第一二五回 ①
ガラコ和を欲するも竟に兵鋒相交わり
デゲイ卿を罰して陰かに権柄を掌握す
さて、賢婀嬌モルテの進言によりハヤスン・コイマル・カンを迎えた王大母ガラコは、上卿専制に不満を持つ人衆の期待を一身に担うことになった。
上卿はそれに対して急ぎ会議を開いて、新たにヒズトゥ氏のチャウンを擁立した。また同時にガラコを追討することを新カンの名において決議した。
この経緯に部族の憂国の士はおおいに憤って、ハヤスンを唯一の「大カン」として上卿を打倒しようとする気運が盛り上がった。彼らは同志を索めて奔走し、さまざまな画策を行った。
上卿側はこれを弾圧するためにゴコク氏の尽忠社に倣って、隷民から成る巡邏の兵卒を組織した。両者の抗争は次第に激化して、互いに要人を殺し合う事態となった。
上卿たちは憂国の士を「叛賊」と断じ、逆に彼らは上卿に阿るものを「大奸」と呼んで憎んだ。
興味深いのは、両者ともに同志を糾合して「社」を結成したことである。それは根源にイトゥクの靖難救国社と、チンガイの尽忠社があったからである。
だが、憂国の士の憧憬の的であった当の王大母らは彼らを指して、
「狂佻の行いを専らとし、部族を破らんとする輩である」
そう苦々しく思っていた。ウリャンハタの兵鋒迫る今、内に相争うのは愚かとしか言いようがない。彼女にとってはすべては外冦を撃退してからのことであった。
そもそもガラコがカンを招いたことも、己と己を恃む人衆を禿頭虎バルゲイから護るためであり、上卿に抗してこれを転覆せしめる意など毛頭なかった。
憂国の士と称する暴徒どもが、当人の意志などおかまいなしに反上卿の象徴として仰いでいるに過ぎない。不本意といえばこれほど不本意な話もない。
したがって志のために奔走する人士、すなわち「志士」たちは、傍から見れば悲惨でもあり、ときに滑稽ですらあった。彼らは理想を抱き、かつ情熱もあったが、いかんせん大略もなく、背景と恃むべき勢力もなかった。
また個々の社を纏めて一個の大勢力にするべき人材もなく、それを企図するものも、蒙を啓かしむるセチェンもなかった。自然、彼らの行動は安直なものにならざるをえない。すなわち暗殺や暴動の類である。
ガラコ自身は彼らに否定的ではあったが、これを恃んで投じてくるものに対しては寛容であった。ために結局彼女のクリエンには志士が屯することとなった。
ことを重く視た上卿は、ついに兵備を整えて追討軍を興す。陣容はシャガイ氏一万騎、ゴコク氏八千騎、そしてその他の氏族から二千騎が加わった総計二万騎の大軍である。
ガラコの兵力は僅か四千騎強。五倍の軍勢をもってしたのはその勇武を恐れたこともあるが、主として反上卿勢力に向けての示威であった。この征討戦を失敗させてはならず、仮に上卿軍が敗れるようなことがあれば、在野に渦巻く不満が一挙に噴出する懸念があった。
主将はシャガイ氏族長ハルである。ハルは混血児ムライが評したように決して英明とは言えなかったが、穏やかな人物であったためにこうした連合軍の上に置くのにちょうどよかった。実の指揮を執るのは禿頭虎バルゲイである。
上卿起つの報は瞬く間に全土を駆け回り、志士は大挙して王大母のクリエンに馳せ参じた。ガラコはともすれば極論に逸りがちな彼らをすっかり持て余して、モルテに諮って言うには、
「まったく困ったもんだよ。何とかならないかねぇ」
思案して答えて言うには、
「上卿に使者を送って当方の意を伝えましょう」
ガラコは頷いて使者を選ぶと、意を含めて密かに送りだした。ハルらはこれを接見しておおいに喜ぶとともに侮りの心が生じて、さまざまな要求を突きつけた。いかなる内容だったかと云えば、
一、廃帝ハヤスンを上卿会議に引き渡すこと
一、即刻クリエンを解散して人衆を本来の所属に返すこと
一、クリエンに潜む不逞の叛徒を捕縛して処断すること
一、王大母は上卿の監視下に置かれて後日裁判を受けること
以上、四項である。ガラコの恭順な姿勢を見て強気に出たこと明らかである。これを聞いたガラコは青ざめた。恐怖したのではない。激怒したのである。モルテも眉を顰めて言った。
「……到底、首肯しうるものではありません」
ガラコは地を踏み鳴らして、
「だいたいウリャンハタのことはひと言も触れてないではないか。今はともに力を併せて冦難を禦ぐことこそ第一ではないのか! これは完全に叛徒に対する扱いじゃ!」