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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
452/783

第一一三回 ④

チルゲイ牛山に奇計を尽くして衆庶を(まっと)うし

ムジカ幕営に妻子に(まみ)えて芳名を与う

 もう三日ほどでジョルチ軍と合流(ベルチル)できようかというところまで来たとき、マクベンが尋ねて言うには、


「奇人殿、あの『火牛の計』はどうして思いついたのだ」


 嬉しそうにふふと笑うと、


「人の話はよく聞いて、覚えておくものだ。以前、神都(カムトタオ)でサノウの家に在ったときに教えられたのだ」


 チルゲイが聞いたところによると、かつて中華(キタド)百の国(ヂャウン・ウルス)に分かれて相争って(ブルガルド)いた(ゥクイ)ころ。(ダライ)に面したとある大国が隣国に侵されて、残すは数城のみという苦境に(おちい)ったことがあった。


 (バラガスン)は厚く包囲(ボソヂュ)されて、互いに孤立していた。そこである城主が一計を案じたが、それこそ「火牛の計」であった。


 火牛を先頭にどっと押し出すと、敵軍(ブルガ)の混乱に乗じて包囲を破り、次々と奪われた城を取り戻して救国の英雄と(たた)えられたという。


「……まあ、そういうわけで『火牛の計』は私が案出したものではない。何千年も前に先人が在ったのだ」


 屈託なく笑う。マクベンはおおいに感心したが、くどくどしい話は抜きにする。




 その後は格別のこともなく、先にムジカらと別れたクルチア・ダバアにあと一日と迫る。ここで先行した人衆(ウルス)と再会する。タゴサは涙を流して喜んだ。御者を務めた少年(クウ)は、おおいに褒められて得意満面。


 いよいよジョルチ軍を訪ねんとすれば、少年が言うには、


「ジョルチン・ハーンの大軍はすでに去ってしまいました」


 どうしたものかと悩んでいるところへ、二騎の将が近づいてくる。はっと身構えたが、不意にオノチが(ダウン)を挙げて、


「あれは、ジュゾウとマルケではないか」


 それはまさしく迎えにきた飛生鼠と白面鼠(シルガ・クルガナ)であった。好漢(エレ)たちは互いに喜び合う。ジュゾウが言うには、


「我が軍は碧水将軍(フフ・オス)を降したあと、南進してクフ平原に営している」


「ははあ、行き違ったか」


 一同は早速あとを追うことにする。そこでマルケが、


「人衆については超世傑殿より伝言がございます」


 聞けば、ゾルハンがこれを率いて西北に向かえとのこと。重ねて言うには、


「すでに獅子(アルスラン)マルナテク・ギィ殿に早馬(グユクチ)が達しております。アラクチワド・トグムに赫彗星ソラ殿が迎えにくることになっています」


 ソラの名を聞いてゾルハンは(ニドゥ)を細める。言うまでもなく彼はジョシ氏の出身(ウヂャウル)なれば、嬉々として引き受ける。


 その(ウドゥル)は、四方数百里に敵影のないことも判ったので、その場に野営して疲れを癒すことにした。出発は翌日に決する。


 ところが夜が明けても彼らは移動(ヌーフ)することはできなかった。なぜかと云えば急にタゴサの陣痛が始まったからである。こうなっては奇人の智恵も、好漢たちの武勇もまったくの役立たず(アルビン)、女どもが忙しく動くのをただ見ているばかり。


 待つだけのときが過ぎて、やっと高らか(ホライタラ)に産声が挙がる。わっと幕舎(チャチル)のうちに駈け込めば、タゴサが笑顔で応えて言うには、


「ムジカのあとを継ぐ(クウ)です」


 侍女(チェルビ・オキン)の抱く赤子(ニルカ)は、拳をしっかと握って威勢よく泣き続けている。チルゲイが感想を述べて、


「何とも健やかな子ではないか。(ハツァル)に光ある相だ。きっと天下に聞こえる英傑(クルゥド)になるぞ」


 オンヌクドらもそれぞれ祝福(ウチウリ)すれば、タゴサが言うには、


「名はムジカに付けてもらおう」


 諸将は喜んで賛成する。早速ジュゾウが先行して報せることにした。彼らはなおタゴサを休ませるためにその場に留まった。


 幾日か経って、ジュゾウが何とムジカ本人を連れて帰ってきた。族長(ノヤン)姿(カラア)を見て、人衆から歓呼の声が挙がる。みな走り寄ってきては涙を流して跪拝する。それに応えながら(エメ)の待つ幕舎へ急ぐ。


「おお、タゴサ……」


「ムジカ……。みなのおかげであなたの子を産むことができたわ」


「すまない。苦労ばかりかけて」


「つまらないことは言わないで。さあ、この子に名を」


 しばらく考えていたが、やがて言うには、


「この子は我が氏族(オノル)の新たな時代に生まれ合わせた。(ソオル)に敗れ、暴君(ハラ・エルキム)を去って義君に投じ、虎口を脱して再び相見(あいまみ)えた日に生まれた。すべてはここより望めるクルチア・ダバアから始まったことだ」


 一同はムジカの横顔を注視する。(ようや)(アマン)を開いて言うには、


永えの(モンケ・テンゲリ)天の力(・イン・クチュン)にて(・ドゥル)、名を与えよう。『クルチア・スルデル』の名を」


「クルチア・スルデル……」


 誰もが異口同音に和する。その意はすなわち「鋭き吉兆」。ムジカはみなを見回して、


「この子が新しき(エイエ)の結び目となるように。新しき世の象徴となるように」


 わっと歓声が巻き起こり、幕舎のうちは祝福の叫びに満たされた。


幸いもてる(オルヂェイトゥ)ジョナン氏!」


「幸いもてるジョルチン・ハーン!」


「そして、幸いもてるクルチア・スルデル!」


 外に集まった人衆にも伝えられ、歓呼の声は草原(ケエル)に轟きわたった。


 このクルチア・スルデルこそ、のちにインジャの子を(たす)けて大長征を成す名将となるのだが、それはまだずっとずっと先の話。


 ともかく懸案が解決し、今は新たな主君(エヂェン)の下に馳せ参じるばかり。それはまさしく小河(ゴロカン)大河(ムレン)に投じるがごとく、あるいは群羊(ホニデイ)牧童(ホニチド)に従うがごとく、主星の導くところ宿星(オド)の感応せざるはなしといったところ。


 果たしてムジカらはジョルチン・ハーンの下でいかなる活躍を見せるか。それは次回で。

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