第一二三回 ④
イトゥク上将の傲岸に怒りて卒かに叛し
セイヂュク友軍の背叛に諦めて自ら刎す
カヌンとムラカムは若い兵衆がすることをただぼんやりと眺めていた。あちこちで血飛沫が跳ね、傾いてきた陽の光の中で不思議な光景を生みだす。血の噴き出す音、それが草を打つ音、そして兵衆の地に倒れる音が連なった。
カヌンは目瞬きも忘れてそれを視ていたが、なぜか急に笑いだす。ムラカムはおおいに動揺して、
「おい、気でも狂ったか! しっかりしろ!」
両肩を攫んで揺さぶる。すると顔中を涙で濡らしながら言うには、
「狂ってなどいるものか。どれ、わしも若いものに嗤われぬうちに始末をつけるとするか」
やおら立つと素早く剣を抜く。ムラカムはがたがたと震えて、
「待ってくれ! お主も逝くのか。わしはどうなる、ここに独り残されてはかなわんぞ!」
カヌンはこれを軽蔑の眼差しでじっと見下ろすと、低い声で言った。
「独りになどするものか」
呟くや否や、いきなり冥王使の喉に剣を突き立てる。
「ぐふっ!」
眼球が飛び出さんばかりに目が見開かれる。何か訴えようとしたが、その口からはごぼごぼと血が溢れるばかり。しばらく両手で刃をまさぐったりしていたが、ついにがくりと首を折って息絶える。
「冥府で逢おう」
カヌンは剣を引き抜くと、一旦袖で拭ってから己の頸脈に当てた。躊躇うことなく引き下げれば、大量の血が襟を染める。みるみる顔が青ざめて、ゆっくりと崩れ落ちた。
こうしてタイクン氏は壊滅した。族長たるセイヂュクが無知蒙昧であったために、上卿に侮蔑され、翻弄され続けた氏族であった。
イズムは先に遁走したあと、思うに、
「このまま帰っては懲罰は免れまい」
もともと彼は、上卿に逆らってアイルを離れたイトゥクらの討伐に来たのである。タクネイに唆されてウリャンハタと干戈を交えたが、それは本意ではない。しかもほとんど戦わずに敗れたとあっては、衆に合わせる顔がない。
そこでタイクン氏をイトゥクと結託して仇をなす叛賊に仕立てることを思いついたのである。結果は大成功で、イトゥクの義勇軍はタイクン軍ともども壊滅した。おおいに喜んで従臣に言うには、
「ムラマンは何をしておるのか。ここにいればともに戦果を分かち合えたものを」
ともに兵を率いていたムラマンは、先んじて戦場を去ったあと、姿を現さなかった。イズムはこれについて深く考えることもなく今日に至ったという次第。
彼は莫大な戦利品を得て、意気揚々と凱旋した。だが、これは迂闊だったと言うべきだろう。ムラマンが戻らぬことをもっと疑うべきであった。なぜなら彼はアイルに戻った途端に捕縛されてしまったのである。
「どういうことだ! わしは任務を果たして帰ったのだぞ!」
捕吏は聞く耳も持たずにこれを檻車に叩き込む。イズムはわけがわからずおろおろするばかり。
何が起こったかと云えば、実はムラマンも上卿の叱責を恐れてあれこれ思案した挙句、イズムを誣告していたのである。急いで帰ると、族長にして上卿たる禿頭虎バルゲイのゲルに駈け込んで、
「イズムめ、賊徒と通じて我を害さんとしたので逃げてまいりました」
驚くバルゲイにさらに重ねて言うには、
「あの温顔に欺かれてはなりませぬ。奴はすでに賊徒の走狗と化しております。いずれオルドに小僧どもを招き入れるに相違ありません」
そして口を極めて日ごろの悪行を並べ立てる。多くは捏造の類だったが、元来能弁なればバルゲイはことごとく信ずるに至る。
そこに何も知らずにイズムは帰ってきたのである。檻車のうちからおおいに無実を主張したが、ムラマンも必死、バルゲイの傍を離れることなく讒言のかぎりを尽くしたので、詮議を尽くすことなく死罪が宣告された。
イズムは刑場に連行される間も無実を訴え続け、ついには涙ながらに懇願したが聞き届けられなかった。いよいよ首を刎ねられる段になって、凄まじい目つきでバルゲイを睨みつけると、
「クル・ジョルチは畢竟草原から消滅するだろう!」
バルゲイはその禿頭を真っ赤に染めて怒ると、
「何たる呪詛! 斬れ! 斬って二度と口を利けぬようにしてやれ!」
こうしてまた一人、部族の上将が命を落とした。ウリャンハタの兵難が眼前に迫りながら、相も変わらぬ内争に身を窶しているさまは滑稽と言うほかない。
そもそもこの戦で死んだ将兵は数多あるが、まともな部族なら死なずにすんだものばかりである。まさに大木も腐っては用を成さず、ただ害毒を養うのみといったところ。
かかる奸邪の徒が常に好漢の壮図の障となってきたのは実に憂うべきことにて、おおいなるテンゲリの恕すはずもない。果たしてテンゲリの祝福なきクル・ジョルチに見るべき人材はまことに皆無なのか。それは次回で。