第一 二回 ④ <テムルチ登場>
サノウ祭に至りて策を用いて二士を救い
インジャ塞に往きて理を以て両将を説く
「ドクト殿、それは何ものだ。ドノルとか何とか聞こえたが……」
インジャが尋ねると、
「なあに、向こうの山に住む野卑な部族です。そこのテムルチという族長とは不倶戴天の間柄で、ずっと相争っております。すぐに追い返してきますから、どうぞそのままで」
これを聞いたインジャはドクトを押し止めて、
「いったい何が原因なのだ。いたずらに争っていてはお互いのためになるまい。ただ利を欲して争うのであれば、それは世の奸賊どもと同じことだぞ」
ドクトは小考して答えた。
「そもそもはテムルチが悪いのです。この山塞を欲して攻めてくるので防衛しているに過ぎません。ドノルはやはり小部族ですが、族長のテムルチはなかなかの戦巧者、ゆえに私が自ら参らねばなりません」
「まことにそれだけの理由なのか。つまらぬ戦で貴重な壮丁を死なせることはあるまいに」
「それはテムルチに言ってくだされ」
なるほどと頷くと、即座に馬を牽くよう命じる。あわてたのはナオル以下諸将、何をするつもりかと問えば、
「決まっておろう、テムルチとやらに会いにいくのだ。愚かしい戦をせぬよう説得する」
諸将は当然口を極めて諫める。しかし珍しくインジャが肯じないので、やむなくみなで山を下ることにした。
さて、ドクトは山道の入口を固めてドノルの軍勢を待ちかまえた。ドノル軍は瞬く間に指呼の間に迫る。さっと人馬が分かれて一人の将が進み出たのを見れば、
身の丈七尺半、齢はやはり若く、眼は狐狸のごとく、口は蜥蜴のごとく、手は鞭のごとく、足は枝のごとく、虎の皮を纏い、馬は雪のような白馬、これぞドノルの族長、テムルチ。
「神霊の家を荒らして塞を築いた罪、今日こそ糺させてもらうぞ。不敬の輩め、きっと天王様もお怒りだろう。神妙に塞を渡せば命ばかりは助けようぞ」
ドクトはこれを聞いておおいに怒る。インジャが尋ねて言うには、
「彼の言葉はどういう意味か」
「あんなの妄言に決まっておりましょう! 塞を得んがための方便、こちらの戦意を殺ごうとしているのです」
「なるほど、まあここは私が直に尋ねてまいろう」
そう言うと、インジャは迷うことなく馬を進めた。セイネンとジュゾウがあわてて従う。テムルチは、カミタ軍から若い将が悠然と前に出てきたので、脅かしてやろうと大声で怒鳴りつけた。
「お前らは何ものだ! 罪人に与するならば同じように天罰があろうぞ!」
ところがインジャは涼しい顔で、
「私はドクト殿の客で、ジョルチ部のインジャと申すもの。貴殿は神霊の家が云々と言われたが、どういうことか」
その落ち着き払った態度にテムルチは少しく驚いたが、色には出さず滔々と弁じて言うには、
「そもそもこの山は古来より神霊の住む聖地として我ら山岳の民が敬しておったところ。そこに彼奴らが押し入って塞を築いたため、山岳の民を代表して諫めに参った次第。ところがカミタは私欲を逞しくして兵を繰り出す有様、ゆえにこうして何度も足を運んでいるのだ」
「ほう、先に聞いた話だと、私欲を逞しくしているのは貴殿と承ったが」
「それこそ神霊を恐れぬ野人の戯言、私に欲などない」
「なるほど。しかし神霊の地を護るのは貴殿の職責というわけでもあるまい。もしカミタを追ったとしても、剣に由ってそれを成したのであればやはり不敬ではないか。天王様の望むところとは思えぬ」
テムルチは少し言葉に詰まる。が、気を奮い起こして言うには、
「ではいかにせよと言うのか。虚言を弄して、そこの野人に与せんとしても欺かれんぞ!」
ナオルらは、はらはらしてこれを見守っていたが、インジャはあわてる風でもない。にこやかに言うには、
「これはあくまで神霊の業に依らねば解決を見るまい。血と剣をいくら並べても天王様の怒りを買うだけのこと。自ら敵を求め、大切な民を失い、上天の怒りも受けるというのでは貴殿の志も無になろう。ここは直に天王様にお伺いを立てて、双方その結果に従うということにしてはどうか」
セイネンが驚いて言うには、
「軽々しくそんなことを言うものではありません。義兄が占卜に長じているなど聞いたことがありません。あのテムルチという男は、山岳の民にしては知恵もありそうです。虚言は通じませぬぞ」
インジャは笑って頷く。ナオル、セイネンら人界の知恵者も、ことが神霊の話となると為す術もなくただ成り行きを見守るばかり。
「私はある方法によって天王様にお伺いを立てることができる。テムルチ殿とやら、もしそれが虚言であれば、そのときはこの私を斬るがよい。ドクト殿も、どういう結果になろうと天王様の意思と思い従うように。みな一旦得物を置け」
テムルチは内心訝りつつも、テンゲリへの畏れもあってインジャの言葉に順った。一方のドクトはドクトで、いったい何が始まるのか見当もつかなかったが、己の不利になるようなことはするまいと思って何も言わなかった。
さて、インジャは山岳の二将を誘ってカミタの山塞へ向かうのとは別の道を登っていった。諸将はなぜインジャが知らない道を先導していくのかわけがわからず、やはり虚言だったのではと不安になりつつ急いであとを追う。
しばらく進んだところで顧みて、ナオルとセイネン以外はその場に残るよう命じた。ハツチ、コヤンサン、ジュゾウはしぶしぶあとに残り、五人で先へと進む。
まさに聖なる山に入りては剣も馬も用いるところとてなく、恃むは神霊の業ばかりといったところ。インジャはまことに天王の言葉を得ることができるのだろうか。またそれはいかなる方法に拠るのか。それは次回で。