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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
470/783

第一一八回 ②

一個の盟邦現れてインジャ兵鋒を収め

二個の吉報連なりてギィ天命に(したが)

 ジュゾウの斥候(カラウルスン)が戻ったのは二日後である。その報告を聞いて、諸将は驚きを禁じえなかった。何と言ったかと云えば、


「四方数百里に(わた)って敵兵は一人もいません」


「どういうことだ?」


 インジャの問いに窮して、


「さあ、判りません。退いたのか……」


 みな首を捻ったが、そこで神道子ナユテが進み出ると、


「私にひとつ考えがございます」


「何だ。遠慮なく申せ」


 その(ヌル)は陰鬱として憂いを帯びている。言うには、


「霹靂狼から何の報せもないのはなぜでしょう? しかもかの先鋒(アルギンチ)は、草原(ミノウル)一の神速を誇る神風将軍(クルドゥン・アヤ)。いまだに先駆け(ウトゥラヂュ)も至らないのはおかしくないでしょうか」


 皆の顔がさっと青ざめる。ナユテは続けて、


「つまり、四頭豹の矛先が(ヂェウン)に転じたのではないかと……」


「もしそれが()たっていたら由々しき事態だ……。(ブルガ)の擁する兵は数万、対して東軍は僅かに一万三千だ」


 インジャの(ダウン)は心なしか震えている。超世傑ムジカが立ち上がって、


「すぐに救援(トゥサ)に向かいましょう。いや(ブルウ)、もし神道子の考えが外れていたとしても、ここで待つより我らも動いたほうが早く合流(ベルチル)できます」


「たしかにそのとおりだ。よし、すぐに出立の手配を」


 勅命(ヂャルリク)が下り、夕刻(ヂルダ)にはすべての準備は整った。


 翌朝、二万八千騎は進発する。全軍の先駆けは地理に明るい碧水将軍(フフ・オス)オラルである。しばらくは誰にも出合わぬまま駆ける。


 変化があったのは二日目の夕刻であった。一騎の(やつ)れ果てた早馬(グユクチ)を保護したのである。早速中軍(イェケ・ゴル)に伴われると、苦しげに息を吐きつつ言うには、


「トシ・チノ様、アステルノ様の軍は、一昨日に敵の大軍に遭遇。勇戦するも大敗いたしました……」


 諸将はテンゲリを仰ぐ。


「それで、霹靂狼殿はどうした!」


 セイネンが尋ねれば、


「敗残の兵を集めてこちらへ向かっております。トシ・チノ様はじめ諸将はみなさまご無事でございます」


 それを聞いて僅かに安堵の息を漏らす。暗鬱に押し黙っているサノウに代わってナユテが言った。


「残兵はいかほどか」


「……ほぼ半減、六千騎ほどを残すばかりです」


「わかった。下がって休むがいい」


 向き直ると拱手して言うには、


「急ぎ合流しなければなりますまい。出発の命を」


うむ(ヂェー)


 インジャはまたしても(オモリウド)を掻き(むし)られる心地だったが、己を鼓舞して進軍を命じる。幸い翌日には無事にトシ・チノたちを発見することができた。


 東軍の諸将は平伏して涙ながらに謝罪したが、もちろん(とが)めることなく赦した。その軍勢は報告よりもさらに脱落があって減っており、これを併せても三万騎を僅かに超えるばかりであった。


 夜、天幕(チャチル)にすべての僚友(ネケル)を集めたインジャは、悲痛な面持ちで(アマン)を開くと、


「多くの人衆(ウルス)(そこ)ない、軍馬(アクタ)を失ったのは、すべてハーンたる私の罪過(アルヂアス)である。当初、数万を数えた我が軍勢は、獅子(アルスラン)殿や超世傑らを加えたにもかかわらず三万騎ほどになってしまった。敵は奸計を弄して盟友(アンダ)の後背を襲わしめ、また大軍をもって殺戮(アラアサアル)をほしいままにしたが、それもこれも我が不明に因るもの。ここにみなに謝罪し、謹んで罰を請わんと思う」


 そう言って(テリウ)を垂れる。呑天虎コヤンサンが思わず叫んで、


「何を言うんです! 勝敗は兵家の常ではありませんか。敗戦の責を問うなら、我らをこそ叱ってください! どうしてハーンの罪ということがありましょうか」


 みな口々に同意して自らの罪を謝する。そこでギィがそっと言うには、


「ジョルチン・ハーン。みなの言うとおりです。勝敗は兵家の常、誰も責めることはできません。言い換えればすべての将に罪があるのです。むしろ(はか)るべきは今後のことではありませんか」


 インジャは深々と溜息を吐くと、一、二度強く首を振って、


「獅子殿の言うとおりだ。では今後について意見を求めたい。というのは、このまま南征を続けるか、それとも……」


 一旦言葉(ウゲ)を切ったが、気を奮い立たせて言うには、


「……南征を断念して北帰するか」


 諸将ははっとして主君(エヂェン)を仰ぐ。インジャは眉間に皺を寄せて(ニドゥ)(つむ)る。


 知らず黄金の僚友(アルタン・ネケル)たちは滂沱(ぼうだ)と流涕する。南征に最初から(したが)っている将は無論のこと、中途より帰投したものも、等しく(ヂャカ)を濡らす。


 何よりその涙こそがインジャの問いへの返答であった。誰もが南征継続の不可能を悟っていたのである。

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