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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
498/783

第一二五回 ②

ガラコ和を欲するも(つい)に兵鋒相交わり

デゲイ卿を罰して(ひそ)かに権柄を掌握す

 モルテは黙って頷く。ガラコは(ニドゥ)(いか)らせつつ、


「もう一度使者を送ろう。もはや小者(カラチュス)では話にならぬ。我が夫を(つか)わそう」


 最も驚いたのは当の夫、ダリチュである。膝をがくがくと震わせると嘆願して、


「そ、それだけは……! わしはそんな大任果たせぬ。ほかのものを()ってくれ」


「何を言ってるんだい、とっととお行き!」


 見かねたモルテが言うには、


「我が夫を副使といたしましょう」


 それでも嫌がったが、かまわずボオルチュが呼ばれる。四人で話し合った末に、やっと使者となることを(がえん)じる。


 そうこうするうちにガラコが上卿と折衝していることがクリエン中に広まって、集まった志士の慷慨(こうがい)(注1)を招いた。すなわち王大母は彼らを裏切って大奸と(ガル)を結ぼうとしていると考えたのである。一人の志士が小智を(めぐ)らせて、


「その使者を我らの手で斬ってしまおうではないか。さすれば王大母様も(オロ)を決めてくれるだろう」


 己の考えを重んじるあまり視野が狭窄して、暴論に(はし)る輩とはどこにでもいるものだが、始末に負えないことに賛同するものがみるみる集まった。彼らは手に手に得物を()って、密かにクリエンを離れた。


 そうとも知らぬダリチュとボオルチュは馬上の人となって出立する。二人は女傑たる(エメ)たちに見送られたが、それが永遠(モンケ)の別離となった。


 三日ほどして、心配しているガラコのもとへ哨戒兵(カラウルスン)の一人があわててやってきた。告げて言うには、


「ダリチュ様とボオルチュ様が、奸賊に、こ、殺されました!」


 驚いて立ち上がり仔細を尋ねれば、涙を滂沱(ぼうだ)と流しつつ、


「お二人は無残に斬り刻まれて遺棄されておりました」


 呆然として言葉(ウゲ)を失ったガラコに重ねて言うには、


「殺したのは上卿の手のものに決まっています! 大奸の横暴、極まりましたぞ。是非とも正義の兵を興し、天誅を喰らわせねばなりません。そして世に道理(ヨス)のあるところを示し、大カンを奉じて……」


 さらに言い募ろうとするのを不機嫌に制して、


「うるさい! 私はそんな戯言なぞ聞きとうない!」


 一喝して追い出す。誰もいなくなると泣き崩れて、ついに号泣する。小間使い(インヂェ)たちも何と(ダウン)をかけてよいやらわからず、一人がモルテを呼びに走った。


 モルテは端座してこれを迎えた。彼女も報告を受けたはずだが、泣いている様子はなかった。だがその(ヌル)は蒼白で、生気を失っている。小間使いが遠慮がちにガラコの様子を告げれば、ひと言、


「そうですか」


 とてまた黙る。焦った小間使いは、


賢婀嬌(けんあきょう)様、どうかゲルに来て、我が主人(エヂェン)の正気を復させてください」


 するとモルテは、はい(ヂェー)ともいいえ(ブルウ)とも言わずにじっとその顔を眺めていたが、(ようや)く言うには、


「私に何ができると言うのです。今日はそっとしておきなさい」


 小間使いは逃げるようにして去る。戻ってみればゲルはしんと静まりかえっている。はっとして中に入らんとすれば、ほかの小者たちが止めて言うには、


「王大母様はおかしくなってしまわれた。今は入らぬほうがよい」


 (いぶか)しんで詳しく訊けば、ガラコはダリチュの袍衣(デール)を手にして何やら呪詛(ハラアル)の文言を呟きつつ、懐刀でそれを切り刻んでいると云う。


 結局、どうすることもできずに(アミ)を潜めて様子を窺っているうちに夜になった。小者たちは心配してほとんど眠れなかった。


 明けて翌日になると、ガラコはやや冷静さを取り戻したようであった。目の下は黒ずみ、(やつ)れた印象ではあったが、笑顔すら見せた。命じて言うには、


「賢婀嬌を呼んできておくれ」


 声にも常の張りが戻っているようで、小間使いは喜んで走った。


 モルテはすぐにやってきた。ところが対座してもしばらくは互いに何も言わない。やがてガラコがふっと微笑むと、


「理が通じぬとあらばやむをえぬ」


はい(ヂェー)


 モルテの表情は変わらない。


「今は一戦避けるべからず」


はい(ヂェー)


 交わした会話はこれだけであった。ガラコはすぐに軍装に身を固めると、カンのもとへ参上して事態の猶予ならざることを告げた。ハヤスンは震えるばかりで、すべてをガラコに託した。


 退出するとまず百人長(ヂャウン)を集めた。四十人の百人長が馳せ参じると、(ソオル)の準備を命じて四人の千人長(ミンガン)を任命した。みなおおいに発奮して、瞬く間(トゥルバス)に四千騎が整う。二人の千人長が先鋒(アルギンチ)に任じられ、全軍揃って出立した。モルテは留守(アウルグ)を預かった。


 戦は呆気なく終わった。すっかり気が弛んでいた上卿軍は、攻撃を受けるやあわてて逃げだした。勇躍(ブレドゥ)して攻め寄せたガラコ軍の将兵が愕然とするほどの醜態だった。ガラコはテンゲリを仰いで嘆息すると、


「ああ、これではとてもウリャンハタを退けることなどできぬ」

(注1)【慷慨(こうがい)】正義に外れたことや、世間の()しき風潮などを、激しくいきどおり嘆くこと。

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