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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
482/783

第一二一回 ②

セイヂュク上卿に謀られ独り麒麟児に対し

イトゥク義憤に駆られて(とも)に靖難社を興す

 タイクン氏に一人の侫者があって、名をムライ・セクルと云う。すでに壮年を過ぎたるも秀麗なる眉目は衆に抜きんでており、かつてはさぞ女衆(オキン)を騒がしたであろうと想像される美丈夫。


 草原(ミノウル)の民にしては彫りの深い容貌(クナル)はそれもそのはず、半分(ヂアリム)は西方の色目人の(ツォサン)が流れている。そこで渾名(あだな)を「混血児(カラ・ウナス)」と云う。つと近づいて言うには、


小僧(ニルカ)どもの軍勢は数万を超えると申します。とても我が軍だけでは敵し得ませぬ。そこで私は上卿を説いて後続を要請してまいります。族長(ノヤン)はとりあえず前軍(アルギンチ)として先行してください」


 セイヂュクはなるほどと頷くと、疑うこともなく、


「そうか、では(たの)んだぞ」


 そう言ってこれを送りだす。


 だが実はムライはかねてより族長(ノヤン)の位を欲して、セイヂュクを亡きものにせんと謀っていた。よって援軍(トゥサ)を要請する気など毛頭ない。これ幸いと(トイ)を離れて、デゲイのもとで形勢を傍観することにした。


 またムライは上卿に多額の賄賂を贈って、ある密約を交わしていた。すなわちセイヂュクを廃することができれば、上卿会議において彼を族長(ノヤン)に推すというもの。


 老将軍を除くという点で利害の一致した双方にとって、ウリャンハタ北進はまたとない好機(チャク)というわけである。


 そんなことは(ごう)も知らぬセイヂュクは、盟友(アンダ)たるカヌンを副将として進発した。カヌンは無欲恬淡にして温厚篤実な老将である。激しやすいセイヂュクにとって格好の輔翼。意気揚がる老将軍の傍ら(デルゲ)にあって、赤ら顔に微笑を(たた)えつつ、


「ほどよく手を抜いていかぬと戦場まで持たぬぞ。何と言っても我らは老いぼれじゃからのう。はっはっは」


 また若い将領たちを顧みて、


「上卿会議も酷なことを言う。何もこんな老人(ウブグン)から送り出さなくともよかろうに。小僧どもに(わら)われるぞ」


 すると目をかけているコンゴルなる将が、


いえ(ブルウ)、お二方は年は召したりといえども我が部族(ヤスタン)柱石(トゥルグ)たる将軍です。先陣(ウトゥラヂュ)を賜るは当然かと存じます」


 単純なセイヂュクは満悦の(てい)で頷くが、カヌンはいやいやと首を振って、


「死にきれぬ老いぼれに冥府(バルドゥ)への(モル)を開いてくれたのじゃろう」


 また言うには、


「ウリャンハタのカン以下、諸将はお主より(アルバン)若い(ヂャラウ)ものばかりだとか。それを思えばわしらの時代など、とうに過ぎておる」


「そう卑下なされますな。小僧どもに(ソオル)の何たるかを知らしめてください」


 するとセイヂュクが勢い込んで、


「そうとも。まだまだ小僧に(おく)れは取らぬ」


 カヌンは微笑を(たた)えたまま何も答えなかったが、くどくどしい話は抜きにする。




 さて、これと最初に干戈を交えたのは言うまでもなく麒麟児率いる八千騎。斥候(カラウルスン)の報告で互いに(ブルガ)を発見すると、戦地を定めて向かい合う。敵陣を望見してタクカが言った。


「あの(トグ)は、例の老公ではないか」


 カムカがふんと(ハマル)で笑うと、


「クル・ジョルチにはよほど人がいないと見える」


 シン・セクも笑って、


「よし、鎧袖一触、蹴散らしてくれようぞ!」


 みなおうと応える。そこで金鼓が高々(ホライタラ)と打ち鳴らされ、八千の精鋭は弓を(ガル)に一斉に馬腹を蹴った。対するタイクンの(デム)からも金鼓が鳴りわたり、老将自ら先頭に立って突撃を敢行する。


 十分な間合いになり、矢が(クラ)のごとく飛び交いはじめる。ひゅっと空を裂く音が(チフ)に連なり、間隙を縫って怒号、悲鳴が(こだま)する。


 さらに近づくと(ウルドゥ)を抜き放って(アクタ)(うなが)す。瞬く間(トゥルバス)に両軍は交錯して激しく斬り結ぶ。今や人馬入り乱れ、兵衆の喊声は天地をどよもす。あるいは斬られ、あるいは貫かれ、あるいは馬蹄(トゥル)(にじ)られる。


 漆黒(ハラ)の名馬、「黒亜騏(こくあき)」に(また)がったシン・セクは、名剣「七星嘆」を振るって縦横無尽に駆け回り、次々と敵兵を(ほふ)る。しかし七星嘆はその輝きを鈍らせることなく、(ツォサン)を吸ってかえって妖しい光沢を(まと)いはじめる。


 牙狼将軍(チノス・シドゥ)カムカも「チノ」の号に相応しく、その(ヂダ)の赴くところ着々と屍の山(ウクレン・アウラ)を築く。


 次第に兵勢はウリャンハタ有利に傾いた。セイヂュクの叱咤も、かの二将の猛勇(カタンギン)の前では虚しく響くばかり。業を煮やした老将は、勇ましく大刀を手にするなり怒号を挙げてカムカに打ちかかる。


「小僧め! わしの大刀を喰らえ!」


 それに気づいたカムカはかっと(ニドゥ)(いか)らせると、


「老人は羊の番(ホニチド)でもしているがいい」


 とてこれを受ける。かくて十合、二十合と打ち合ったが、所詮セイヂュクは六十を幾つも過ぎている。やがて(アミ)は荒れ、刃先が乱れはじめた。


 かつては猛将(バアトル)として聞こえた彼も、老いには勝てぬといったところ。だが自負の強いセイヂュクは退くことを(がえん)じない。周囲の兵衆は(エヂェン)を守らんとわっと群がるが、チダ氏の兵に(はば)まれる。


「もらった!」


 カムカは咆哮を挙げて槍を繰り出す。瞬間、どこからか一本の矢が飛来して両将の間を(よぎ)った。


 あわてて身を引いたカムカが見遣(みや)れば、コンゴルの一隊が馳せ来たる。たちまち乱戦となり、老将どころではなくなる。コンゴルはカヌンの(カラ)を受けて、これを救いにきたのである。なおも闘志失わぬセイヂュクを(なだ)めて、(ようや)く後退させる。

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