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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
484/783

第一二一回 ④ <イトゥク登場>

セイヂュク上卿に謀られ独り麒麟児に対し

イトゥク義憤に駆られて(とも)に靖難社を興す

 ムラカムは軍歴は長いが、決して優れた将領ではなかった。むしろ凡将と云ってよい。それは、ほかの将の追随を許さぬほどの軍歴がありながら、まだ百人長(ヂャウン)でしかないことを見ても明らかである。


 また兵衆から奉られていた渾名(あだな)があって、すなわち「冥王使(冥王よりの使者の意)」と云う。


 一見、猛将(バアトル)を思わせる恐ろしい名だが、その真意は「彼の兵はほかの将の兵より死に近い」、つまり彼が凡将であることを揶揄(やゆ)したものであった。ゆえに兵衆はムラカムを侮りつつも、その麾下に入ることを極度に恐れていた。


 そんな凡庸な将でありながら、彼自身にはその自覚がなかった。よって長老(モル・ベキ)として、軍政や策戦に干渉を試みることしばしばだったので、デゲイはこれを常々持て余していた。


 今回の出兵嘆願はこの老将を除く好機(チャク)である。デゲイが出兵を許したのは、客人(ヂョチ)となっている例の混血児(カラ・ウナス)ムライがそう献言したことによる。そこでムラカムを召して言うには、


「老公の忠心にはいつもながら敬服いたします。よろしい、上卿会議において老公を千人長(ミンガン)に推薦しましょう。特に二千騎を与えることにします」


 もちろんおおいに喜んで退出する。しかし与えられた軍勢を見て失望を禁じえない。二千騎の内実(アブリ)はすでに一線を退いた老兵ばかりであった。それでも勇を奮い起こして、ともに出立する。


 またこのころ、若い将領の間では昨今の草原(ミノウル)の情勢に感化されたものか、旧弊を忌み、上卿専横に疑義を抱くものが現れつつあった。彼らはウリャンハタの北進におおいに危機(アヨール)を感じて、焦燥の念を募らせていた。


 シャガイ氏にイトゥクなるものがある。その人となりはと云えば、


 身の丈七尺三寸、年のころは三十過ぎ、長い(ニドゥ)、厚い(オロウル)、白面にして白心(ツェゲン・セトゲル)痩躯(トランハイ)なるも志気は軒昂にして義胆忠肝、知る人ぞ知る真の好漢(エレ)


 彼は(オロ)を同じくする若者(ヂャラウス)とともに、援軍派遣を請うため大ゲルに赴いたが、族長(ノヤン)のハルは拝謁すら許さなかった。


 そこで義勇軍を募って無断でアイルを離れた。その数は千騎(ミンガン)にすら満たなかったが、この行動は上卿会議に不満を抱く若者たちを刺激しないわけがなかった。


 これを機に方々で義勇軍が起ち、十騎(アルバン)百騎(ヂャウン)と連れ立って、老公救援を唱えつつ南下することになった。


 イトゥクはこれらと合流(ベルチル)して会盟を行った。自ら「靖難救国社」と称しておおいに意気揚がる。イトゥクはこの(ウドゥル)を境に「靖難将軍」と呼ばれるようになった。


 これは上卿会議から反逆(ブルガ)の名を冠せられて、討伐軍が送られることになった。未曽有の国難に何を愚かなと思われるかもしれないが、奸臣とは得てしてそうした愚挙に出るものである。


 討伐軍の長にはゴコク氏のムラマン・オロンとイズムの二将が任命された。四千騎を率いて出立する。ムラマンはもとより何を考えているのか判らぬところのある人物で、暢気に(ドー)など作りながらゆっくりと進んだ。


 一方のイズムも密かに靖難救国社に同情するところがあったので、これ幸いと道を急がなかった。そもそも何を為すにも慎重で、常に友軍(イル)本営(ゴル)と連絡を絶やさず動く将であった。ゆえに四方にたびたび伝令を飛ばしながらの行軍となった。




 さて本題に返って、セイヂュクはそれから麒麟児と三度戦い三度退く有様で、ウリャンハタ軍は無人の野を()くがごとく進撃した。ほかの四手の軍勢、すなわち衛天王、花貌豹、一角虎(エベルトゥ・カブラン)胆斗公(スルステイ)らの軍も遮るものもなく北上する。


 そこに冥王使ムラカム・クシと靖難将軍イトゥクが合流した。セイヂュクは援軍と聞いて大喜びでこれを迎えたが、その陣容の貧弱さにおおいに怒った。


 さらに援軍を要請するべく使者を発したが、これは無益なことであった。すでにコンゴルが送った使者もことごとく上卿によって追い返されていたのである。


 それどころか上卿たちは(ブルガ)の侵攻に備えて、アイルの移動(ヌーフ)を決した。家畜(アドオスン)財産(エド)(まと)めて西北彼方へ難を避けることにしたのである。


 ウリャンハタの鋭鋒をひとまず逃れて、これが去ったあとに帰らんとしたのだが、これこそ愚か極まりない。なぜならカントゥカは出征に際して、


「かの奸賊を駆逐するまで再び故郷の(コリス)を踏むことはない」


 そう宣言していたからである。


 ともかく上卿を乗せた(テルゲン)は真っ先に発った。残された人衆(ウルス)は半ば恐慌に(おちい)って上を下への大騒ぎ。


 人衆のみならず、オルドに在るハヤスン・コイマル・カンすら為す術もなく狼狽するばかりであった。この傀儡の老人(ウブグン)について(おもんぱか)る上卿は、一人としていなかった。


 が、ここにインガル氏において「三傑(ゴルバン・クルゥド)」と称揚される三人の将軍があった。すなわちハヤクム、タクネイ、ミマンである。いずれも齢五十前後の宿将。揃ってカンに(まみ)えると、ミマンが進み出て言うには、


「このままでは我が部族(ヤスタン)は滅亡を(まぬが)れませぬ。かのウリャンハタの小僧(ニルカ)どもは、アイルを(うつ)したくらいではとても避けられないでしょう。どうかカンの御名において我らに兵をお預けください。一命に替えましてもカンをお護りいたします」


 しかし上卿に無断では何ひとつ為したことのないハヤスンはすっかり青ざめて、(アマン)をもぐもぐさせるばかり。強く迫ればやっと答えて、


「へ、兵事については、上卿に(はか)らねば……」


 これにはタクネイが苛立って、


「何を悠長な! 今は危急存亡の(とき)なれば、そのようなことを言っている暇はありませぬぞ。さあ、迎撃の命令(ヂャルリク)を!」


 その勢いに押されてつい小さく頷いてしまう。それを見逃すことなく畳みかけて言うには、


「ではよろしいですな」


 問えば、はっきりと許諾する。三将は拱手して拝礼すると、勇躍(ブレドゥ)して退出する。


 まことに侫者の政事を壟断(ろうだん)する害は量り知れず、部族(ヤスタン)存亡の危機においてすら保身に汲々とするのを()れば、慨嘆を禁じえない。ここに三傑立ってウリャンハタの強兵(ヂオルキメス)を迎えんとするわけだが、果たしていかなる顛末(ヨス)を辿るか。それは次回で。

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