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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
508/783

第一二七回 ④

靖難将エジシに服して教導を請い

(げい)大夫ガラコに投じて躁恣(そうし)(ただ)

 歓声が静まるのを待ってさらに言った。


「私はこれより大カンに拝謁いたす。大カンこそは唯一(ガグチャ)にして絶対、侵すべからざる至尊である。よろしく勅命(ヂャルリク)に従い、決して妄動するなかれ。大カンはあまねき人衆(ウルス)(エヂェン)であり、諸君だけの主ではない。その宸襟(しんきん)(注1)を騒がし奉る軽佻(けいちょう)(注2)の輩は、大業を(やぶ)る姦賊である。必ずそれを念頭に置いて、軽々に動くことを戒めよ」


 殊更(ことさら)に「大カン」の語に(クチ)を込めつつ説けば、一斉に承知(ヂェー)(ダウン)が挙がる。カンバルは顧みてにやりと笑うと、(ようや)くオルドへ(フル)を向けた。二人の女傑は感心しつつこれに(したが)う。


 カンバルを引見したハヤスンは、おおいに喜んで言葉(ウゲ)を賜って言うには、


「名高き黥大夫(げいたいふ)を迎えることができたのは欣快至極。うむ、汝を上卿に任じよう。永く余を(たす)けてもらいたい」


 カンバルは恭しく礼を述べたが、おもむろに(アマン)を開くと、


「身に余る光栄なれど、お()けすることはできませぬ」


 ハヤスンは途端に狼狽して、


「な、なぜか。余は何か(まず)いことを言ったか」


 見るも哀れな有様。これもずっと上卿の顔色を窺って過ごしてきた残滓(ざんし)。カンバルは悠揚迫らぬ調子で説いて言うには、


「畏れながら申し上げます。そもそも我が部族(ヤスタン)疲弊(ハウタル)せしめたるは、(ネグ)に上卿どもの罪責でございます。今は内に和し、外に侮られぬために上卿専制を打破して弊風を払わねばならぬとき。然るにここで私が大カンより上卿に任ぜられるようならば、きっと人衆は失望するでしょう。ゆえに無礼(ヨスグイ)と知りつつ、お承けできぬと申し上げたのです」


 平伏して叩頭する。ハヤスンはどうしてよいかわからずに賢婀嬌(けんあきょう)に助けを求める。応じて進み出ると、


「黥大夫の言、まことにもっともかと存じます。ついてはほかに然るべき職をお授けくださるようお願い申し上げます」


 そう言われても自らは何も決められない。側近(コトチン)を顧みたが、一様に面を伏せる。そもそもハヤスンは上卿と近衛大将よりほかに官職を知らない。痺れを切らしたガラコが、


「賢婀嬌、何か適当なものはないのかい? 黥大夫は本来官職なんか要らないんだろうけど、それじゃあ大カンのお志が無になっちまう」


 それではとしばらく考えて、やがて莞爾と微笑むと、


「……師傅(しふ)がよろしいかと存じます」


「おお、それがよい、それがよい!」


 ハヤスンはそれがどういうものかも判らなかったが、あわてて賛成する。かくしてカンバルは師傅となった。


 師傅とは大カンの顧問である。ことに当たって諮問に応じ、ときにはこれを教育する任を負っている。よって教養に富み、見識に優れた人物であることが望まれるが、常には為すべき業務があるわけではない。ジョルチ部における太師にほぼ相当する位である。


 さて、カンバルはゲルを与えられてクリエンに起居することになった。連日志士が押し寄せてきて活況を呈する。カンバルは泰然と彼らが空論を(もてあそ)ぶのを聴きながら、ときに鋭い指摘をするのが常であった。


 そのうちに志士の中に持論に疑いを抱くものが現われた。彼らはやがて自ら言うことを止めて、黙座してカンバルが口を開くのを待つようになった。ついには進んで教えを請うものもあった。


 ここに至って(ようや)くカンバルは己の信じるところを説いた。無論、それは志士たちが正義としてきたこととは一線を(かく)するものであったから、あるいは惑い、あるいは反発した。


 自然志士たちは賛否両派に分かれて舌戦するようになり、クリエンは次第に騒然としてきた。


 これを憂えたものがいる。良識ある賢婀嬌である。彼女はいたずらに相争う志士たちを憂慮したのではない。では何を(おもんぱか)ったかと云えば、過激な尊攘派がカンバルに危害を加えることを恐れたのである。そこでガラコに(はか)れば、


「私らが赴けばあらぬ噂を呼んで、さらに話がややこしくなるだけさ。大カンに勅使を立ててもらってオルドに招くのがよかろうよ」


 早速ハヤスンに(まみ)えて奏上すれば、彼も師傅に会いたがっていたので喜んで承知する。勅使が飛んでまもなくカンバルは姿(カラア)を現す。


 無事に拝謁をすませたあと、待っていた二人の女傑に会う。相変わらず飄然たる様子だったが、彼も不穏な空気を察知していたらしく、開口一番言うには、


「オルドへ参ると告げたら、志士どもが護衛するとてついてきました。おもしろい(ソニルホルトイ)ことになってきたようですね」


 モルテが諫めて、


「過激なものどもが思慮なく師傅を害さぬともかぎりません」


「心配は無用です。仮にも私は大カンの師傅、それを害することは自らの正義を失うことですから、志士を自任する連中は私を殺せません」


 ガラコが傍ら(デルゲ)から、


「でも志士同士が騒ぎを起こすことはあるだろうさ」


「ははは、それこそ自らの(アミン)を縮める行為ですな。かかるものは大カンの名において、容赦なく処罰されるでしょう」


「まあ、気をつけてやっとくれよ。師傅が考えているより奴らは愚かだからね」


 ふとモルテが思い出したように、


「先日おっしゃっていた禿頭虎(ハルザン・カブラン)の件はいかがなされました?」


「もちろん忘れていたわけではありません。それなりの準備が必要かと思い、ここに留まっていたのです。やや時期尚早かもしれませんが、あまり待たせてはバルゲイも不安でしょうから、つきましては先にお話ししたとおり王大母殿にご協力願います」


「そりゃあかまわないよ。(まか)せると言ったんだからね。何でもやるさ」


 威勢の好い返事にカンバルは莞然と笑いつつ口を開く。


 さてこのとき彼の語りたる言葉(ウグレグセン・ウゲ)から、大奸は喜びを得るも身を失い、小奸は憂いを抱いて兇を為すことになる。


 まさしく世に姦悪を行いて身を全うするは難く、人に兇刃を向ければかえって己を殺すといったところ。果たして黥大夫は何と言ったか。それは次回で。

(注1)【宸襟(しんきん)】天子の御心。


(注2)【軽佻(けいちょう)】考えが浅く、調子にのって行動する様子。

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