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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
460/783

第一一五回 ④

アステルノ義君を(はか)りて超世傑酒に乱れ

ジュゾウ神風に賭して美髯公髪を()

 しばらくは何の兆しもなく、草原(ケエル)は相変わらず延々と続き、(サルヒ)は彼方から吹きわたって(ハツァル)を打つ。テンゲリは高く、青く、僅かな(エウレン)すらない。その中を三人の好漢(エレ)は駆け抜けていく。


 いつか(ナラン)は中天高く、初めて休憩を挟む。円陣を組んで斥候(カラウルスン)を放ち、食事を()る。そろそろ発とうかというとき、一騎の斥候が大喜びで戻ってくる。駆け込むなり叫んで言うには、


「セント軍です! セント軍八千騎があの(ドブン)の向こうに!」


「何だと? (ウネン)か!」


 ジュゾウは驚いて跳び上がる。オンヌクドは満足げに頷いて微笑む。あわれハツチは青ざめてテンゲリを仰ぐ。ことの顛末(ヨス)など知らぬ斥候は頬を上気させて、


はい(ヂェー)! すでに我らの所在を伝えれば、神風将軍(クルドゥン・アヤ)は軍を留めて待機しておられます!」


 それぞれの思いを抱えつつ、三人は千騎(ミンガン)命令(カラ)を下す。ジュゾウが言った。


「完敗だ、完敗。よもや天兵を除いてこれほど速い軍があろうとは思わぬ」


 そして満面の笑みを浮かべてハツチを見遣(みや)ると、


「まあいいさ。負け分はあとできっちり払うさ。なあ、無髯公」


 かっと瞋恚(しんい)を含んだ(ニドゥ)を向けたが、何も言えずに押し黙る。すぐに発って丘を越えると、斥候の言ったとおり八千の軍勢が布陣している。(トグ)(まぎ)れもなくセント氏のもの。アステルノに(まみ)えて挨拶を交わし、インジャの命令(ヂャルリク)を伝えると、


承知(ヂェー)。すぐにも霹靂狼のもとへ向かおう。ただ貴公らは我が軍についてこられるかな?」


 三人は(ヌル)を見合わせて、小声で話し合う。ついにハツチが言うには、


「麾下の千騎はここで返します。我らは何としても同道させていただく所存」


 アステルノは呵々大笑して、


「ならばあれこれ言うまい。死ぬ気でついてくるがいい。中途で弱音を吐いても、待ってはやれぬぞ」


 その言葉(ウゲ)のとおり、進軍は過酷を極めた。休憩はほとんどなく、(アクタ)を次々と乗り替えながら何かに憑かれたように先へ進む。ジュゾウらはただ必死で馬の背にしがみついているばかり。


 夜になってやっと停止が告げられたときには呼吸(アミ)すらままならず、身体(ビイ)(きし)んで立っていることもできない。滑り落ちるように(エメル)を下りるなり、(ウヴス)の上に寝転んで荒い息を吐く。ジュゾウはそれでも無理に笑いつつ言うには、


「俺はこんなつらい思いをしたのは初めてだ。……さあ、賭の精算をしよう」


 ハツチは顔を(ゆが)めて、


「この上、さらにわしを苦しめようと言うのか!」


「わ、忘れぬうちにやっておかぬとな。逃げられてはかなわぬ」


「わしが逃げるだと! 侮辱もたいがいに……」


 あとは咳き込んでしまって言葉にならない。兵に命じて馬乳酒(アイラグ)を持ってこさせると、それを飲んでやっとひと息()く。そこへアステルノが現れて、三人の困憊(こんぱい)した姿(カラア)をおおいに笑うと、


「明日も夜明け前には発つぞ。半日でこの有様では先が危ぶまれるな」


「ひえぇ! 明日もこれが続くのかい。さっさとことをすませて寝ちまおう」


「何をすますって?」


 問いに答えて、オンヌクドが賭の仔細を話せば、


「ははは、ジョルチの好漢よ。俺を軽く見た当然の報いというわけだ」


「猛省してるさ。二度とこんな賭はするまいよ」


 ジュゾウは起き上がると、(エブル)より短刀を取り出して、


「さあ、美髯公(ゴア・サハル)。俺が自ら剃ってやるぜ。顔を出しな」


 ハツチは今はこれまでと思い定めて、ぐっと(エリウン)を突き出すと、


「存分にやるがいい! よいか、(テリウ)まで丁寧に剃り上げるのだぞ!」


 半ば自棄になって叫ぶ。オンヌクドはさすがに不憫に思って、


「ジュゾウ殿、先のほうだけで(ゆる)してやってくれないか」


 そう言いだせば、何と当のハツチ自身が強く首を振って、


いや(ブルウ)、好漢に二言はない! ばっさりとやってくれ」


 これにはジュゾウも辟易(へきえき)して、


強情(コキル)な。奔雷矩(ほんらいく)()り成してくれたというのに。礼を言って従うがいい」


「ええい、うるさい! わしは半端が嫌いなのだ!」


 この言いざまにむっとしたジュゾウは、短刀を構えると、


「よくわかった! ならばこっちも遠慮はせぬ。(ニドゥ)を閉じろ!」


 堅く目を閉じて胡座する背後に回ると、躊躇なく頭髪に刃を入れる。オンヌクドは瞠目して、アステルノは笑みを浮かべてこれを見守る。


 はらはらと黒い髪が膝に落ちかかり、みるみるうちに頭皮が(あらわ)になる。眉間の皺はいよいよ深く、苦悶の表情となる。


 ついに後頭部まで青々と剃られ、残るはふさふさと伸ばした(サハル)ばかりとなったところで、刃を(カンチュ)(ぬぐ)って言うには、


「よし、できた!」


 みな虚を衝かれて唖然とする。ジュゾウは得々として、


「半端が嫌いだと言っていたから、半端にしておいた。どうだ『美髯公』にして『禿頭公(ハルザン)』となった感想は」


 ハツチは恐る恐る頭に(ガル)をやる。びくりと(ムル)を震わせて、


「おお、おお、また何ときっちり剃り上げたものだ……」


 アステルノは手を叩いて喜ぶと、


「ははは、よく似合うではないか。いかつさが増したぞ!」


「いかつくなどなりたくないわ! ああ、わしの華麗な容姿(クナル)がこんな酷い有様に成り果てるとは……」


「華麗? もともと酷いではないか」


「言ったな、飛生鼠!」


 激昂(デクデグセン)したが、昼の行軍に疲れて身体が思うように動かない。苛立ちながらも諦めて、用意されたゲルに這うように入っていったが、この話はここまでにする。


 さてかたやジョルチン・ハーンは予定どおり(トイ)を払って、ウリャンハタ軍とともに行軍を再開せんとしていた。ところがいよいよ前軍(アルギンチ)が発つという間際になって、一騎の早馬(グユクチ)が駆け込む。


 そのもたらした一報から陣中は上を下への大騒ぎとなり、ついには盟友(アンダ)(モル)を分かって進退の再考を迫られることとなる。


 まさしく家郷の難を聞くに及んでは、征野に(クチ)を尽くしがたしといったところ。果たして早馬はいかなる凶報を告げたか。それは次回で。

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