第一二四回 ③ <モルテ登場>
ガラコ禿頭虎を責めて漸く輿望を担い
モルテ王大母を警めて徑ちに藩屏と作す
そのころガラコは一見何の警戒もしていないようであった。そこに一人の客人が訪ねてくる。表で案内を請うので、
「遠慮なく入ってくればいいさ。私はそんなに偉い人じゃないよ!」
威勢良く声をかければ、応じて入ってきたのは一個の婦人。その人となりはと云えば、
身の丈は七尺、年のころは三十半ばながら、いまだ衰えぬ容色に温和な笑みを浮かべている。鬒々たる髪、弯々たる眉、繊々たる手、尖々たる脚、豪快な王大母とは好対照を成す楚々たる麗人。これぞ氏族に知らぬものなき賢婦人、すなわちモルテ・ユムカ。渾名があって人呼んで「賢婀嬌」。
その顔を見ておおいに喜ぶと、
「おや、久しぶりじゃないか。まあ、座りな」
モルテは静かに挨拶して腰を下ろす。ガラコは満面の笑みで、
「どうしたんだい、浮かない顔して。ボオルチュと諍いでもあったかい?」
ボオルチュとは、モルテの夫である。
「そんな瑣事(注1)で参ったのではありません」
その調子に表情を改めると、
「何かあったのかい」
「何かあってからでは遅いのです」
「どういうことだい?」
尋ねれば眉を顰めて言うには、
「族長と尽忠社にお気をつけください。先日来、彼らは王大母殿に恨みを抱いております。なのにこのように人衆を集めては、ますます警戒されるでしょう」
「集めたんじゃない、自然に集まってくるのさ。それにあんな禿頭を恐れる私じゃないよ」
「王大母殿!」
僅かに強い語気で咎めれば、あわてて謝して言うには、
「悪かったね。でもあいつらに何ができるっていうんだい? まさか同じ氏族の人衆に兵を向けるわけにもいくまい」
モルテは憂いの色を濃くして、
「尽忠社は人衆を斬っているではありませんか」
ガラコは、はっとすると立ち上がってその手を取り、
「そのとおりだ、よく教えてくれた。私は私を恃みとする人衆を危地に陥れるところだった」
すぐに外に出ると人衆を集める。何ごとかとやってきた群衆を前に険しい顔で告げて言うには、
「己の身は己の手で護らねばならぬ。外にはウリャンハタの冦難があり、内には尽忠社の横行があるこのときに、我々の財産と生命を護るべき族長は、かえって我々を刧かさんとしている」
これを聞いて辺りは騒然となる。方々で同意の叫びが挙がる。それを鎮めて言うには、
「もう一度言う。己の身は己の手で護らねばならぬ! 諸君は今から私の命に従い、家族と財産を守るのだ!」
わあっと大歓声が起こり、異を唱えるものは一人もない。
満足そうに頷くと、ガラコは早速ゲル群の再編を命じる。十戸ごとに長を選んで細かい指示を与える。これまで雑然と並んでいたゲルを、ガラコ一家を中心に円陣を組むように配置した。これは戦時の野営の形態である。
また十戸長の中から百戸長を立てた。彼らは有事の際には兵を率いる将となる。さらに軍規を定めて、哨戒などの輪番、戦時の合図などを決めた。
ここに実質的に禿頭虎バルゲイから独立した「王大母のクリエン(注2)」が現出したのであった。その兵力は三千騎ほどであったが士気は高く、よく統制されていた。
これを聞いて、バルゲイや尽忠社に反発するものは続々と駆けつけた。それもまた十戸ごとに編成されてクリエンに組み込まれた。
ガラコが事を成すにあたって、賢婀嬌モルテの果たした役割は大きかった。その蒙を啓いただけではなく、その後も彼女を翼けて適切な助言をした。この間、彼女たちの夫は処罰を恐れて震えるばかりであった。モルテがまた言うには、
「我らは叛賊ではありません。それを四隣に認めてもらわねばなりません」
どうするのかと問えば答えて、
「上卿はすべて禿頭虎の朋輩です。ゆえに恃むわけにはいきません」
「ならばどうにもなるまい」
「いえ、ここは天下を味方に付けましょう」
わけのわからぬガラコに何と言ったかと云えば、
「カンを我がクリエンにお迎えしましょう」
「おお……」
さすがの王大母も愁眉を開く思い。
知ってのとおり、クル・ジョルチ部のカンは上卿会議の傀儡に過ぎず、何の権限も持っていない。だがモルテは、その名が本来持つ権威に想到したのである。
これは実に斬新な発想であった。これまで上卿たちはカンを戴いて専権を振るってきたはずだが、彼らですらそのことを忘れていたのである。
ガラコはおおいに喜んで思わず叫んだ。
「貴女は賢い!」
早速使者を立ててカンを迎えることにした。このころ、ハヤスン・コイマル・カンは僅か千騎ほどの兵とともにあった。というのも例の三傑に大兵を与えたからである。
上卿はすでに西に逃げ去っており、誰もこの哀れな老人に手を差し延べるものはなかった。三傑からの報告もなく、日々為す術もなく敵襲に怯えていた。
そこにガラコの使者がやってきて仔細を述べれば、皺だらけの顔を綻ばせてすぐに承諾する。老齢のカンはもとより馬に騎ることができず、車での旅となる。
道中何ごともなくクリエンに至れば、人衆は一斉に歓呼の声を挙げる。カンもほっとした様子で彼女たちを賞し、特にガラコには近衛大将の位を授けた。
これによって王大母のクリエンは、名目上カンの近衛軍となった。モルテの献策が当を得たことになる。
(注1)【瑣事】小さな事。つまらない事。小事。
(注2)【クリエン】複数のアイルの集団から成り立つ部落形態。主に軍団の駐屯に際して形成され、遊牧形態から戦闘形態への転換が容易である。圏営、群団などと訳されることもある。単位は「翼」。