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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
492/783

第一二三回 ④

イトゥク上将の傲岸に怒りて(にわ)かに叛し

セイヂュク友軍の背叛に諦めて自ら(ふん)

 カヌンとムラカムは若い兵衆がすることをただぼんやりと眺めていた。あちこちで血飛沫(ちしぶき)が跳ね、傾いてきた(ナラン)の光の中で不思議な光景を生みだす。(ツォサン)の噴き出す音、それが(ウヴス)を打つ音、そして兵衆の(コセル)に倒れる音が連なった。


 カヌンは目瞬き(ヒルメス)も忘れてそれを視ていたが、なぜか急に笑いだす。ムラカムはおおいに動揺して、


「おい、気でも狂ったか! しっかりしろ!」


 両肩を(つか)んで揺さぶる。すると顔中を涙で濡らしながら言うには、


「狂ってなどいるものか。どれ、わしも若いもの(ヂャラウス)(わら)われぬうちに始末をつけるとするか」


 やおら立つと素早く(ウルドゥ)を抜く。ムラカムはがたがたと震えて、


「待ってくれ! お主も逝くのか。わしはどうなる、ここに独り残されてはかなわんぞ!」


 カヌンはこれを軽蔑の眼差しでじっと見下ろすと、低い(ダウン)で言った。


「独りになどするものか」


 呟くや否や、いきなり冥王使の(ホオライ)に剣を突き立てる。


「ぐふっ!」


 眼球が飛び出さんばかりに(ニドゥ)が見開かれる。何か訴えようとしたが、その(アマン)からはごぼごぼと血が溢れるばかり。しばらく両手で刃をまさぐったりしていたが、ついにがくりと首を折って息絶える。


冥府(バルドゥ)で逢おう」


 カヌンは剣を引き抜くと、一旦(カンチュ)(ぬぐ)ってから己の頸脈(スヂャス)に当てた。躊躇(ためら)うことなく引き下げれば、大量の血が(ヂャカ)を染める。みるみる(ヌル)が青ざめて、ゆっくりと崩れ落ちた。


 こうしてタイクン氏は壊滅した。族長(ノヤン)たるセイヂュクが無知蒙昧(ハラング)であったために、上卿に侮蔑され、翻弄され続けた氏族(オノル)であった。




 イズムは先に遁走(オロア)したあと、思うに、


「このまま帰っては懲罰は(まぬが)れまい」


 もともと彼は、上卿に逆らってアイルを離れたイトゥクらの討伐に来たのである。タクネイに(そそのか)されてウリャンハタと干戈を交えたが、それは本意(カダガトゥ)ではない。しかもほとんど戦わずに敗れたとあっては、(バルアナチャ)に合わせる顔がない。


 そこでタイクン氏をイトゥクと結託して仇をなす叛賊(ブルガ)に仕立てることを思いついたのである。結果は大成功で、イトゥクの義勇軍はタイクン軍ともども壊滅した。おおいに喜んで従臣(コトチン)に言うには、


「ムラマンは何をしておるのか。ここにいればともに戦果を分かち合えたものを」


 ともに兵を率いていたムラマンは、先んじて戦場を去ったあと、姿(カラア)を現さなかった。イズムはこれについて深く考えることもなく今日に至ったという次第。


 彼は莫大な戦利品(オルヂャ)を得て、意気揚々と凱旋した。だが、これは迂闊だったと言うべきだろう。ムラマンが戻らぬことをもっと疑うべきであった。なぜなら彼はアイルに戻った途端に捕縛されてしまったのである。


「どういうことだ! わしは任務(アルバ)を果たして帰ったのだぞ!」


 捕吏は聞く(チフ)も持たずにこれを檻車に叩き込む。イズムはわけがわからずおろおろするばかり。


 何が起こったかと云えば、実はムラマンも上卿の叱責を恐れてあれこれ思案した挙句、イズムを誣告(ぶこく)していたのである。急いで帰ると、族長(ノヤン)にして上卿たる禿頭虎(ハルザン・カブラン)バルゲイのゲルに駈け込んで、


「イズムめ、賊徒と通じて我を害さんとしたので逃げてまいりました」


 驚くバルゲイにさらに重ねて言うには、


「あの温顔に欺かれてはなりませぬ。奴はすでに賊徒の走狗(ノガイ)と化しております。いずれオルドに小僧(ニルカ)どもを招き入れるに相違ありません」


 そして口を極めて日ごろの悪行を並べ立てる。多くは捏造の類だったが、元来能弁(ビルヂウル)なればバルゲイはことごとく信ずるに至る。


 そこに何も知らずにイズムは帰ってきたのである。檻車のうちからおおいに無実を主張したが、ムラマンも必死、バルゲイの傍を離れることなく讒言(アダルガン)のかぎりを尽くしたので、詮議を尽くすことなく死罪が宣告された。


 イズムは刑場に連行される間も無実を訴え続け、ついには涙ながらに懇願したが聞き届けられなかった。いよいよ首を()ねられる段になって、凄まじい目つきでバルゲイを睨みつけると、


「クル・ジョルチは畢竟(ひっきょう)草原(ミノウル)から消滅(ブレルテレ)するだろう!」


 バルゲイはその禿頭(ハルザン)を真っ赤に染めて怒ると、


「何たる呪詛(ハラアル)! 斬れ(オンラヂドクン)! 斬って二度と口を()けぬようにしてやれ!」


 こうしてまた一人、部族(ヤスタン)の上将が(アミン)を落とした。ウリャンハタの兵難が眼前に迫りながら、相も変わらぬ内争(ブルガルドゥアン)に身を(やつ)しているさまは滑稽と言うほかない。


 そもそもこの(ソオル)で死んだ将兵は数多あるが、まともな部族(ヤスタン)なら死なずにすんだものばかりである。まさに大木(ネウレ)も腐っては用を成さず、ただ害毒を養うのみといったところ。


 かかる奸邪の徒が常に好漢(エレ)の壮図の障となってきたのは実に憂うべきことにて、おおいなるテンゲリの(ゆる)すはずもない。果たしてテンゲリの祝福(ウチウリ)なきクル・ジョルチに見るべき人材はまことに皆無なのか。それは次回で。

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