第一二七回 ③
靖難将エジシに服して教導を請い
黥大夫ガラコに投じて躁恣を匡す
カンバルは酒で口を湿しつつ、さらに言うには、
「先ほど外寇の難は回天の業に優先するとおっしゃいましたが、実はそれは違うと思っています。むしろ部族を外敵から衛るために、速やかに上卿会議を打破しなければならない、つまり両者は不可分のものかと。上卿に専権を委ねたまま手を拱いていれば、必ずクル・ジョルチは亡びます」
ガラコはううむと唸って眉間に皺を寄せる。代わってモルテが言うには、
「しかしここに集う人衆は禿頭虎と姦兇僕を怨むこと甚だしく、帰順を容易に肯じるとは思えません。いかに大カンの許諾を得ても、かえって混乱を招くのではありませんか?」
するとカンバルはぴしりと卓を叩いて、
「大カンが是としてなお異を唱えるものあらば、それこそ由々しき事態です。かかるものは濫りに大カンの名を騙る暴徒、真に部族を憂えるものではありません。そのような狂悖(注1)の徒はともに謀るに足らぬばかりか、上卿と同じく部族を毀るものにほかならず、ともに大カンを奉戴することはできません」
その俄かに激越な調子にモルテは息を呑む。その目には、志士たちに似た過激な尊王を危ぶむ色が浮かぶ。と、カンバルは莞爾と笑って口調を和らげる。
「驚かれましたか。志士どもは道理には昏いくせに、やたらと難解な言葉を使いたがります。その耳に入りやすいように、あえて彼らの話法に則ってみました」
ガラコがほっと息を吐いて、
「何だい、驚いたよ」
「しかしあの志士どもには、今のごとき尊王の理を周知させておいたほうがよいということです。さもなくんば理非曲直も弁えぬまま暴走してしまうでしょう。それではいつまで経っても足が揃いませぬ。大カンの権威を大にして、その名の下に一統を進めるべきだと愚考いたしました」
「それにしたってやはり抵抗はあるだろうね。そもそもここに居るのは上卿の迫害を逃れてきたものばかりだ。いくら大カンの赦しがあっても、易々とは得心しないだろう」
モルテも同意して、
「それだけ上卿が人衆を虐げてきたということです」
カンバルは片眉を上げて黙り込む。しかし気を取り直して言うには、
「ではお二人自身はどうお考えですか」
ガラコが即座に言うには、
「そりゃ私はかまわないよ。だいたい私とあの禿頭には何の遺恨もないんだからね。こうして相分かれて啀み合っているほうがおかしいのさ。まあ、あの姦兇僕の一味さえいなけりゃ言うことはないんだけどねぇ」
「賢婀嬌殿はいかがですか」
「私もそのように考えます」
「ふうむ。……ではバルゲイが尽忠社を廃すれば、人衆や志士の印象も良化するでしょうか」
二人は難しい顔で答えない。カンバルはさらに言った。
「ならば一歩進めて、尽忠社を誅戮して人衆に詫びたらどうです?」
ガラコが驚いて、
「あの禿頭がそんなことするかい? まあ、そこまでやってくれたらうるさい志士どもを宥めやすくはなるだろうけどね」
漸くカンバルは莞爾と笑って、
「そうするよう説いてみましょう。畢竟そうせざるをえないでしょうな。バルゲイにはすでに打つ手がありません。たかが隷民と命運をともにするほど愚かでもないでしょう」
また言うには、
「回天を早期に成し遂げるためにも、上卿の一人が降ったという事実が大きいのです。今や上卿たちの結束は緩んでいます。シャガイ氏のハルが不当に処罰されたことはご承知でしょう。ここでバルゲイすら赦されたとなれば、彼奴らの動揺は必至。何せ己の保身を第一に考える連中ですから」
「そういうもんかねえ」
半信半疑のガラコに、ゆっくりと頷き返す。モルテがいささか不安な面持ちで言うには、
「しかし禿頭虎の帰順に王大母殿が助力したと知ったら、まさかとは思いますが、あの志士たちが王大母殿に危害を加えるということはないでしょうか」
「そんな暴挙を許してはいけません。それに……」
ガラコが中途で制して、
「それに、私は己の命を惜しむような卑劣な女じゃないよ。賢婀嬌はいつも正しいが、これについては少し的が外れたようだね」
モルテは赤くなってそっと俯く。ガラコはぐいと杯を呷ると、
「なあ、賢婀嬌よ。ここは黥大夫に委せてみようじゃないか。たしかにこのままじゃあクル・ジョルチは衰亡を待つばかりだよ。黥大夫の言うことは筋も通っていることだし、私らがあれこれ言うべきものではないさ」
「出過ぎたことを申しました」
「ははは、ならば今すぐ大カンに拝謁いたしましょう」
快活に笑ってカンバルが席を立つ。余の二人もついと立って、肩を並べてゲルを出る。
すると周囲は噂を聞きつけた多くの志士に囲まれていた。三人は驚いてすぐには言うべき言葉も知らない。やがて志士の一人が進み出ると、平伏して挨拶を述べる。言うには、
「黥大夫様の名は久しく聞いておりました。今ここに見えることができて、これに勝る喜びはありません。迷える我らを正しき道にお導きくださるよう、伏してお願い申し上げます」
余のものもその場に平伏してこれを拝礼する。カンバルはガラコらと思わず顔を見合わせる。困惑しつつも言うには、
「私と諸君は志を同じくする同志だ。過分な礼は無用にしてもらおう。ともに大カンを奉じてクル・ジョルチを救おうではないか」
その言葉が終わらないうちから大歓声が巻き起こる。
(注1)【狂悖】非常識で道義に背く言動をすること。