第一一四回 ④
アステルノ征途に異事を得て蹤迹し
ムジカ夜営に盟友を認めて驚倒す
ムジカはまだ起きてタゴサを相手に酒を飲んでいた。表が騒がしいことに気づいて戸張を開くと、
「何ごとだ! ゆえなく騒ぐなとあれほど……」
しかし残りの言葉は呑み込まざるをえない。目の前にある盟友の姿にただ愕然とする。
「どうした、超世傑。俺の顔を忘れたか」
何も言えないまま首を振る。奥からタゴサも顔を出せば、やはりおおいに驚いて言うには、
「神風将軍じゃないか! いったいどうして……」
「それは俺の聞きたいことでもある。入るぞ」
馬を歩哨の一人に預けると、ムジカを押し退けるようにしてゲルに入る。あわてて戻ったムジカと対面に腰を下ろすと、ひと言、
「説明しろ」
「待て。タゴサ、アステルノに杯を……」
「要らぬ。俺はお前の説明を聞きにきたのだ。酒を飲みにきたのではない」
語気鋭く言えば、困惑した顔で、
「そう頭から怒り散らすものではない。落ち着いて話もできぬ。誰も話さぬとは言っていないのだから、まずは飲め」
そう言われては杯を受け取らぬわけにもいかぬ。差し出された杯に酒が満たされるや、ぐっと干して、
「さあ、飲んだぞ。話せ」
ムジカは呵々大笑して、
「相変わらず気の短い奴だなぁ。よし、君の疑問にすべて答えよう」
そしてここに至った経緯を細大漏らさず語りはじめる。アステルノは注がれるままに杯を干しつつ黙って聴いていたが、ついに奇人チルゲイがタゴサを救ったところまで話し終わると溜息を吐いて、
「なるほど、よく解った」
そう言って思案に沈む。ムジカが遠慮がちに尋ねて、
「君はどうしてここに……?」
応じてアステルノも四頭豹に命じられた策戦を明かし、中途でイレキの人衆の北上を報せる早馬に接して、事実を確かめるべくやってきたことを話す。
「何だって? すると君はオロンテンゲルの山塞を襲うために……」
「そうだ。だが、それも四頭豹の奸計だ。どう考えても千里を越えて敵の本拠を叩くなど愚かしい。何せ後続が一兵もないのだからな」
ムジカはほっと胸を撫で下ろす。それを見てアステルノは、
「おい、お前に頼みがある」
「何だ?」
目を上げたところに言うには、
「義君に会わせろ」
ぱっと顔を輝かせて、
「では君も……」
「まだ判らん。四頭豹に与するのは嫌だが、かといっていきなりハーンに叛く気もない」
ムジカとタゴサは口を極めてインジャの徳を称えようとしたが、それを強い調子で遮ると言うには、
「『百聞は一見に如かず』と謂うではないか。余計なことは言わなくていい。俺は己の目で判断する」
その言葉はまさに神風将軍らしいとひと笑いすると、ムジカは側使いを呼んで、
「ハーンに拝謁したい。馬を飛ばしてご意向を伺ってまいれ」
しばらく待っていたところに漸く戻ってきて、
「お会いくださるそうです」
おおいに喜んで馬首を並べて行けば、遮られることもなく大ゲルに至る。アステルノは密かに夜営の様子を検分していたが、馬を降りたときに囁いて言うには、
「兵事については完璧だ。すばらしい」
「ジョルチン・ハーンの本領はその才略ではない。それに勝る徳にある」
戸張の前でムジカは跪いて、
「臣ムジカ、参りました」
すると中から現れたのは、義君インジャその人。ムジカはあっと驚いて、
「夜分に宸襟(注1)を騒がせ奉ったことをお赦しください」
あわてて平伏すれば、莞爾と笑って、
「堅苦しいことは言わないでよい。さあ、中へ」
恐縮しながら身を屈めてあとに続く。アステルノは何も言わなかったが、インジャが親ら迎えたことに内心おおいに意表を衝かれる。席を与えられて座すと、すぐに酒食が運ばれてくる。
「超世傑よ、我が部族にあってはみな労苦を分かつ兄弟だ。私も貴公をそのように扱うから、そのように接してほしい」
「はい」
そこでインジャは、ムジカの傍らにある偉丈夫が、己を射るような目で見ていることに気づいた。
このことからまた一星の運って主星の傘下に投じ、義君の兵勢ついに両翼うち揃うといった次第となるわけだが、まさしく個の義士至れば、衆の英傑陸続と馳せ参ずといったところ。果たして神風将軍は義君に何と言ったか。それは次回で。
(注1)【宸襟】天子の御心。