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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
495/783

第一二四回 ③ <モルテ登場>

ガラコ禿頭虎を責めて(ようや)く輿望を担い

モルテ王大母を(いまし)めて(ただ)ちに藩屏と()

 そのころガラコは一見何の警戒もしていないようであった。そこに一人の客人(ヂョチ)が訪ねてくる。表で案内を請うので、


「遠慮なく入ってくればいいさ。私はそんなに偉い人じゃないよ!」


 威勢良く(ダウン)をかければ、応じて入ってきたのは一個の婦人。その人となりはと云えば、


 身の丈は七尺、年のころは三十半ばながら、いまだ衰えぬ容色(オンゲ)に温和な笑みを浮かべている。鬒々(しんしん)たる髪、弯々(わんわん)たる(フムスグ)、繊々たる(ガル)、尖々たる(フル)、豪快な王大母とは好対照を成す楚々たる麗人。これぞ氏族(オノル)に知らぬものなき賢婦人、すなわちモルテ・ユムカ。渾名(あだな)があって人呼んで「賢婀嬌(けんあきょう)」。


 その(ヌル)を見ておおいに喜ぶと、


「おや、久しぶりじゃないか。まあ、座りな」


 モルテは静か(ヌタ)に挨拶して腰を下ろす。ガラコは満面の笑みで、


「どうしたんだい、浮かない顔して。ボオルチュと(いさか)いでもあったかい?」


 ボオルチュとは、モルテの夫である。


「そんな瑣事(さじ)(注1)で参ったのではありません」


 その調子に表情を改めると、


「何かあったのかい」


「何かあってからでは遅いのです」


「どういうことだい?」


 尋ねれば眉を(ひそ)めて言うには、


族長(ノヤン)と尽忠社にお気をつけください。先日来、彼らは王大母殿に恨みを抱いております。なのにこのように人衆(ウルス)を集めては、ますます警戒されるでしょう」


「集めたんじゃない、自然に集まってくるのさ。それにあんな禿頭(ハルザン)を恐れる私じゃないよ」


「王大母殿!」


 僅かに強い語気で(とが)めれば、あわてて謝して言うには、


「悪かったね。でもあいつらに何ができるっていうんだい? まさか同じ氏族(オノル)の人衆に兵を向けるわけにもいくまい」


 モルテは憂いの色を濃くして、


「尽忠社は人衆を斬っているではありませんか」


 ガラコは、はっとすると立ち上がってその手を取り、


「そのとおりだ、よく教えてくれた。私は私を(たの)みとする人衆を危地に(おとしい)れるところだった」


 すぐに外に出ると人衆を集める。何ごとかとやってきた群衆(バルアナチャ)を前に険しい顔で告げて言うには、


「己の身は己の手で護らねばならぬ。外にはウリャンハタの冦難があり、内には尽忠社の横行があるこのときに、我々の財産(エド)生命(アミン)を護るべき族長(ノヤン)は、かえって我々を(おびや)かさんとしている」


 これを聞いて辺りは騒然となる。方々で同意(ヂェー)の叫びが挙がる。それを鎮めて言うには、


「もう一度言う。己の身は己の手で護らねばならぬ! 諸君は今から私の(カラ)に従い、家族(ゲルブル)と財産を守るのだ!」


 わあっと大歓声が起こり、異を唱えるものは一人もない。


 満足そうに頷くと、ガラコは早速ゲル群の再編を命じる。十戸(アルバン)ごとに長を選んで細かい指示を与える。これまで雑然と並んでいたゲルを、ガラコ一家を中心(オルゴル)に円陣を組むように配置した。これは戦時の野営(トイ)の形態である。


 また十戸長の中から百戸長を立てた。彼らは有事の際には兵を率いる将となる。さらに軍規(ヂャサ)を定めて、哨戒(カラウル)などの輪番、戦時の合図などを決めた。


 ここに実質的に禿頭虎(ハルザン・カブラン)バルゲイから独立した「王大母のクリエン(注2)」が現出したのであった。その兵力は三千騎ほどであったが士気は高く、よく統制されていた。


 これを聞いて、バルゲイや尽忠社に反発するものは続々と駆けつけた。それもまた十戸ごとに編成されてクリエンに組み込まれた。


 ガラコが事を成すにあたって、賢婀嬌モルテの果たした役割は大きかった。その蒙を(ひら)いただけではなく、その後も彼女を(たす)けて適切な助言をした。この間、彼女たちの夫は処罰を恐れて震えるばかりであった。モルテがまた言うには、


「我らは叛賊(ブルガ)ではありません。それを四隣(サーハルト)に認めてもらわねばなりません」


 どうするのかと問えば答えて、


「上卿はすべて禿頭虎の朋輩(イル)です。ゆえに(たの)むわけにはいきません」


「ならばどうにもなるまい」


いえ(ブルウ)、ここは天下を味方(イル)に付けましょう」


 わけのわからぬガラコに何と言ったかと云えば、


「カンを我がクリエンにお迎えしましょう」


「おお……」


 さすがの王大母も愁眉を開く思い。


 知ってのとおり、クル・ジョルチ部のカンは上卿会議の傀儡に過ぎず、何の権限も持っていない。だがモルテは、その名が本来持つ権威に想到したのである。


 これは実に斬新な発想であった。これまで上卿たちはカンを戴いて専権を振るってきたはずだが、彼らですらそのことを忘れて(ウマルタヂュ)いたのである。


 ガラコはおおいに喜んで思わず叫んだ。


「貴女は賢い!」


 早速使者を立ててカンを迎えることにした。このころ、ハヤスン・コイマル・カンは僅か千騎(ミンガン)ほどの兵とともにあった。というのも例の三傑(ゴルバン・クルゥド)に大兵を与えたからである。


 上卿はすでに西(バラウン)に逃げ去っており、誰もこの哀れな老人(ウブグン)に手を差し延べるものはなかった。三傑からの報告もなく、日々為す術もなく敵襲に怯えていた。


 そこにガラコの使者がやってきて仔細を述べれば、皺だらけの顔を(ほころ)ばせてすぐに承諾する。老齢のカンはもとより(モリ)()ることができず、(テルゲン)での旅となる。


 道中何ごともなくクリエンに至れば、人衆は一斉に歓呼の声を挙げる。カンもほっとした様子で彼女たちを賞し、特にガラコには近衛大将の位を授けた。


 これによって王大母のクリエンは、名目上カンの近衛軍(ケシクテン)となった。モルテの献策が当を得たことになる。

(注1)【瑣事(さじ)】小さな事。つまらない事。小事。


(注2)【クリエン】複数のアイルの集団から成り立つ部落形態。主に軍団の駐屯に際して形成され、遊牧形態から戦闘形態への転換が容易である。圏営、群団などと訳されることもある。単位は「翼」。

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