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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
50/783

第一 三回 ②

インジャ天に祈りて聖廟に二将を裁き

ナオル書を携えて神都に賢者に(まみ)

 (アウラ)勇者(バアトル)二人は、(かしこ)まって平伏した。インジャは大きく頷いて丁寧に封を取ると、ゆっくりと蓋を外す。義弟二人は(ニドゥ)(みは)って見守っている。


 箱の中には文書(デプテル)が二通入っていた。それもまた相当に旧い(ホウチン)ものらしく、ところどころ虫に喰われており、黄色く変色している。一通の表にはドクトの名が、もう一通にはテムルチの名が記されている。


「これからセイネンが読み聞かせるゆえ、必ず従うように」


 そう言って、まずドクトの名を記したほうをセイネンに手渡す。


「……ドクトは山塞を成してすでに山中に覇たり。然るになお盛んなれと望むならば、塞を棄てて西(バラウン)のかた平原(タル・ノタグ)を指すべし。往かば吉、留まれば凶」


 ドクトは、はっとして何か言いかけたが、インジャがテムルチの文書を取り出したので、(アマン)(つぐ)んだ。


「……テムルチは兵を山中に動かしてすでに名あり。汝は(シトゥエン)を再建して、その守り人(ケプテウル)たるべし。留まれば吉、往かば凶」


 インジャはふたつの文書をもとのように畳むと、二人の(ヌル)を見比べた。と、ドクトが臆せず不満を口にした。


「私は先代より築いてきた塞を、この豎子(ニルカ)にくれてやらねばならんのですか。それに西と言われても何処へ往けばよいのやら。それでは人衆(ウルス)が得心いたしませぬ」


 インジャはなるほどと頷くと、莞爾と笑いながらナオルを見た。

 応えて言うには、


「ドクト、これは山を出て天下にその才略(アルガ)を用いよということではないか。西というのはおそらく……」


 セイネンがあとを継いで言う。


「ジョルチ部のことではあるまいか」


 またナオルが、


「我が部族(ヤスタン)に君が加われば、翼を得たも同然。君はこのまま山で生涯を終える器量ではない。これを機に天下のためにはたらいてもよいと思うが、どうだ?」


 そう言ってドクトの顔を覗き込めば、ううむと腕を組んで唸る。

 セイネンも言うには、


「山にテムルチがあり、草原(ケエル)にドクトがあって掎角(注1)の形を成せば、オロンテンゲル(アウラ)より西は我らの思うがままとなろうぞ」


 インジャは、ドクトがまだ悩んでいるのを見て、


「ドクト、これも上天(テンゲリ)の定めた宿縁(ヂヤー)と思わぬか。ともに草原に出て、乱世を治めるのを助けてほしい。もし塞に留まったとて、いたずらに争い、四方数十里を守って一生を終えるだけのこと。それより広い天下に勇名を轟かせてはどうか」


 テムルチが(にじ)り寄って言うには、


「我々はこれまで争ってきたが、これを機にインジャ様に立ち会ってもらって和解しようではないか」


 ドクトはなおも考える風であったが、やがて言うには、


「あの塞は我々カミタのものだ。天王(フルムスタ)様の言葉(ウゲ)だろうが、そう易々とくれてやるわけにはいかん」


 一瞬、みなの顔が曇ったが、すぐに言うのを聞けば、


「が、天下を我が塞とするのも悪くない」


 さらに居住まいを正して言うには、


「何より私はインジャ様に惚れました。インジャ様がそうしてくれと言うなら従いましょう。塞はひとまずテムルチに預けておきます」


 一同はわっと歓声を挙げてその勇断を讃えた。インジャは(セトゲル)の中で天王(フルムスタ)に感謝する。山を下りる段になって、セイネンが首を(かし)げつつ尋ねて言うには、


「義兄はどうしてここに廟があって、しかも二人の名を記した文書があるなどということを知っていたんです?」


「実は昨夜、夢に(エケ)が現れて、塞に行くことがあればこれこれこういうことがあるだろうから、そのときは天王(フルムスタ)様を(たの)みなさいとおっしゃって、この廟を教示してくれたのだ」


 笑いながら答えれば、一同は感嘆するとともにこれを敬せぬものはなかった。




 (ふもと)では、ハツチ以下の諸将が首を長くして帰りを待っていた。ナオルが山上での経緯(ヨス)を告げると、みなおおいに驚き、喜んだ。かくしてその晩は、ジョルチ、カミタ、ドノルを問わず塞に入って、盛大な宴が催された。


 ドクトとテムルチもよくよく話し合えば互いに敬すべき好漢(エレ)、すっかり打ち解けて杯を交わす。それもそのはず、この二将もまたテンゲリに定められた宿星(オド)のひとつであった。


 また不意の騒ぎでそのままになっていたドクトの胡弓(ホール)の演奏も披露されたが、それは今まで聴いたことのないような独特な旋律ばかりで、居並ぶ好漢はおおいに楽しんだ。


 次の日、移動(ヌーフ)の準備で塞は蜂の巣を(つつ)いたような大騒ぎになった。(ナラン)が傾くころ、(ようや)く準備が整ったが、出発を翌日に延ばして再び宴となった。


 この夜、コヤンサンはすっかり先の過ち(アルヂアス)忘れて(ウマルタヂュ)酒量を過ごし、しっかりひと暴れしたがその話は抜きにする。




 いよいよ出立である。ドクトの号令一下、カミタの人衆は整然と動きはじめた。インジャらはそれを見て今さらながらに感心する。


 道中は格別のこともなく、予定どおりにアイルに帰り着いた。出迎えたハクヒらは、インジャが大勢の兵を連れて帰ったのでおおいに驚いたが、経緯を聞くと大喜びでこれを祝した。


 インジャはドクトを連れて、ムウチのゲルを訪ねた。


「母上、天王(フルムスタ)様の加護を得てコヤンサンを助けられたばかりか、神都(カムトタオ)でハツチ、ジュゾウという二人の好漢を得ました。またオロンテンゲル(アウラ)でこのドクトを得ることができました」


 ムウチは莞爾と笑って、


「無事で何よりです。お前が神都(カムトタオ)へ行くと聞いたときには、驚いて気を失いかけたほど。毎日天王(フルムスタ)様にお祈りしていました。再び(まみ)えることができて、これに勝る喜び(ヂルガラン)はありません」


 そしてドクトに向き直ると、


「貴殿がドクト殿ですか。先日、天王(フルムスタ)様の侍女(チェルビ・オキン)が夢に見えて貴殿のことを知らせてくれたので、インジャに伝えておいたのです。それにしても何と立派な壮士(エレ)ではありませんか。どうか不肖の息子(クウ)(クチ)を貸してやってください」


 ドクトは、ムウチのもの静かで神気に満ちた様子に心打たれ、深々と(テリウ)を下げてインジャに尽くすことを誓った。

(注1)【掎角】前後呼応して敵を制すること。

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