第一二六回 ①
黥徒バルゲイを訪ねて回生の策を授け
太師ナオルに合して志士の蒙を啓く
さて王大母追討に失敗した上卿たちはおおいに狼狽した。シュガク氏族長デゲイは混血児ムライに諮って、上卿会議は以後ゴコク氏の内紛には干渉しないという論をもってこれを収拾した。
本来は、上卿に服さぬ王大母ガラコを追討するという名分で派兵したわけだったが、言を翻して単なる私闘と断じたのである。
さらにはこれに助力したとしてシャガイ氏族長ハルの任を解いて兵を奪った。その兵は新設の近衛軍に充てる。この措置に合わせて、デゲイは人望あるモルトゥを兵衆から切り離すことに成功した。すなわち彼を近衛軍の帥将に移したのである。
上卿会議から見放されたバルゲイはやむをえず撃って出たが、到底ガラコに敵しえず易々と撃ち破られる。途方に暮れたバルゲイのもとを一人の学士が訪ねた。
男は一頭の馬を牽いて陣前に立った。髪は乱れ、袍衣は擦り切れている。衛兵はそのみすぼらしい風体を見て追い払おうとしたが、男は泰然と笑って、
「バルゲイ様を救いに参った。まずは取り次がれよ」
そう繰り返すばかり。ついには気味が悪くなって主に報告する。バルゲイもまた首を傾げたが、今は万策尽きて困り果てている。窮状を救ってくれるならばどんなものにも縋りたい気分であった。
男はすぐに招かれることになり、悠然と戸張をくぐった。揖拝して座すといきなり口を開いて、
「バルゲイ様の一身はもとより、ゴコクの人衆を救う策をお教えしたいと思って参上いたしました」
相好を崩して丁重に返礼すると、
「私は愚鈍にて為すべき方途が見つかりませぬ。何とぞご教示ください」
莞爾と微笑んで答えて、
「私は一介の学士に過ぎませぬ。過分な礼はご遠慮願います」
「先生、いかなる策をお持ちなのか、ぜひお聞かせください」
再三請えば、すっと目線で姦兇僕チンガイを指して、
「その前に、そこで私を睨んでいる無頼を何とかしてください」
はっとして叱りつけて言うには、
「こら、なぜそんな非礼な態度をとるのだ。先生に謝れ」
おおいに不服そうに答えて、
「なぜこんな得体の知れぬものを追い出してしまわぬのですか。此奴は我らの窮状につけこんで何ごとか企んでいるに違いありません」
「うるさい! お前ごときが容喙すべきことではない。席を外せ」
チンガイは殺意すら籠もった目で睨みつけながら退出する。
「さあ、これでよろしいですか」
頷くと表情を改めて、
「私は今からバルゲイ様を救う策を述べます。それは決して耳に心地好いものではありませんが、途中でお怒りになってはいけません。最後までお聴きくださるよう、まずはお願い申し上げておきましょう」
「この窮地より逃れられるならば、どんな苦言もあえてお受けいたします」
「それを聞いて安心しました」
それでもなおすぐには語ろうとしない。堪りかねて促そうとしたところ、やっと口を開いて、
「これまで信じてきたものをすべて棄てねばなりません」
そしてまた黙り込む。少しく困惑して、
「今、何とおっしゃいましたか」
「信じてきたものを棄てよ、と申し上げました」
ますます混乱して、
「もう少し詳しくお願いします。それだけでは私には何のことだか……」
例によって禿頭に大粒の汗が浮かぶ。男は威儀を正してこれを正視すると、ついに言うには、
「大カンに降りなさい。さすれば安寧を得るでしょう」
バルゲイは呆気にとられて言葉もない。男が再び言うには、
「辞を卑くして大カンに降りなさい」
この男は少し頭がおかしいのではないか、とバルゲイは考えはじめる。降るも何も、そのカンの名において上卿会議から見放されたばかりである。と、俄かに男が最初に語りたる言葉を思い出す。すなわち「信じてきたものをすべて棄てよ」というもの。
彼にとってそれはまさしく上卿会議である。となると男の指す「大カン」とはチャウン・カンのことではなさそうだ。そもそもチャウンは「大カン」などという尊称では呼ばれない。ただのカンである。
クル・ジョルチ部にあるもう一人のカンとは、すなわちハヤスンのことである。今や完全に男の意図を察すると、びくりと身体を震わせて叫んだ。
「先生は、私に前のカンに降れとおっしゃるのか! そ、それはつまり……」
狼狽えていると、鷹揚に頷き返して、
「そうです。王大母を通じて大カンに赦しを請うのです」