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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
512/783

第一二八回 ④

カンバル勅命を奉じて禿頭虎の断を(うなが)

イトゥク聖上に謁して弓箭士の官を得る

 宴が始まるや、イトゥクには次々と問いが投げかけられる。微笑を絶やすことなく弁舌爽やかに応答すれば、みなおおいに感心する。


 実はガラコとモルテは、志士にもてはやされる靖難将軍がやはり過激な思想を()っているのではないかと内心危惧していた。しかしその落ち着いた人となりにほっと(オモリウド)を撫で下ろす。


 いよいよ宴も終わりに近づくと、ハヤスンはイトゥクらに官職を授けんと欲した。モルテは考えた末に「弓箭士(ホルチン)」の職を挙げる。すなわち大カンの身辺を警護する役である。六人はそれぞれ喜んで拝命すると、ゲルを割り当てられて退出した。


 表には志士が大勢集って声高に(ボロ・ダラスン)を酌み交わしていた。六人が現れると大歓声が巻き起こる。続いて出てきたガラコが(ダウン)を張り上げて、


「こら、いつまで騒いでいるんだい。ここはオルドの前だよ!」


 志士どもは高笑いして謝り、(ようや)く去っていく。と、うちの一人がそっと近づいてくると、


「私は師傅(しふ)様の使いで参ったものです。いずれ落ち着きましたらご招待したいとのこと。お忘れなきよう」


「師傅様とはどなたのことでしょう?」


 問えばモルテが答えて、


黥大夫(げいたいふ)カンバル殿のことです」


 六人はおおいに驚いて(ヌル)を見合わせる。(いぶか)しく思ったモルテが逆に尋ねて、


「カンバル殿をご存知なのですか」


いえ(ブルウ)、面識はありませんが、カンバル様は上卿の不興を買って放逐されたと伺っていたので……」


「そうですか。実は先日こちらに見えたばかりなのです」


 六人はこの偶然を喜びつつその場を辞す。ゲルにて旅装を解くと互いに(はか)らんとしたが、そこへまた志士どもがやってきたのでやむなく交歓のときを持つ。結局、夜半まで呑み続けてやっと散会となった。




 翌朝、いまだ(ナラン)も昇りきらぬころに訪ねてきたものがある。無論イトゥクらは深い眠りの中だったが、ジュゾウが独り気づいて、ぼやきながら戸張(エウデン)を開く。そこには昨日の師傅の使いと称した男が立っていた。盛んに恐縮しつつ述べるには、


「師傅様が余人を交えずにお会いしたいと申されましたので、非礼(ヨスグイ)を承知でこんな早朝に伺いました。お疲れのところ申し訳ありませんが、ご足労願えますか」


 カンバルの招きなら断る道理(ヨス)もないので、急いでほかの五人を起こす。イトゥク、オノチは即座に目覚めたが、ドクトとナハンコルジは顔を(ゆが)めて不平を鳴らし、チルゲイに至っては微動だにしない。


 事情を聞いてやっと得心したナハンコルジが、それでも不機嫌な調子でチルゲイを指して言った。


「こいつは置いていこう」


 するとどういう拍子か、ぱちりと(ニドゥ)を開けて、


「何を言うか、石沐猴(せきもっこう)。私も行くぞ」


 とてみなを驚かす。次いで身を起こすと、辺りを見廻してひと言、


「で、どこへ行くのだ?」


 ナハンコルジは呆れて、


「やっぱり置いていったほうがよくないか?」


 もちろんそういうわけにもいかないので、揃ってゲルを出る。男の案内で黎明の中を歩いていく。やがてひとつのゲルに達すると小声で言うには、


「こちらでございます。……先生、靖難将軍様をお連れしました」


 (かす)かに返事らしきものがあったので戸張を開く。中へ入ると正面に温顔の学士が座っている。その(マグナイ)には罪人の印たる(いれずみ)、すなわ黥大夫カンバルであった。


 周囲には数人の若者(ヂャラウス)があったが、六人を見るや立ち上がって丁重に挨拶する。あわてて返礼するのをカンバルが制して、


「こんな早くに申し訳ない。どうしても話がしたかったのだ」


 イトゥクが拱手して答えて、


「とんでもない! 高名(ネルテイ)なカンバル様にお会いできて、これに勝る喜び(ヂルガラン)はありません」


 カンバルは莞爾と笑って返礼すると、左右に告げて言うには、


「君たちは彼らに席を譲って、自分のゲルに戻りたまえ」


「えっ? 我々も臨席させていただけるものとばかり……」


 若者たちは不服そうだったが、有無を言わさぬ調子で言うには、


「悪いがそうしてくれ。言っただろう、余人を交えずに話し合いたいと」


「……はい(ヂェー)。それでは先生、またあとで参ります」


 未練を残しつつ、それぞれ挨拶して去る。誰もいなくなると六人を空いた席に座らせる。カンバルの右手(バラウン)にイトゥク、ジュゾウ、オノチが、左手(ヂェウン)にチルゲイ、ドクト、ナハンコルジが座を占める。


 手渡された杯に馬乳酒(アイラグ)が注がれると、遅くまで呑んでいたにもかかわらず左手の三人はうまそうにこれを干した。


 カンバルは、話があると言っておきながらひと言も喋らない。ただ微笑しているばかりである。たまらずイトゥクが(アマン)を開きかけたところ、ついに言うには、


「我が部族(ヤスタン)の踏むべき(モル)についてご意見を伺いたい」


 静か(ヌタ)な口調ではあったが、そこには姑息(注1)な返答を(ゆる)さぬ威厳があった。思わず(ヂャカ)を正すと、


「されば……」


 とて思うところを述べはじめる。ここで語ったことから回天の大業は一大転機を迎え、ついには義軍の助力(トゥサ)を得て事理を(ただ)すといった次第になるわけだが、果たしてイトゥクは何と答えたか。それは次回で。

(注1)【姑息】根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせにすること。また、そのさま。その場しのぎ。

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