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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
516/783

第一二九回 ④

カンバル好漢と語りて(たちま)ち本籍を(あば)

チルゲイ女傑に()べて大いに事理を弁ず

 ガラコはふんと(ハマル)で笑うと、


「それは大義名分、何が『善き隣人』だい。本心を言いな」


 あわてる様子もなく、


「本心も本心、まったくの本心です。では伺います。今、草原(ミノウル)で最も求められているものは何でしょう?」


「最も求められているだって?」


 それを聞くや、待ってましたとばかりに語りはじめる。


はい(ヂェー)。考えるまでもないでしょう、それは平和(ヘンケ)安寧(オルグ)です。我々草原(ミノウル)の民は、中華(キタド)走狗(ノガイ)ではありません。自ら思い、自ら歩く民でなければなりません。中華(キタド)の干渉を廃して自ら思い、自ら歩くためには、内に在ってそれを妨げるものを除く必要があります。ですからウリャンハタの民はヤクマン部と戦い、今またクル・ジョルチ部の上卿を打倒せんとしているのです。なぜなら、中華(キタド)(くびき)(注1)を脱することが、すなわち己の利になるからです。草原(ミノウル)の民が結束(ヂャンギ)すれば、その(クチ)はきっと絶大なものになります。それは外敵(ダイスンクン)から牧地(ヌントゥグ)を守るに足り、平和は交易を活発にし、その恩恵によってより豊か(バヤン)な暮らしを享受できるでしょう。私が言うところの『利』とは、そして『善き隣人としてともに繁栄を謳歌する』とはそういうことです。本来関わりのない中華(キタド)に踊らされて、同じ草原(ミノウル)の民が殺し合う(アラルドゥクイ)愚をこれ以上許してはいけません」


 ガラコは唖然としてモルテに視線を移す。受けて言うには、


「チルゲイ殿とやら。中華(キタド)はクル・ジョルチにとっては遥かな異国(カリ)中華(キタド)に踊らされて、などと言われても得心がいきません。クル・ジョルチの内争(ブルガルドゥアン)や、ウリャンハタとの確執に果たして影響がありますか?」


「あります」


 断乎として言い放てば、ガラコは疑わしげな(ヌル)で、


「ならば何故か問おう」


 問われて答えるのは、奇人にとっては易いこと。滔々(とうとう)と語りはじめる。


「かつてジョルチ部は、中華(キタド)からのちに英王に封じられるトオレベ・ウルチと版図(ネウリド)を接していたために、その謀略によって部族(ヤスタン)を四散させられました。たしかにクル・ジョルチ部はそのように直に害を(こうむ)ったことはありません。しかし、今に至る乱世がいつから始まったのか考えてみてください。それは明らかにジョルチが分裂したことに端を発しているのです。まず争乱(ブルガルドゥアン)によって通商の安全が確保できなくなりました。また、(ソオル)によって牧地や家畜(アドオスン)を失ったものの多くが、野盗(クラガイ)山賊(ヂェテ)の類に転落しました。そのためにさらに治安が悪化、西域(ハラ・ガヂャル)諸国との交易は激減しました。それが神都(カムトタオ)秩序(ヂャサグ)紊乱(びんらん)、政事の腐敗を招き、果たしてヒスワという奸物を産んだのです。またトオレベ・ウルチは、ジョルチが再統一せぬよう巧妙に内乱を煽動し続けました。ためにジョルチは、ジョルチン・ハーンという英雄を得るまで、三十年もの月日を内乱に費やしたのです。それはそのまま中原の混乱の歳月でもあります」


 馬乳酒(アイラグ)をひと口含んで(ヘル)を湿すと、ますます弁じて、


「西原に話を移しましょう。東原への(モル)が衰退したことによって、西原こそ東西交易の主人(エヂェン)となりました。イシ、カムタイなどの都城(バリク)はたちまち規模を拡張し、それによってもたらされる莫大な富に、多くの人衆(ウルス)(ニドゥ)を奪われました。ために西原全域に利を追う風潮が生まれ、やがて人を(おとしい)れることも辞さぬようになりました。しかしこの競争は、もとより富めるもの、権力を()つものにこそ有利でした。最も富み、最も権力があったのは誰でしょう。それはウリャンハタにおける大カンであり、クル・ジョルチにおける上卿です。結局、富は両者に集中するばかりで、人衆は以前にまして困窮する有様。それでも飽き足らず、両者は利を独占するべく互いに妨害、牽制を繰り返し、それがまた新たな軋轢(あつれき)を生みました。ついには毎年のように干戈を交えて、交易によって得た富を浪費するようになったのです。これは草原(ミノウル)の民が結束することを恐れる中華(キタド)にとってはおおいに歓迎すべきことでした。そこで密かに走狗たるヤクマンを通じて、双方の対立を煽り続けたのです。自らは動かず、謀略によって(ブルガ)の力を削るのは、ジョルチに対しても行われたように彼奴らの得手とするところ。先年、我々が中原に出征した隙に上卿を(そそのか)して留守(アウルグ)を襲わせたのも同じ(アディル)です。かかる無益な争いを根絶(ムクリ・ムスクリ)するために、我々はミクケルに叛旗を(ひるがえ)し、今また総力を挙げて北伐に臨んだのです。草原(ミノウル)の民が、まことに『自ら思い、自ら歩く』民になるのに避けては通れないからこそ軍を興したのであって、報復などそれこそ大義名分に過ぎません。かかる高邁な理想がありながら、どうして小さな怨みに(こだわ)りましょうや。これが先の王大母様の問いに対する答えであり、ウリャンハタが()()()()()()()()()()()()です」


 チルゲイはやっと(アマン)を閉じると、涼しい顔で二人の女傑を見遣(みや)る。ガラコは呆然としていたが、何か言わなければとて思わず口を衝いたのが、


「……まあ、よく喋る(クウ)だねぇ」


 これにはついカンバルが吹き出す。座は一瞬に(なご)やかな空気に包まれた。笑い収めたモルテが感心したように言った。


「これまで西原の事情(アブリ)が中原の混乱に発しているとは思いも寄らず、諸悪の根源(ウヂャウル)は上卿会議にあるとのみ考えていました。視野の狭さを恥じるばかりです」


「それは私をはじめウリャンハタのものもみなそうですよ。ただ我らは幸いにも、早くにジョルチン・ハーンと接したおかげで革命を達成することができました。かのジョルチ部の英雄に触れたことが我らをして蒙を(ひら)かしめたのです。そうでなければどうしてかかる発想を得られたでしょう」


 チルゲイが言えば、カンバルが呟くように言った。


「エジシが出奔して中原に投じたのがおよそ三十年前……。となると彼も中原の混乱をその目で見ていたのだな……」


はい(ヂェー)。ですから草原(ミノウル)全体を(おもんぱか)って、ジョルチの兵を刀とせよとおっしゃられたのでしょう。そもそも最初にジョルチン・ハーンに英雄の資質(アルガ)を認めたのがエジシ太師であると聞いています」


「そうであったか……」


 しばしそれぞれの思いに沈まんとしていたところ、ガラコがぱんと膝を叩いて、


よろしい(サイン)! 私らもその大義とやらに運命(ヂヤー)を委ねてみようじゃないか」


「では……」


「何度も言わせるんじゃないよ。私はあんたたちの味方(イル)だと言ってるのさ」


 そうなれば話は早い。カンバルも半ば革命は成ったかのごとく喜ぶ。ところが祝杯を挙げているところに駈け込んできたものがあって言うには、


「王大母様! すぐにおいでください!」


 この男の語ったところから好漢女傑は等しく因果応報の(ヨス)(ヂャカ)を正し、再び人衆の憤懣の大なるを悟って回天の大業に奮迅することになるのだが、果たして男は何と告げたか。それは次回で。

(注1)【(くびき)】車の(ながえ)の前端に渡して、牛馬の(くび)の後ろにかける横木。転じて、自由を束縛するもの。

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