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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
479/783

第一二〇回 ③

四頭豹トオレベを弑逆(しいぎゃく)して幼主を奉じ

超世傑クリルタイに登極して人衆を(やす)んず

 万事遺漏なく進んで、ついにテンゲリに新しきハーンを告げるときが来る。ジョナンの長老(モル・ベキ)が左右の援けを借りつつ壇上に上がると、興奮する人衆(ウルス)を制して悠揚迫らぬ調子で告げて言うには、


「すべてのヤクマンの人衆は一致して、ジョナン氏族長(ノヤン)ムジカを(エド)の庇護者として、(ヂャサ)の執行者として、我らのハーンとして戴くことを祖宗(ボルカイ)に、そして大なるテンゲリに報せよう。願わくばテンゲリの祝福あらんことを!」


 後段は長老の(ダウン)も震え、興奮の極にあることを示す。どっと歓声が巻き起こり、群衆(バルアナチャ)は右手を突き上げて新たなハーンの誕生を(たた)えた。大歓声はうねりとなってエトゥゲンを揺らし、テンゲリに(こだま)した。


 壇上にムジカが上がると、場は途端に静か(ヌタ)になった。みな固唾(かたず)を呑んで、新しき主君(エヂェン)言葉(ウゲ)を待ったのである。ムジカはゆっくりと周囲を見わたすと、


「我らヤクマンの民は、かつて英王を戴き、草原(ミノウル)に仇をなし、不義不仁の汚名をほしいままにした。同じ草原(ミノウル)に牧する人衆(イルゲン)を害し、長城(ツェゲン・ヘレム)(ウリダ)にある中華(キタド)(ノガイ)となって乱を為すこと長きに(わた)った。これはヤクマンの()()()()()である。今よりこれを改め、草原(ミノウル)の民としての誇りを持ち、草原(ミノウル)(ヂャサ)を行い、祖宗に()じるところなきよう、乱世の終息に精励するべきである」


 一旦言葉を切れば、どっと歓声が起こる。それを制すると、


「故英王は色目人を重用し、祖宗の(ヂャサ)を変え、部族(ヤスタン)の善き慣習(デグ・ヨス)をことごとく(こぼ)ち、ついには四頭豹なる奸臣を登用して人衆の安寧(オルグ)を奪った。かの奸臣は妖婦と結託して人衆を危難に(おとしい)れ、(モル)(あやま)った。これはヤクマンの()()()()()である。今よりこれを改め、すべての良心(ツェゲン・セトゲル)ある人衆がその生命(アミン)を保ち、その家財を保ち、その親族(ウイエ・カヤ)を保つことができるよう、(オロ)を砕くべきである」


 またもや歓声。そして、


「故英王が、ついには四頭豹に政事の壟断(ろうだん)を許し、凶刃の下に(たお)れたことはまったく部族(ヤスタン)の恥辱である。ただならぬ乱世にありながら、いたずらに(ガル)(こまぬ)いて幼主を戴くまでに堕してしまった。これはヤクマンの()()()()()である。今よりこれを改め、奸臣を放逐し、苛政に苦しむ人衆を救い、部族(ヤスタン)の栄光を復するべきである」


 歓声。最後にムジカはインジャやギィらを指して、


「妄執を脱し、法規(ヂャサグ)ある草原(ミノウル)の民としての矜持を恢復することができたのは、赤心王(フラアン・セトゲル)ジョルチン・ハーンの聖徳の賜物(アブリガ)である。我らヤクマンの人衆は大ハーンの(オロ)に従い、草原(ミノウル)に大法を、人衆に安寧を得るべく駆けるべきである。それによって大罪を(あがな)い、子孫に禍を残さぬよう努めるべきである。私はマシゲルのアルスラン・ハンに(なら)って『ハーン』の称号(ツォル)(はばか)り、ただ『ハン』をもって我が称とするだろう」


 これも大歓声をもって迎えられる。方々からムジカともにジョルチン・ハーンやアルスラン・ハンを(たた)える声が相次ぐ。


 この(ウドゥル)を境にムジカは、「ムジカ・ハン(慕直合罕)」、あるいは敬意を込めて「クルゥド・ハン(俊傑合罕)」と呼ばれることになった。


 またそれに伴ってタゴサがハトンに冊立され、アステルノ、キレカ、オラルの三人が万人長(トゥメン)に任じられた。ソラ以下の諸将は千人長(ミンガン)となる。


 一連の儀式が終わると(ウヘル)(ほふ)り、(ホニデイ)()いて、盛大な宴が催される。多くの人衆にも馬乳酒(アイラグ)が行きわたり、(ナラン)が落ちたあとも篝火(かがりび)を焚いて、歓呼の声はいつ果てるともしれない。ここでも「奔馬(クラン)と戯れる」が高らか(ホライタラ)に演奏されたのは言うまでもない。


 散会したのは夜も()けてからのこと。翌日にはそれぞれ帰途に就いたが、ムジカらジョナンの好漢(エレ)はこれをいちいち見送っては謝意を表す。


 最後にインジャたちが発ったが、ムジカはこれを三十里ほども送っていく。別れ際にまた席を設けて宴に興じ、一夜を過ごしたがくどくどしい話は抜きにする。




 さて、ムジカの即位は南原の人衆への影響すこぶる大きく、しばらくするとこれに投じるものが相次いだ。十人(アルバン)百人(ヂャウン)、ときには千人もの民が(テルゲン)を連ね、老人(ウブグン)の手を引き、赤子(ニルカ)を抱いてムジカ・ハンの庇護を求めたのである。


 こうして南征に敗れたにもかかわらずムジカの、すなわちインジャの人衆、家畜(アドオスン)は増加の一途を辿った。


 ムジカは定期的に奔雷矩(ほんらいく)オンヌクドをオルドへ派し、人衆の帰投を逐一報告に及んだ。ハンとなっても忠順(シドゥルグ)なる義君の臣であることを内外に示したのである。その謹厳実直な態度を伝え聞いて、もとからの僚友(ネケル)(ヂャカ)を正してインジャに仕えるようになった。


 これはかつてサノウが危惧したように、インジャがその僚友をあくまで兄弟として遇し、決して臣下として扱わなかったため、次第に忠勤の心に緩みが生じて上下の順が乱れ、放埓に堕しかけていたのを戒めることになった。


 以来、インジャの制定した(ヂャサ)は遵守されるようになり、より強固な体制が確立したのである。


 ヤクマンの五氏族(タブン・オノル)は、すべての牧地(ヌントゥグ)、兵衆、家畜はジョルチン・ハーンから預かったものであると強く認識していた。それが浸透していったのである。顧みれば誰もが義君なしでは部族(ヤスタン)氏族(オノル)を保つことができなかったことに(ようや)く思い至ったのである。


 が、当のインジャ自身は僚友を遇すること今までどおりで、接するに温顔をもってし、これを(たの)みとし愛すること何ら変わらなかった。そのことは彼らにより敬愛の(ドウラ)を抱かしめることになった。


 南征による疲弊(ハウタル)を脱して国力を恢復するべく、黄金の僚友(アルタン・ネケル)は日々怠らず尽力した。増大した牧地を繋ぐ駅站(ヂャム)も着々と整備された。新たに徴用された兵卒には厳しい調練が施された。壮丁(ヂャラウス)の士卒に志願するものは軍営(トイ)に長蛇の列を成した。


 こうして瞬く間(トゥルバス)にジョルチの国勢は往時に勝るほどになったが、この話はここまでにする。

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