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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
472/783

第一一八回 ④

一個の盟邦現れてインジャ兵鋒を収め

二個の吉報連なりてギィ天命に(したが)

 幾日かして、アネク・ハトンが無事に出産したとの報をもたらしたのは、白面(シルガ・)(クルガナ)マルケであった。神都(カムトタオ)の情勢を探ったあと山塞に赴いた彼は、ちょうど吉報を得たので昼夜兼行で駆けてきたのである。


 生まれてきたのは男児であった。


「おお、そうか!」


 インジャはそれだけ叫んでしばらくは口も()けぬ有様だった。マルケは莞爾と笑って、


「ご安心ください。天仙娘によれば、ハトンも御子(ティギン)もすこぶる健康だそうです。おめでとうございます」


 一同はわっと歓声を挙げて口々にこれを祝った。


「そうか、そうか。で、名は……」


 隼将軍(ナチン)カトラが(はじ)けたように笑って、


「それはハーンがお付けになるものでしょう!」


「おお、そうか!」


 打虎娘タゴサがけらけらと笑って、


「先ほどからハーンは『そうか』としかおっしゃらないね!」


 座は大笑に包まれる。インジャは笑い収めると(ハツァル)を赤く染めて、


「ううむ、どういう名が好いか」


 九尾狐テムルチがふざけた調子で、


「帰る前に決めておかねば、ハトンの逆鱗(げきりん)に触れますぞ」


 またどっと笑い声。インジャはおおいに照れながら、


揶揄(からか)うんじゃない。思いつくものも思いつかぬではないか」


 石沐猴(せきもっこう)ナハンコルジが腕組みしつつ、


鉄鞭(テムル・タショウル)のアネクの子ともなれば、相当な猛将(バアトル)に成長するに違いない」


 などと呟いて、美髯公(ゴア・サハル)ハツチに(たしな)められたりもする。ともかく誰もがこの慶事に心慰められ、常にもまして狂騒に身を委ねたのである。




 ところが慶事はそれだけではなかった。マシゲルから早馬(グユクチ)が到着して、瓊朱雀(けいしゅじゃく)アンチャイ・ハトンの出産をも報せたのである。これも男児であった。


 好漢(エレ)たちは同日に二つの吉報を得て驚くとともに、これもテンゲリの(めぐ)り合わせとおおいに盛り上がった。このギィとアンチャイの子こそ、のちに「小獅子」と呼ばれ、草原(ミノウル)どころか異国(カリ)までも名を轟かせる名将になるのだが、それはさておく。


 その夜は一兵卒に至るまで(ボロ・ダラスン)が供され、好漢たちも久々に(ホオライ)を潤した。


 癲叫子ドクトの胡弓(ホール)が鳴り響き、名曲「奔馬(クラン)と戯れる」を合唱(チョーリン・ドー)してひたすら騒ぐ。翌日には(モル)を分かってそれぞれの牧地(ヌントゥグ)へ帰還するということもあって、宴はいつ果てるともなく続いた。


 席上、ギィがインジャにつと近づいて言った。


「ジョルチン・ハーンにお話があります」


「改まって何ですか?」


 向き直って尋ねれば、


「出陣したときから決めていたのですが……」


 そこで一旦(ニドゥ)を閉じる。しばらく待っていると、目を開いたギィは決然として、


「我がマシゲル部は、全人衆(ウルス)を挙げて、ジョルチン・ハーンにお仕えいたします」


「えっ! 今、何と……?」


 虚を衝かれてインジャは瞠目する。ギィはもはや躊躇することなくはっきりと、


「マシゲル部を、どうかハーンの臣民にしてください。草原(ミノウル)はかつての混乱を経て、(ようや)く統一の気運が高まっております。四方を見わたせば、義君のほかに(アミン)を託すべき主君(エヂェン)はありません。我が盟友(アンダ)たる超世傑が幕下に加わったと聞いて、内心羨望を禁じえませんでした。もとより私はベルダイから(エメ)を迎えており、ジョルチとは浅からぬ縁があります。このようなときに申し上げるべきではなかったかもしれませんが、是非とも我が誠心(チン)をお容れくださるよう伏してお願い申し上げます」


 そして言葉(ウゲ)のとおり平伏する。インジャはあわてて助け起こすと、


「席にお着きください。私のごとき小人ならずとも獅子(アルスラン)殿の仕えるべき英雄はありましょう。いや(ブルウ)、そもそも獅子殿こそ一世の英雄ではありませんか!」


「これは独り私が決めたことではありません。アンチャイはもちろん、ゴロやコルブらとも(はか)って決めたのです。了承していただくまで帰るわけにはまいりません」


 いつの間にかその背後にマシゲルの諸将が控えている。やはり拝礼して懇願する。インジャは唖然としてすぐには答えることができなかったが、やがて言った。


「それでは我が盟友(アンダ)として(クチ)を貸してください。獅子殿をほかの僚友(ネケル)同列(アディル)に扱うわけにはいきません」


 莞爾と笑うと付け加えて、


「そのようなことをしては我がハトンに叱られます」


 ギィたちはどっと笑うと、インジャを(たた)えて乾杯する。このことはあっと言う間に末席まで伝わり、驚き喜ばぬものはなかった。


 以後、ギィは唯一(ガグチャ)のハーンたる義君を(はばか)って称号を改め、「アルスラン・()()」と称することになる。これより先、ジョルチン・ハーンに仕える部族(ヤスタン)の長はすべて「ハン」、もしくは単に「カン」と称するようになった。


 夜が明けて、彼らは新たな気概(ヂルケ)を胸に、それぞれの牧地へ帰っていった。


 インジャは道中ずっと我が子の名を考えていたが、この長子(ティギン)こそのちに義君の遺志を継いで四方万里にその名を轟かせ、地上に住むすべての人衆に知られざるはなき英雄となるのである。


 まさしく偉業を成すも難いが、それを保ち伝えるのはさらに難く、ここに一子在りて初めて万民安んずるといったところ。果たしてインジャは子に何と名付けたか。それは次回で。

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― 新着の感想 ―
[一言] 秋田さんの作品に刺激を受けて、短編のエッセイを書いてみました。 もしお時間があればダメ出しお願い致します。
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