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草原演義  作者: 秋田大介
巻九
481/783

第一二一回 ①

セイヂュク上卿に謀られ独り麒麟児に対し

イトゥク義憤に駆られて(とも)に靖難社を興す

 ウリャンハタ部の大カン、衛天王カントゥカは、長年に(わた)るクル・ジョルチ部との争闘(カドクルドゥアン)を終わらせるために、北伐を敢行することを決した。動員した兵力は総じて三万五千騎である。


 さらに盟友(アンダ)たるジョルチン・ハーンから、援軍(トゥサ)として胆斗公(スルステイ)ナオル率いる八千騎が加わった。


 約会(ボルヂャル)(ウドゥル)、約会の(ガヂャル)に双方の好漢(エレ)二十六人が会した。カントゥカは諸将に告げて言った。


「かの奸賊を駆逐するまで、再び故郷の(コリス)を踏むことはないだろう」


 また戒めて言うには、


「先の南征において我々は大軍を擁していたにもかかわらず、いたずらに惑い疑って戦機(チャク)を逸した。これを教訓として、この(ソオル)(サルヒ)のごとく襲い、(ガル)のごとく攻め、敵人(ダイスンクン)をして奸智を弄する暇を与えぬことだ。軍を御する将は情勢を(かんが)みて適宜行動し、大略から逸脱せぬ範囲で自ら判断せよ」


 みな緊張した面持ちで頷く。潤治卿ヒラトより五手の軍勢の侵攻経路が示されると、いよいよ出陣である。


 例によって麒麟児シン・セクが先発する。続いて花貌豹サチ、一角虎(エベルトゥ・カブラン)スク・ベク、竜騎士カトメイ、胆斗公ナオルらが(トイ)を払い、最後にカントゥカ率いる中軍(イェケ・ゴル)がゆっくりと動きだす。


 すでに砂塵止み、蒼穹高く、(ウヴス)(ダライ)波打つ初夏である。西原はこの間に良い(クラ)を得て、軍馬(アクタ)は肥え、人衆(ウルス)は潤った。だがそれは敵人とて同じこと。


 クル・ジョルチ部がこの大軍の動きに気づかぬ道理(ヨス)もなく、あわてて上卿が召集された。


 以前述べたとおり、クル・ジョルチ部の実権は、カンではなく上卿会議(注1)にある。初代ウラオスの西遷を(たす)けた有力な氏族(オノル)長老(モル・ベキ)たちが、ハーンの血統が絶えてのち共謀してこの独自の体制を築いた。


 その権限は強大であまねく政事全般に及び、軍隊の統帥権は無論、カンの罷免すら思うがままだった。歴代のカンは傀儡として雌伏せざるをえなかったのである。


 当代のカンはインガル氏の温厚な老人(ウブグン)、ハヤスン・コイマル・カンであった。彼はウリャンハタ軍北進の報を聞いて俄かに血の気を失う。高き座(オンドゥル)に在りながら発言することすら許されず、ただ震えるばかりであった。


 数多いる上卿の中でもさらに中核(ヂュルケン)となるのは、八人(ナェマン)の侫者である。すなわちシュガク氏のイウト、デゲイ、ブリカガク氏のトデチ、オクドゥ、ゴコク氏のバルゲイ、シャガイ氏のオガチ、ハル、そしてオカク氏のソドムである。


 この日もこの八人が上座に連なって会議(クラル)を牽引した。と云っても彼ら自身がおおいにあわてていたので、策を講じようにもただ(わめ)き騒ぐばかりといった有様。


 中でも狂態を呈したのは、唯一(ガグチャ)女性(ブスクイ)であるソドムである。その(ハツァル)は醜く(ゆが)み、(フムスグ)は吊り上がり、さながら鬼女のごとき形相で、頭頂から突き抜けるような高い(ダウン)(まく)し立てる。言うには、


「早く何とかしなさいよ! 兵を、兵を出すのよ! 何をもたもたしているの! こうしている間にも暴徒は迫っているのよ!!」


 ただでさえ狼狽(うろた)えている上卿たちはいよいようんざりした様子で、とはいえこれを遮る勇気(ヂルケ)もなく、ただ曖昧に笑みを浮かべる。苛立ったソドムは、ますます狂気じみて叫び散らす。やっとデゲイがそれを制して、


「猶予ならざる事態であることはみな解っています。もっと冷静にならなきゃいけませんよ。ほっほっほ」


 渇いた笑い声を立てれば、かえって(オト)(トス)を注いだようなもの。


「ならあんた、何とかなさいよ! 笑いごとじゃないわ! ええ、そうよ、笑っているときじゃないわ!」


 するとその陰湿な性格(チナル)を忌み嫌われて、禿頭虎(ハルザン・カブラン)渾名(あだな)を持つバルゲイが、その禿頭に浮き出た汗をつるりと(ぬぐ)いながら、


ええ(ヂェー)、まったくソドム殿の言うとおり。これは早急に対処せねばならぬ大事でありますからには……」


 イウトが割って入ると、殊更(ことさら)に呵々大笑して、


「易いことじゃ。我に数万の鋭鋒あり。然るべき将を任じればよい。何も心配は要らぬ。易いことじゃ」


 しかしその(ヌル)もこわばっていては精彩を欠く。


「誰!? 誰に兵を預ければいいの? あの麒麟児やら衛天王やらと互角に戦える武将があって? さあ、言いなさい! 誰なの!?」


 ソドムは(シレエ)をどんどんと叩いて諸卿に迫る。それを機にまたがやがやと騒ぎはじめて、互いによその氏族(オノル)の将を推薦し合うばかりで一向に決まらない。これはいずれも己の軍勢を(そこ)ないたくないからであった。


 バルゲイがやはり(マグナイ)の汗を(ぬぐ)いつつ周りを(なだ)めて言うには、


「我が部族(ヤスタン)には忠心(シドゥルグ)厚き老将軍がおられるではありませんか。ここはタイクン氏のセイヂュク殿が適任かと存じます。かの老公はウリャンハタとも幾度か干戈を交え、敵情にも通じておられます」


 上卿たちはこの提案にほっとして、即座に賛成する。たちまち出陣を(うなが)早馬(グユクチ)が送られる。元来政争の理に(くら)いセイヂュクは、部族(ヤスタン)危難(アヨール)に奮い立って麾下の将を集めると、


小僧(ニルカ)どもに思い知らせてやろうぞ!」


 闘志を(みなぎ)らせて出陣の準備を始める。

(注1)【上卿会議】詳細については、第七 七回④参照。

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