第一一八回 ①
一個の盟邦現れてインジャ兵鋒を収め
二個の吉報連なりてギィ天命に順う
さて、トオレベ・ウルチ征討のため三方からオルドへ攻め寄せようとしたジョルチの南征軍だったが、時を費やしている間に四頭豹ドルベン・トルゲは持てる全軍を動員して迎撃に出た。
ジョルチの先鋒、紅火将軍キレカがヴァルタラ平原でこれと遭遇したのを機に、両軍は激戦を展開する。如何せんヤクマンはジョルチに倍する兵力を擁していたため、衆寡敵せず惨敗を喫してしまった。
壊滅に近い打撃を被ってなお追撃の手は緩むことなく、インジャ以下黄金の僚友は敗残の兵を連れて森の中を逃げ続けた。
やっと森を抜けたところ、そこにはすでに亜喪神ムカリの赤軍が待ち構えていた。もはや抵抗する気力もなく、命旦夕に迫る。
そのときであった。不意に万雷のごとく銅鑼が響きわたり、敵軍の右背の丘にどっと旌旗が立ち並ぶ。インジャはじっとそれを見ていたが、みるみる喜色を浮かべて言った。
「おお、あれはまさしく……。信じられぬ……」
好漢たちも思いは同じ。ついに百策花セイネンが叫んだ。
「マシゲルの旗だ! あれは獅子殿の軍勢だ!」
言葉のとおり、それはマシゲルの旗。そして大将旗の下にある堂々たる武人こそアルスラン・ハーン、すなわち獅子ギィであった。高々と右手を挙げると、インジャのもとまで聞こえるくらいの声ではっきりと、
「ジョルチン・ハーンの窮状を救え! 突撃っ!」
応じて数千からの騎兵が、わっと喊声を挙げて駆け下ってくる。そのまま赤軍の後背に錐のごとく突き入れば、たちまち乱戦となる。
「うぬぬ、獅子め! 迎え撃て、怯むな!」
ムカリが激昂して叫ぶ。
マシゲルの先頭に立っていたのは誰あろう、ヤクマン部を追われた赫彗星ソラであった。さらに迅矢鏃コルブ、黒鉄牛バラウン、加えて紅き隷民の帥将ゾルハンの姿もある。
インジャらは呆然として両軍の戦闘を眺めていたが、はっと我に返ると、
「戦え、戦え! 獅子殿にばかり戦わせるな!」
口々に叫ぶや、先ほどまでの疲労、絶望を忘れて、手に手に得物を執って打ちかかった。ムカリは挟撃された形となり、しばらくは踏み止まっていたものの、ついに堪えかねて退却に転じる。コルブがこれを追撃して、余の軍勢は矛を収めて陣を張った。
インジャは、ギィに見えると、歓喜の情を浮かべつつその手を取って、
「危急を救っていただき何と言って感謝すればよいのやら……。獅子殿の来援なくんば我らの命はなかったでしょう!」
答えて言うには、
「礼なら赫彗星とゾルハンに言ってください。二人に何としても出陣させてほしいと日夜懇願されたので参ったのです。それにしても殆ういところでした。間に合ってほっとしています」
これを聞いてインジャは、平伏しているソラとゾルハンに駈け寄ってこれを立たせると、厚く礼を述べる。二人は恐縮して再び平伏する。ギィは快活な調子で、
「インジャ殿、これより我が軍もヤクマン征伐に加わらせていただきますぞ」
インジャは面を輝かせて、
「願ってもないこと! こんな力強いことはない!」
居並ぶ好漢もわっと快哉を叫ぶ。こうしてギィの率いてきた五千騎が新たに加わったわけだが、それでも総数は一万騎ほどであった。彼らはさらに五十里退き、僚軍の合流を待つことにした。
まず到着したのは胆斗公ナオルの一万八千騎。あまりに早かったので訝しんで尋ねたところ、
「実は敗報を受ける前からこちらへ向かっていました。百万元帥が四頭豹が動くことを予見して、半信半疑の我らをして道を更えさせたのです。ヴァルタラに間に合わなかったのは無念ですが、おかげでこれほど早くに相見えることができたというわけです」
インジャはおおいに感心してトオリルを賞した。すると言うには、
「いまだ戦は終わっていません。賞を賜るわけにはいきません」
たしかに道理だったので、その話はそこまでになった。
次に彼らを喜ばせたのは飛生鼠ジュゾウが帰ってきたことである。敗戦を聞いたジュゾウは顔を曇らせつつ謝して言うには、
「予断を許さぬ状況は続いています。早速斥候を再編して敵情を探ってまいりましょう」
席の暖まる暇もなく任務に就く。それから続々と僚友が合流するにつれて、少しずつではあったが活気が戻ってきた。
そんな雰囲気をよそに、敗戦以来サノウは打ちひしがれた様子で沈み込んでいたが、インジャに召されてやっと大ゲルに姿を現した。
「軍師、今後の策戦について意見を聴きたい。我が中軍は潰え、獅子殿の兵を併せても一万騎に届くかどうかというところだ。霹靂狼と合流したら軍を再編成するべきだと思うが」
サノウはしばらく黙していたが、やっとか細い声で、
「そのとおりでございます」
「ならば軍師とセイネンにそれを委せるが、よいな?」
はっと顔を上げると、
「いえ、私は……」
「何か困ることがあるか。ジョルチの軍師は君だ。嘱んだぞ」
「……承知」
漸く答えて退出する。インジャは気遣わしげにそれを見送ったが、この話もここまで。