第一一四回 ②
アステルノ征途に異事を得て蹤迹し
ムジカ夜営に盟友を認めて驚倒す
「何だと!」
語気荒く制すれば、驚いて息を呑む。
「それは真か」
しどろもどろになりながら、
「はい。碧水将は軍を纏めて投降し、人衆へは北方に難を避けるよう申し送ったとのことで……」
アステルノはしばらく考え込む。早馬の男はどうしてよいかわからずに、口を開けたまま主君の様子を窺う。
「おい!」
「はい、何でしょう」
「お前の報告はそれだけか」
「……と申しますと?」
大きく舌打ちすると言うには、
「それが真なら超世傑はどうした。奴の軍が先行したはずだが」
男は目瞬きも忘れて、ただ口籠るばかり。アステルノは眉間に皺を寄せるとこれを追い出して、
「ムジカが健在ならば、オラルだけが降ることなどありえない。ムジカも降ったか、あるいは……」
俄かに立ち上がると、従者を呼びつけて早口で命令を伝える。応じてあわてた幕僚が集まってくる。事の次第を伝えれば、幕僚たちは呆然として言うべき言葉もない。アステルノは苛立って、
「ここで憶測を述べ合っても始まらぬ。俺は自ら出向いて事実を確かめてくるゆえ、お前らはここで待ってろ」
幕僚は口々に諫めたが一喝して黙らせる。即座に軽騎三百を選抜して、一刻も経たぬうちに馬上の人となる。
「よいか、俺が帰るまで軽々しく動くな。敵が現れたら迷わず逃げろ」
あとは声をかける間もなく馬腹を蹴る。ひとたび動きだせば、草原一の快足を誇る神風将軍の軽騎兵、瞬く間に遠ざかる。
アステルノはものも言わずまっしぐらに西方指して駆ける。漸くホンゴル・エゲムに布陣の跡を発見して言うには、
「見ろ、敵兵の多さを。これではムジカも支えきれまい」
「いかがなされます?」
「クルチア・ダバアだ。ムジカならそこまで退いただろう」
休む間も惜しんで馬首を廻らす。果たしてクルチア・ダバアに至れば、激しい戦闘の痕跡を見出す。愕然として、
「うち棄てられた旗はジョナンのものばかりではないか……」
一人の兵が不審そうな面持ちで、
「あれをご覧ください」
指差す方向にあったのは青き旗。白菱、すなわち氷塊の意匠が施されている。
「碧水将の旗ではないか。あの二人が揃って敗れたというのか?」
訝しく思ってさらに四方を査べれば、ますます混乱して、
「まことに両軍は合流していたのか? 見よ、イレキ兵の屍がまるでない。旗の数も少なすぎる」
恐る恐る一人の兵が、
「よもやすでに背叛していて、敵とともに超世傑様を攻めたのでは……」
「黙れ!」
一喝すれば辺りの空気がびりびりと震える。兵は首を竦めて縮みあがる。黙考することしばし、ふと呟いて、
「……謀計にかかったか」
「は、何と?」
「ムジカは敗れた。行くぞ」
振り返ることもなく馬腹を蹴る。手綱を執りつつ思うに、
「クルチア・ダバアにあったイレキの旗は敵の偽装だろう。だがそうなるとイレキの民が言っていたことが解らぬ。碧水将はまことに降ったのか……」
優れた用兵家たるアステルノは確実にジョルチ軍の踏跡を辿り、さらにハラ・アビドに戦の跡を見出だした。おおいに驚いて言うには、
「イレキ軍はここで殲滅されたに違いない」
その言葉どおり、イレキ軍の敗北は一目瞭然であった。狭い道を埋め尽くした人馬の屍、うち棄てられた旗や武具は、ことごとく青を基調とした碧水将のもの。アステルノは瞑目して弔意を表す。やがて目を開けて言った。
「ここでオラルは敗れ、擒えられたのだ。……しかしなぜあのオラルがあっさりと降ったのか」
そこを去ってほどなく、大軍が営していたと思われるところを発見する。その規模は、さすがのアステルノをも慄然とさせるほどであった。察するに兵力は五万を下るまいと思われた。手綱を強く握りしめて言うには、
「四頭豹は敵にこの大軍あるを知っていたに違いない。それでいながら超世傑と碧水将に寡兵しか与えなかった。敵の手を借りて二人を葬らんとしたのだ。そしてこの俺も……」
考えるほどに怒りが募る。その凄まじい形相に話しかけるものもなく、三百騎は黙々と道を急いだ。