第一二二回 ③
花貌豹軽騎を以て野戦にタクネイを破り
胆斗公献策に由って天牢にミマンを討つ
ハヤクムは行軍中、兵を遊ばせておく代わりに斥候だけは遠方まで出していた。その斥候から報告が入って、
「西南方、数十里に敵騎発見! 八千騎ほどかと思われます」
「八千だと? 旗は何だ」
斥候はもはや震え上がって言うには、
「き、麒麟児の兵かと……。ウリャンハタの先鋒に違いありません」
ううむと唸って、
「かの鋭鋒には当たるべくもない。よし、道を更えてやり過ごそう」
幕僚たちは驚いて、
「よ、よろしいのですか!?」
問えば、にやりと笑って、
「正面からぶつかっても無益だ。兵法にも『その実を避けて虚を撃つ』とある。ここは道を譲って密かにあとを追うのだ。慢心したとところを後背より襲えば、いかな麒麟児とて逃れえまい」
みなおおいに感心して、さすがは三傑などと称えながら撤収の準備にかかる。ハヤクムは独り悠然と呟いて、
「ふふふ、戦を知らぬ小僧どもに、用兵の何たるかを教えてやろうぞ」
だがその考えが甘かったことをまもなく知ることになる。そもそも彼はウリャンハタの哨戒能力を理解していなかった。またネサク軍の迅速をも軽く見ていたのである。
これが通過するのは明日の午後のことだろうと予測していたので、移動の準備もどこか緩慢であった。もちろんすぐに動こうにも、例のごとく統制が不十分だったので不可能だったのではあるが。
そのころシン・セクのほうは、タケチャクの報告によって敵軍の所在を完全に把んでいた。
「三千? 放っておいてもよいが……」
するとタクカが諫めて言うには、
「我らは敵地深く進攻する。後方を攪乱されてはかなわぬ」
なるほどと頷いて、
「よし、撃とう」
決断するや、全軍に命じてぐっと速度を上げる。そもそも兵の移動は行軍時と戦時では格段の違いがあるもの。西原一と謳われた快足をいかんなく発揮する。
夕刻、ハヤクムの兵衆はおもむろに動きはじめようとしたところでネサク軍を見ることになった。敵騎現るの報にハヤクムは驚愕して、
「迅い……」
あわてて陣形を更えようと試みたが、まるで間に合わずに突っ込まれる。当然、為す術もなく崩される。
ネサク軍の先駆けは、主将シン・セク自身が務める。左右を固めるのはカムカ・チノとタケチャク。怒涛のごとく敵軍を呑み込む。
「おお、我が兵が、我が兵が……」
ハヤクムは真っ青になって、屍の山が築かれるのを眺めるばかり。幕僚が悲鳴混じりに、
「て、撤退の命を……!」
頷こうとしたところに、カムカが槍を掲げて攻め込んでくる。中軍も散々に破られて、金鼓を鳴らさせる暇もない。あわてて馬首を廻らしたが、カムカは早くも気づいて大音声に言うには、
「そこに在るは大将と見た。ものども、逃がすな!」
兵衆は喊声を挙げて一斉に打ちかかる。瞬く間に数を減じて、ハヤクム単騎となった。生きた心地もせず鞍上に身を伏せて駆けたが、みるみる追いつかれる。
「見苦しいぞ、得物を操って死闘せん!」
カムカが叫んだが、耳にも入らぬ様子。かっとして目を見開くと、さらに馬腹を蹴ってこれに迫る。
「死ねっ!」
高々と得物を掲げて一閃、ハヤクムの背に叩きつける。
「ぐわっ!」
三傑と称えられた良将も、真の良将に出遭っては不運と云うよりない。一矢すら報いることなく草原の露と化したのであった。
残兵を適当に追い散らすと、陽が落ちたので夜営することにした。続く勝利に八千騎はおおいに沸いたが、この話はここまでにする。
三傑のもう一人、ミマンはといえば思うに、
「敵は総じて数万の大軍。たかが三千騎では抗しえぬ」
そこで最初から衝突を避けて迂回することにした。さらに幕僚に言うには、
「長躯してウリャンハタの版図を侵そう。ひと暴れして見せれば、退却せざるをえないだろう」
幕僚どもは、さすがは三傑一の知略を誇るミマン様と口を極めて褒め称える。気を好くしたミマンは、すでに計略が成ったような気になって会心の笑みを浮かべる。大量の斥候を放って慎重に敵を避けつつ移動を開始する。
運好く幾日かは無事に進んだが、彼もいささか敵を甘く見すぎたようである。三千もの騎兵が動けば、ウリャンハタの哨戒網に罹らないわけがない。
まずミマンが放った斥候隊が発見された。見つけたのは援軍たるジョルチの斥候。しかも一度ならず幾度も出合うので、トオリルが進言して言うには、
「近くに敵軍が潜んでいるに相違ありません。こちらも斥候を増やしてこれを捕捉せねばなりません」
そこで赫彗星ソラに命じて周辺を広く探索させる。




