君には何か良い思案があるのか」
「はい。いかに弱卒といえども、バアトルの手にかかれば、いずれ屈強の兵に変わるのは必定。さればまたバアトルは強大な兵権を手中に収めることになります」
「そうだろうね。でもね、さすがに忠義に厚いモルトゥでも再び兵を奪うのは……」
「仰せのとおりでございます。さればバアトルが強兵を得る前に死地へ送るのが賢明かと」
「死地?」
「はい。バアトルは自他ともに認める名将でございます。さればこれをウリャンハタと戦わせることに誰が異を唱えましょう」
「なるほど。ウリャンハタにモルトゥを葬らせれば、僕の手を汚さずにすむね」
「はい。これぞ『借刀殺人の計』でございます」
デゲイはおおいに喜んでこれを賞した。エジシのものとまったく同じ名を冠する計略を用いても、その内実は雲泥の差。古詩に謂う「智あり、必ずしも義ならず」とはこのことを云うのである。
上卿会議にて提案すればもとより奸臣の衆にて異議のあるはずもなく、すんなりと出征の勅が下りる。また数百里の西遷も併せて裁可される。ウリャンハタ軍の北進以降、すでに何百里も西へ移動していたが、今またさらなる西遷が決議されたのである。
勅を受けたモルトゥは恭しくこれを拝命したが、内心思うに、
「上卿どもはよほど私を憎んでいるらしい。聞けば私が出征したあと、彼奴らはカンを戴いて西遷するとか。なれば後続があるわけもなく、私は敵中に孤立するではないか」
とておおいに立腹した。それでも勅命は勅命である。幕僚に出征の準備を命じたが、みなおおいに不平を唱えてこれを諫めた。そこで彼らを一堂に集めて諭して言うには、
「出兵は勅である。何より冦難によって我が部族は危機に瀕している。部族を思えば出兵の是非を論じる余地があろうか。上卿への不信を盾にして言を左右するのは怯懦である。もはや私の意志は固い。諫めるなかれ」
そうと聞けば口を閉ざすほかない。急いで準備が進められた。調練を始めて日が浅いため、いろいろとままならぬこともあったが何とか出立する。
総じて八千騎、そのうち五千騎はシャガイ氏から没収して調練した近衛軍である。余の三千騎は新たに上卿会議から与えられたものだが、兵とは名ばかりの弱卒の群れ。
いかに名将とはいえ、この脆弱な陣容で精強をもって知られるウリャンハタ三万五千騎に抗するのは誰が見ても無謀であった。不安がる幕僚をよそにモルトゥは颯爽と先頭を進む。
実はすでにして彼は生還の望みを捨てていた。人衆が避難する時日を僅かなりとも稼ぎ、また敵人を一兵でも多く道連れにして死ぬ肚を決めていたのである。
かくしてモルトゥは躊躇することなく敵影を索めて東へと馬を進めたが、この話もここまで。