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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
496/783

第一二四回 ④

ガラコ禿頭虎を責めて(ようや)く輿望を担い

モルテ王大母を(いまし)めて(ただ)ちに藩屏と()

 これを知ったバルゲイは、あわててチンガイを召して事後を(はか)った。チンガイも愕然として、再びデゲイに早馬(グユクチ)を飛ばす。デゲイはまた例のごとくムライに、


「これは困ったことになった。シャガイのハルに出兵を見合わせるよう伝えねばならぬ」


 ムライはいささかも狼狽(うろた)えることなく、


「王大母も意外に智慧が回りますな。しかしあわてるには及びません」


「ほう、何か策があるかね?」


「折れた(ウルドゥ)を拾っても、人は斬れませぬ。今や我が部族(ヤスタン)において、カンは折れた剣のようなもの……」


「でもね、いくら何でもカンに刃を向けたら人衆(ウルス)が騒ぐからね」


 するとムライは(ダウン)を低くして、


「新たなカンを、()()()カンを別に立てればよろしいではありませんか」


 デゲイは瞠目してこれを眺めやると、やがて小さく笑いだす。それはついに哄笑に変わる。言うには、


「君は賢いね。よろしい、上卿会議を招集しよう。ほっほっほ」


 四方に早馬が飛んで事の次第を伝える。事態を重く見た上卿たちは急いで集まった。彼らにとっては遠く(ホル)に在るウリャンハタの軍勢よりも、こちらのほうが重要であった。会議(クラル)ではウリャンハタの来寇に触れられることすらなかった。


 廃立については速やかに決まる。すなわちハヤスン・コイマル・カンを廃して、新たなカンを立てたのである。それには最も弱小な氏族(オノル)のひとつであるヒズトゥ氏から、やはり老齢のチャウンを選んだ。


 上卿たちは嫌がるチャウンを()いて上座(オンドゥル)に据えて、形ばかりの忠誠(シドゥルグ)を誓った。また上卿の有する特権のすべてを従来どおり認めさせた。さらにハヤスンおよびガラコを叛賊(ブルガ)として追討することが決議された。


 ここで上卿たちは過去(エルテ・ウドゥル)に前例のない手順を踏んだ。


 これまで上卿会議の決定はそのまま(ヂャサ)となり、勅命(ヂャルリク)にすらなっていたが、このとき初めて彼らはカンの裁可を仰いだ。無論チャウンに(こば)む権利はなかったが、さすがの上卿も人衆の非難を(はばか)って名分を得ようとしたのである。


 だがこれはクル・ジョルチ部におけるカンの軽重を微妙に変えることになった。もとよりカンは、一人の上卿が突出するのを抑制するためだけに置かれていた。つまりは飾りでしかなかった。


 ところが形だけとはいえ、カンの許諾を求めたために、その名に僅かながら実が伴ってしまった。実際にカンの意志(オロ)が反映されることはないが、少なくとも正当を主張するための勅許、という前例が生まれたのである。


 すべては独り賢婀嬌(けんあきょう)の発案から起こったこと。上卿にとっては失策(アルヂアス)と云うほかない。


 ともかくクル・ジョルチ部には二人のカンが並立することになった。ガラコが保護するハヤスン・コイマル・カンと、上卿が擁立したチャウン・カンである。


 どちらが正統かと問うならば、この特異な部族(ヤスタン)においては、上卿会議で立てられたチャウンであると言わざるをえない。だが憂国の人士は言うに及ばず、一般の人衆にとっても、ハヤスンこそが唯一(ガグチャ)のカンであると思われていた。


 彼らはウリャンハタの北伐を契機に、(ようや)部族(ヤスタン)の現状に疑問を抱いたのである。そして人は内憂外患あらば自ずと(セトゲル)(たの)むものを求める。それがカンだった。


 このころから憂国の士たちの間では、カンを指してウリャンハタ部のごとく「大カン」と呼ぶのが流行する。


 彼らは上卿専制を打倒して「大カン」を中心(ヂュルケン)とした政体を樹立することを夢想した。以前は単なる上卿への不満だったのだが、徐々に明確な指標を形成するに至りつつあった。


 これも「二帝並立」という異常な状況が生まれてからのことである。以後、多くの憂国の士が暗躍を始める。彼らは靖難将軍イトゥクも持たなかった理想を掲げ、その実現のために奔走した。


 人々に先駆けて行動した「靖難将軍」は、彼らの間で英雄視されるようになった。その生死はいまだ判らないが、すでに伝説の人物になっていたのである。また現実にカンを擁している王大母ガラコこそ彼らの希望だった。


 上卿たちはこうした不穏な空気を敏感に察知した。各氏族(オノル)で尽忠社に(なら)って巡邏の兵卒が組織される。ために多くの人士が襲われて、志半ばにして(たお)れた。


 すると憂国の士のほうも次第に過激化して、上卿に(くみ)するもの(その多くは氏族(オノル)の有力者や長者(バヤン))を「大奸に天誅を加える」と称しては暗殺するようになった。


 しかし上卿の権勢がたかが一人や二人を斬ったところで揺らぐわけもない。ただ世相のまったく混乱を極め、流血が日常となったばかりである。


 憂国の士を自任するものの大半は理想を唱えるだけで、それを実現する大略がなかった。かくして一般の人衆は彼らを内心では応援しながらも不安に怯えて過ごしていた。


 この間、ウリャンハタ軍は遊んでいたわけではない。着実に進撃を続けていた。いまだクル・ジョルチの遷移した(ガヂャル)に及ばないのは、補給の必要があったことと、付近の小氏族(オノル)を慰撫しつつ堅実に勢力圏(ネウリド)を拡げていたからに過ぎない。


 まさしく天下乱れて始めて忠臣あり、たちまち憂国の志を生ずといったところ。果たしてクル・ジョルチにおける「回天の業」はいかなる顛末(ヨス)を辿るか。それは次回で。

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