第一一六回 ③
カントゥカ卒かに冦難に接して南原を辞し
ドルベン漸く三軍を興して義君に挑む
おおいに意気揚がった両将は、降兵を入れて二万近くに膨れ上がった軍を率いて進軍を再開した。赤と青の旗を押し立ててクフ平原に至ると、歓呼の声をもって迎えられる。
陣を定めると、キレカとオラルは轡を並べてインジャのもとへ向かう。すぐに拝謁を許された両将は平伏して、まずオラルが言うには、
「勅命に従って西征し、我が盟友、紅火将軍を伴って帰還いたしました」
インジャはこれを労いつつ、その視線を新たな僚友に注ぐ。キレカは澄んだ瞳をそっと上げて、己の仕える新たな主君を窺うと、涼やかな声で言った。
「ガダラン氏族長キレカ・オトハンです。正邪の別も弁えずハーンの兵と干戈を交えましたこと、どうかお赦しください。我が盟友オラルの勧めに応じて前非を悔い、臆面もなく御前に罷り越しました。これよりは独りハーンのために、その剣となり、盾となり、狗となって草原を騒がす奸賊を討ち滅ぼすべく尽くさせていただく所存です。何とぞ我が志をお疑いになることなきようお願い申し上げます」
インジャは感心して、
「紅火将軍の名は昔日より万雷のごとく私の耳に響いていた。今日こうして会えたことはこの上ない喜びである。以後は我が兄弟として、盟友として、及ばざるところを翼けてほしい」
「もとより非才なれど、鞠躬尽瘁(注1)いたします」
居並ぶ黄金の僚友から、わっと歓声が挙がる。さらにオラルが、
「実はここに来る前に敵の大将軍ダサンエンの緑軍と遭遇し、これを討ち果たしてまいりました」
布に包んだ首級を差し出す。インジャは喜んで言った。
「まさしく両将は長大なる両翼、強靭なる双鞭である。一対の猟犬、二頭の駿馬である。我はこれを嘉し、みなはこれを範とするであろう」
キレカとオラルは低く頭を垂れて謝意を表する。ともかくこれでいよいよ四頭豹征伐に向けて進むばかりとなったのである。
一方、四頭豹ドルベン・トルゲもついに重い腰を上げようとしていた。戦況は逐一報告されている。
「ほほう、クル・ジョルチが動いたか。大スイシめが任務を果たしたらしいな。残るはフドウの小僧と叛徒の群れか」
アサンらが危惧したとおり、クル・ジョルチ来寇は四頭豹の策略であった。南征軍が発動したばかりのころに大スイシを西原に送り込んだのである。亜喪神ムカリは地を踏み鳴らして、
「あの大カン気どりにひと泡吹かせんと思っていたのに」
「ははは、相変わらずだな、亜喪神。お前の出番はもうすぐだ」
「ではついに……」
頷いて、
「出陣する」
「おお、待っておりましたぞ!」
そこへ新たな早馬が到着して、ダサンエンの敗北を報じる。四頭豹は微笑を湛えたままだったが、傍らのムカリは憤激して、
「何たる失態! 彼奴は恥を知らぬのか! 敵に一矢を報いることもなく逃げ惑ったあげく、小者に擒えられるとは」
四頭豹が笑い混じりで、
「もうよいではないか。奴はその程度の男よ。死んで清々したというもの。それより我らの戦が肝要」
「おお、そのとおりです! してどちらへ? 敵は三手に分かれて攻め寄せる心算。我らも分かれますか?」
四頭豹の目に一瞬軽侮の色が過ったが、変わらぬ調子で言うには、
「それは上策とは言えぬ。兵の運用の極意は集中。敵は分かれ、我は一なるこそ勝利の法」
「ならば……」
「手を拱いていれば、敵は大蛇のごとく首、胴、尾と相揃うだろう。そうなれば一を打てば余の二軍が至り、まことに厄介な相手となる。彼奴らもそれが狙いなのだろうが、その前に、互いに離れている間に個別に叩く」
「どいつをやりますか!」
微妙に眉を顰めて多くは答えずに、
「首を撃てば、自然に烏合の衆は四散する」
「然り!」
ムカリは意気揚々と退出する。その背に冷徹な一瞥をくれると、伝令を招いて細々した指示を出したが、くどくどしい話は抜きにする。
(注1)【鞠躬尽瘁】心身ともに捧げて自分のことを顧みずに尽くすこと。