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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
457/783

第一一五回 ①

アステルノ義君を(はか)りて超世傑酒に乱れ

ジュゾウ神風に賭して美髯公髪を()

 イレキ氏の人衆(ウルス)の北上に接した神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノは、自ら軽騎三百を率いて、事実を確かめるべく(トイ)を離れた。


 ホンゴル・エゲムなどの戦地を踏査して、ついにクフ平原に盟友(アンダ)たる超世傑ムジカの旗幟(トグ)を見出す。夜を待って単騎乗り込めば、ムジカ夫妻はおおいに驚く。そこで事の次第を聞いて言うには、


「義君に会わせろ」


 喜んだムジカは早速これを連れてジョルチン・ハーンの大ゲルを訪ねる。親しくこれを迎えたインジャは、アステルノの一見して好漢(エレ)と判る風貌(ガタル)(ニドゥ)を留める。おおいに興味を惹かれた様子で、


「超世傑! 君の傍ら(デルゲ)にある好漢は……」


 問われたムジカは殊の外嬉しそうに答えて、


「よくぞ聞いてくださいました。このものあればこそ、夜分にもかかわらず参上いたしたのです」


 思わせぶりに間をおいて、おもむろに言うには、


「紹介しましょう。このものこそ南原にその名を知られたセント氏族長(ノヤン)アステルノです」


「おお、では神風将軍と渾名(あだな)される方ではないか!」


 インジャは目を見開いて驚き、すぐに立ち上がって拱手すると、


「将軍の令名は(ホイン)の果てまでも轟いておりますぞ。久しくお目にかかりたいと念じておりましたが、図らずも今日お会いできてこれに勝る喜び(ヂルガラン)はありません。申し遅れました。ジョルチ部ハーン、インジャと申します。以後、お見知りおきを」


 そのあまりの丁重さに意表を衝かれたアステルノはあわてて返礼すると、


「アステルノです」


 短く挨拶する。ただその間にも無遠慮にインジャを眺め回す。当のインジャは気にする風もなく、


「さあ、将軍。まずは一杯」


 そう言って杯を満たす。乾杯を終えると、ムジカが勢い込んで盟友(アンダ)を伴った顛末(ヨス)を語る。インジャはいちいち感心したように頷く。


「……それでアステルノがハーンにお会いしたいと言うので連れてきたのです」


「将軍にそう言っていただけるとは光栄です。遠慮せずに飲んでください」


 向き直って空の杯に(ボロ・ダラスン)を注ぎ足しつつ言えば、


「俺は遠慮などしません」


 不愛想に答えて、ぐいと杯を干す。また注ごうとすれば、それを制して自ら杯を満たしはじめる。インジャは呵々大笑して言った。


剛毅(クルグ)な方だ」


 ムジカは内心気が気ではない。ところが当人は一向に気にかける様子もなくぐいぐいと飲んでは、値踏みするような目つきでインジャを凝視している。


 肝心のアステルノが何も話そうとしないので、ムジカはやむなく話題を捻り出しては場を盛り上げようと苦心惨憺、ときには彼にも水を向けて何とか会話に参加させようとしたが、「ああ(ヂェー)」とか「いや(ブルウ)」とか短い返辞を得るばかり。いったい義君にどういう印象を抱いているのかさえさっぱり判らない。


 一方のインジャはと云えば、決して軽妙とは言えぬムジカの話に熱心に(チフ)を傾け、頷き、あるいは機知に溢れる返答でムジカをあわてさせる場面もあった。


 そうするうちにムジカは、傍らの黙して語らぬ盟友(アンダ)が気になって堪えがたくなってきた。黙っているのもさることながら、何よりムジカの気を揉ませたのはアステルノの射るような視線であった。


 ときおりそちらを見遣(みや)りつつ、次第にインジャとの会話も(おろそ)かになってくる。ついにわっと叫んで、主君(エヂェン)非礼(ヨスグイ)を謝すと向き直って言うには、


「おい、神風将軍! ハーンに対して無礼であろう。何とか言ったらどうだ。君がお会いしたいと言うから時を()いていただいたのだぞ!」


 アステルノの目の周りはすでに赤い。ゆっくりとムジカへ(ヌル)を向けると、


(オキン)みたいに騒ぐな。何を一人で舞い上がっているのだ。先から聞いているが、お前の話はわけがわからぬ。どっちが無礼かわからん」


「な、何を……」


 ムジカは言葉(ウゲ)を失う。かまわずインジャに言うには、


「ハーンはあまり酒が進んでおりませんな。お注ぎしましょう」


「いただきましょう」


 差し出す杯が無造作に満たされる。インジャはそれをひと息に干す。


「さあ、まだまだ酒は残っておりますぞ」


 そうして幾度となく注ぐ。傍らのムジカは制することもできずに唖然としてこれを眺めている。インジャは(ようや)く酩酊しはじめて、ついに言うには、


「ああ、酔った。久々に心地好く飲みました」


 しかしアステルノは首を振って、


「まだ飲めるでしょう。俺はまだ注ぎ足りない」


「これは参りました。では、もう一杯だけ」


 そう言いつつ四、五杯重ねると、もともと酒豪とは言えぬインジャは耳まで朱く染めて言うには、


「今度こそこれ以上は飲めません。残りは将軍の分ですぞ」


「いやいや、まだ飲みはじめです。さあ」

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