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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
465/783

第一一七回 ①

ムカリ陣頭に奮迅して(やす)く三将を(もてあそ)

インジャ死地に勇戦して(つい)に一軍を(こぼ)

 クル・ジョルチ軍南下の報を受けて、ウリャンハタ軍二万騎は南征軍から離脱(アンギダ)して西原へ去った。ジョルチ軍はやむをえず南進を延期して三軍を再編成したが、その間にヤクマン部の丞相(チンサン)四頭豹ドルベンは、五万を超える大軍を興して出陣した。


 のちにこの(ソオル)経過(ヨス)を知った神箭将(メルゲン)ヒィは嘆息して、


「ウリャンハタ離脱の時点で、戦略そのものを転換するべきだったのだ。そもそも兵法にも『故に兵は拙速を聞くもいまだ巧久を()ざるなり』と謂うではないか。たしかに三軍を整えて大蛇(マングス)のごとく運用するは理想だが、形に固執したばかりに四頭豹に(チャク)を与えたのだ」


 また付け加えて、


(けだ)獬豸(かいち)軍師サノウは世に類稀なる軍師だが、機に臨んで変に応ずる才略(アルガ)には欠けたるところあらんか」


 それはさておき本題に返って、危機(アヨール)迫ることを予感(ヂョン)すらしていない義君インジャらは、昼は進み、夜は休んで次第に南進した。


 先に霖霪駿驥(りんいんしゅんき)イエテンが憂慮に沈んでいたことは述べた。一度は呑天虎コヤンサンに(とが)められて(アマン)(つぐ)んだが、行軍中そのことがずっと気に懸かっていた。ある夜、(たま)りかねて中軍(イェケ・ゴル)のインジャを訪ねると、密かに内心を打ち明ける。


 するとインジャは、


「イエテンの懸念、もっともである。明日よりは斥候(カラウルスン)の数を倍にして備えよう。よく気づいてくれた」


 まだ完全(ブドゥン)に不安が払拭されたわけではなかったが、とりあえずほっとすると、コヤンサン辺りに気づかれぬよう、そっと自陣に戻る。


 その翌日である。前を行く紅火将軍(アル・ガルチュ)キレカから急の伝令が送られてきた。その(ヌル)は青ざめ、(マグナイ)には大粒の汗が浮かんでいる。よほどあわてて駆けてきたらしく、(エメル)から滑り落ちるように下りると、勢い込んで拝謁を求める。


 許されてインジャの前に平伏すると、半ば悲鳴混じりに叫んで、


「ぜ、前方に敵軍(ブルガ)! ……そ、その数はおよそ数万かと! (コセル)を埋め尽くす大軍でございます!」


 居並ぶ好漢(エレ)は思わず(ダウン)を挙げる。さらに第二報が入る。


「ガダラン軍、ヴァルタラ平原にて交戦に突入! 敵の先鋒(アルギンチ)は、赤い旗(フラアン・トグ)を掲げたる猛将(バアトル)にて……」


「亜喪神だ!」


 誰からともなく忌まわしき名が叫ばれる。その後も間断なく入る報告は一刻の猶予も許さぬことを示す。インジャは即断して、


「全軍急行! 紅火将を援けよ!」


 それを受けてサノウから細かな指示が飛び、伝令が四方八方に放たれる。ジョルチ軍は俄然速度を上げてヴァルタラ平原へ向かった。


 戦場に到着した諸将は瞠目した。まさに早馬(グユクチ)の告げたとおりである。ガダラン軍は堅陣を組んで、怒涛のごとき猛攻に堪えている。赤軍の濃い赤旗と、紅火将の黄味がかった赤旗が入り乱れる。その後方には敵の大軍が左右に広く布陣している。


 インジャは厳しい顔つきでそれを睨むと、


「軍師!」


 サノウが応じて進み出ると、


「今は死戦あるのみ。総力を挙げて紅火将を救うほかありません」


 その表情は険しく苦悶に(ゆが)んでいる。インジャは大きく頷くと、


「軍鼓を!」


 高らか(ホライタラ)に鼓の音が響きわたる。碧水将軍(フフ・オス)オラルは叉を大きくうち振るうと、兵衆を叱咤して、


「イレキ軍、突撃! 紅火将を救うのだ!」


 わあっと大喊声を挙げて、青い(ツェンヘル)旗を掲げた七千騎が混戦に割って入る。それを見届けたインジャも腰の宝剣(ダナ・ウルドゥ)をすらりと抜いて、


永えの(モンケ・テンゲリ)天の力(・イン・クチュン)にて(・ドゥル)、突撃!」


 常にない大声がすべての兵の頭上に降りかかると、天地をどよもす喊声がこれに応える。インジャは馬腹を蹴って真っ先に駆けだした。(ガル)ある双眸をかっと見開き、ただ正面を見据えて(アクタ)を駆る。


 その気迫に負けじと、前衛を担う癲叫子ドクト、雷霆子(アヤンガ)オノチの二人の勇将も怒号を()き散らしつつ突進する。


 インジャの周囲を固めるのは百策花セイネン率いる紅袍軍(フラアン・デゲレン)。名のとおり紅の戦袍を(まと)い、朱塗りの(ヂダ)を脇に挟んで主君(エヂェン)の身を護る。


 またその左側(ヂェウン)にぴたりと寄り添うは巨躯の好漢、飛天熊ノイエン。並のものなら十人がかりでも持ち上げられぬ(テムル)の錫杖を、軽々と振り回しつつ(したが)う。顧みて青い顔のサノウに言うには、


「我が背後より離れなさるな!」

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