第一一三回 ②
チルゲイ牛山に奇計を尽くして衆庶を全うし
ムジカ幕営に妻子に見えて芳名を与う
四人の好漢は、後方で大混乱が起こっているのを察して呵々大笑する。およそ一刻ほども駆けて馬を止めると、少し休憩して道を更える。そこでついてきた馬群と別れる。チルゲイはおどけて、
「功績一等の栄誉は諸君の頭上にこそ輝くだろう。さらばだ」
最初はゆっくりと、そして次第に速度を上げてウヘル山を目指す。チルゲイが言うには、
「急げ、急げ。早く山に入らないと」
マクベンが訝しんで、
「奴らには馬がない。そう急ぐこともないだろう?」
振り向いて答えて、
「私は赤軍が千騎しか配されていなかったことが、どうも気になるのだ」
オンヌクドが聞き咎めて、
「どういうことだ?」
「いくら得物を持たぬ弱者ばかりとはいえ、万を超える人衆を抑えるのにたった千騎は少なすぎる。最低でも五千騎は必要だろう」
「女や子どもと見て侮ったのでは?」
マクベンが言えば首を振って、
「もちろん侮ってはいただろうが、おそらく少し離れた地で待機している兵があるはずだ。先に馬を失った千騎から報告が届き次第、動きだすだろう。留守陣を確かめて人衆がいないのを知れば、躍起になって捜しはじめる」
その言葉にみな青ざめる。だがチルゲイは笑って、
「奔雷矩、そういうわけだ。道を違えるなよ!」
「委せておけ。奇人殿こそはぐれるな!」
四騎は矢のごとく夜の平原を駆ける。果たして彼らがウヘル山に辿り着いたとき、まだ追撃の手は伸びていなかった。オノチとゾルハンに見えると、互いの情報を交換する。
「なるほど。ジョナンの人衆は、ほぼ至ったのだな?」
「うむ、まだすべてではないと思うが」
話し合っていると、アルチンが彼方を指して叫ぶ。
「あれを!」
闇の中に灯火の列が見える。
「来たな……」
オノチが無表情に呟く。
「配置は?」
チルゲイが問えば、
「すんでいる」
簡潔に答える。
「よし。ならばお迎えするとしようか」
にやりと笑ってアルチンを促す。応じて炬火に火を点けると、頭上に掲げて二、三度旋回する。赤軍の兵衆は山中に灯の点るのを見て、急いで上官に報告する。
何とその一隊を率いていたのは、かつてミクケルの侍臣だったシャギチ(注1)であった。少年だった彼も今や身の丈も伸び、一個の壮士に成長していた。報告を受けると、迷わず進路をウヘル山に向ける。
待ち受けるチルゲイたちは望見して諮って言うには、
「敵はどれぐらいだろう」
オンヌクドが答える。
「灯火の数から判断するに、奇人殿の予想どおり数千といったところか」
「それなら問題ない。悪いが根絶やしにさせてもらおう」
自信満々に言えば、一同笑みを浮かべる。
何も知らずにシャギチの一隊は山中に入る。道を査べて、轍や馬蹄の跡を確かめれば、ここを通ったのは疑いない。
「よし、行くぞ!」
勇躍して宣言すれば兵衆も興奮して応じる。しばらく進んでいくと、右手に大きな洞穴が開いている、何げなく顔を向けた一人の兵が突然叫んだ。
「何か聞こえたぞ!」
途端に色めき立って入口に群がると、
「出てこい! 逃れられぬぞ!」
中からは何の返答もない。幾度か呼びかけたが同じこと。
「出てこないなら、出てこさせてやる!」
兵衆は互いに促すと、わっと踏み込んでいく。
「奥は広いぞ。この先に隠れているに違いない!」
それを聞いてさらに何十人かが続く。併せて百人ほどが入っていったが、果たして痩せた馬が一頭繋がれているばかりであった。顔を見合わせていると、突如背後でとてつもない大音が轟いた。足許はがくがくと揺れる。
「な、な、何だ!?」
驚きあわてて駈け戻ってみれば、何と入口が巨大な岩で塞がれている。兵衆は恐慌に陥った。泣き叫びつつ岩を退かせようと試みたが、どうすることもできない。
これは無論奇人の謀計のひとつである。洞穴におよそ百人が閉じ込められたほか、落とされた岩の下敷きになったものもまた膨大な数に上った。
(注1)【シャギチ】四姦の一、フワヨウの甥。初登場は第七 一回④。ムカリと行をともにした経緯については第七 五回④参照。