第一二一回 ①
セイヂュク上卿に謀られ独り麒麟児に対し
イトゥク義憤に駆られて俱に靖難社を興す
ウリャンハタ部の大カン、衛天王カントゥカは、長年に亘るクル・ジョルチ部との争闘を終わらせるために、北伐を敢行することを決した。動員した兵力は総じて三万五千騎である。
さらに盟友たるジョルチン・ハーンから、援軍として胆斗公ナオル率いる八千騎が加わった。
約会の日、約会の地に双方の好漢二十六人が会した。カントゥカは諸将に告げて言った。
「かの奸賊を駆逐するまで、再び故郷の土を踏むことはないだろう」
また戒めて言うには、
「先の南征において我々は大軍を擁していたにもかかわらず、いたずらに惑い疑って戦機を逸した。これを教訓として、この戦は風のごとく襲い、火のごとく攻め、敵人をして奸智を弄する暇を与えぬことだ。軍を御する将は情勢を鑑みて適宜行動し、大略から逸脱せぬ範囲で自ら判断せよ」
みな緊張した面持ちで頷く。潤治卿ヒラトより五手の軍勢の侵攻経路が示されると、いよいよ出陣である。
例によって麒麟児シン・セクが先発する。続いて花貌豹サチ、一角虎スク・ベク、竜騎士カトメイ、胆斗公ナオルらが陣を払い、最後にカントゥカ率いる中軍がゆっくりと動きだす。
すでに砂塵止み、蒼穹高く、草の海波打つ初夏である。西原はこの間に良い雨を得て、軍馬は肥え、人衆は潤った。だがそれは敵人とて同じこと。
クル・ジョルチ部がこの大軍の動きに気づかぬ道理もなく、あわてて上卿が召集された。
以前述べたとおり、クル・ジョルチ部の実権は、カンではなく上卿会議(注1)にある。初代ウラオスの西遷を佐けた有力な氏族の長老たちが、ハーンの血統が絶えてのち共謀してこの独自の体制を築いた。
その権限は強大であまねく政事全般に及び、軍隊の統帥権は無論、カンの罷免すら思うがままだった。歴代のカンは傀儡として雌伏せざるをえなかったのである。
当代のカンはインガル氏の温厚な老人、ハヤスン・コイマル・カンであった。彼はウリャンハタ軍北進の報を聞いて俄かに血の気を失う。高き座に在りながら発言することすら許されず、ただ震えるばかりであった。
数多いる上卿の中でもさらに中核となるのは、八人の侫者である。すなわちシュガク氏のイウト、デゲイ、ブリカガク氏のトデチ、オクドゥ、ゴコク氏のバルゲイ、シャガイ氏のオガチ、ハル、そしてオカク氏のソドムである。
この日もこの八人が上座に連なって会議を牽引した。と云っても彼ら自身がおおいにあわてていたので、策を講じようにもただ喚き騒ぐばかりといった有様。
中でも狂態を呈したのは、唯一の女性であるソドムである。その頬は醜く歪み、眉は吊り上がり、さながら鬼女のごとき形相で、頭頂から突き抜けるような高い声で捲し立てる。言うには、
「早く何とかしなさいよ! 兵を、兵を出すのよ! 何をもたもたしているの! こうしている間にも暴徒は迫っているのよ!!」
ただでさえ狼狽えている上卿たちはいよいようんざりした様子で、とはいえこれを遮る勇気もなく、ただ曖昧に笑みを浮かべる。苛立ったソドムは、ますます狂気じみて叫び散らす。やっとデゲイがそれを制して、
「猶予ならざる事態であることはみな解っています。もっと冷静にならなきゃいけませんよ。ほっほっほ」
渇いた笑い声を立てれば、かえって火に油を注いだようなもの。
「ならあんた、何とかなさいよ! 笑いごとじゃないわ! ええ、そうよ、笑っているときじゃないわ!」
するとその陰湿な性格を忌み嫌われて、禿頭虎の渾名を持つバルゲイが、その禿頭に浮き出た汗をつるりと拭いながら、
「ええ、まったくソドム殿の言うとおり。これは早急に対処せねばならぬ大事でありますからには……」
イウトが割って入ると、殊更に呵々大笑して、
「易いことじゃ。我に数万の鋭鋒あり。然るべき将を任じればよい。何も心配は要らぬ。易いことじゃ」
しかしその顔もこわばっていては精彩を欠く。
「誰!? 誰に兵を預ければいいの? あの麒麟児やら衛天王やらと互角に戦える武将があって? さあ、言いなさい! 誰なの!?」
ソドムは卓をどんどんと叩いて諸卿に迫る。それを機にまたがやがやと騒ぎはじめて、互いによその氏族の将を推薦し合うばかりで一向に決まらない。これはいずれも己の軍勢を損ないたくないからであった。
バルゲイがやはり額の汗を拭いつつ周りを宥めて言うには、
「我が部族には忠心厚き老将軍がおられるではありませんか。ここはタイクン氏のセイヂュク殿が適任かと存じます。かの老公はウリャンハタとも幾度か干戈を交え、敵情にも通じておられます」
上卿たちはこの提案にほっとして、即座に賛成する。たちまち出陣を促す早馬が送られる。元来政争の理に昏いセイヂュクは、部族の危難に奮い立って麾下の将を集めると、
「小僧どもに思い知らせてやろうぞ!」
闘志を漲らせて出陣の準備を始める。
(注1)【上卿会議】詳細については、第七 七回④参照。