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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
449/783

第一一三回 ①

チルゲイ牛山に奇計を尽くして衆庶を(まっと)うし

ムジカ幕営に妻子に(まみ)えて芳名を与う

 さて、ジョナン氏の留守陣(アウルグ)に至った奇人チルゲイたちは、女子(ブスクイ)老人(ウブグン)を集めて、それぞれ任務(アルバ)を授けた。そして一人の少年(クウ)に託して打虎娘タゴサを先に逃がす。


 チルゲイが言うには、


「さあ、ここからが難しい(ヘツウ)


 好漢(エレ)たちの(ヌル)に緊張の色が走る。あれこれと準備に奔走して夜、女衆から報告が入る。


「敵兵どもは(ボロ・ダラスン)を飲んで、すっかり(ゆる)んでおります」


 チルゲイが頷いて、


「今しばらく待て。酒と(マハ)を絶やすな。二刻経ったら最初の家畜(アドオスン)移動(ヌーフ)せよ」


 やがて二刻が過ぎ、次の報告が行われる。


「家畜は無事に離れました」


 その夜はそれだけで終わる。ゲル群は音もなくひっそりと静まりかえり、ときに(ノガイ)の遠吠えが響くばかり。


 翌日、また大量の(ホニデイ)(ほふ)られ、(ウリダ)の敵陣へと運ばれていく。一方で子ども(クウヘド)が家畜を追って(ホイン)へ向かう。夕刻(ヂルダ)、老人を乗せた(テルゲン)が一台、また一台と去りはじめる。次第に緊張が高まる中、好漢たちは駆け回って、


「あわてるな。今日中にすべて終わらせる必要はないのだからな」


 そう言って人衆(ウルス)を安んじた。夜もまた酒食の運搬と家畜の移動を行う。そうして五日目の朝が明けたとき、笑小鬼アルチンが言うには、


「だいぶ家畜が減った。さすがにそろそろ気づかれるぞ」


「饗応で気を()らすのも限度か。よし、次の計だ」


 そこで女どもを集めて言うには、


「今夜、ここを引き払う。帰って準備をしておけ」


 一人の女が発言を求めて、


「まだ家畜が半分(ヂアリム)も残っておりますが……」


「すべては無理だ。諦めるしかない。家畜はまた()やせばよい。きっと義君が援助(トゥサ)してくれるだろう」


 みながっくりと(ムル)を落とす。草原(ミノウル)の民にとって、家畜は生死に繋がる貴重な財産(エド)である。無論、好漢たちもそれを知っているので気が重い。だが人衆を励まして最後の手はずを整えると、


「さあ、いよいよだぞ、いよいよだぞ」


 チルゲイは(ニドゥ)を輝かす。


 昼、最後の家畜移動が行われる。そして夕刻、これまでに倍する酒食が赤軍(フラアン)陣営(トイ)に運ばれる。その間に人衆はいつでも逃亡(オロア)できるよう、(オロ)を決めて号令を待つ。二刻過ぎたところで、チルゲイはみなを集めて、


衆庶(バルアナチャ)を定められた順に逃がせ。()かしてはならぬぞ」


承知(ヂェー)


 答えると好漢たちは方々へ散っていく。しばらくすると(アクタ)(いなな)きや、車軸(テンギリゲ)の立てる音が微かに聞こえはじめる。オンヌクドらが戻ってくると、チルゲイは、


「我々の為すべきことを為そう」


 そう(うなが)して馬上の人となる。軽い甲を付け、(ガル)には得物を携える。すなわち奇人は細身の(ウルドゥ)奔雷矩(ほんらいく)は棒、皁矮虎(そうわいこ)と笑小鬼は(ヂダ)である。


 馬の口に(ばい)(ふく)ませると、遅足(ブギャア)でそっと敵陣に近づく。警戒は薄く、ときに哄笑が起こるのを遠くに聞けば、すっかり宴に興じている様子。チルゲイはほくそ笑むと、(ささや)いて言った。


「やはり亜喪神の兵だ。魯鈍なところは(エルキム)と同じだ」


「しっ!」


 オンヌクドに制されて(ヘル)を出す。


 四騎は篝火(かがりび)を避けて、(エチネ)から陰へ素早く駆ける。目指すは敵の軍馬である。それはひとつところに繋ぎ止めてあった。闖入者を見て落ち着きなく脚踏みしたり、鼻を震わせたりする。


「おとなしくしていろよ」


 言いつつ馬群(アドゥ)の中に入っていくと、結んである綱を片端から断ち切っていく。ほかの三騎もあちこち駆け回ってはこれに続く。


 あっと言う間にほとんどの馬を解放すると、チルゲイはひゅっと口笛を吹いて馬首を(めぐ)らす。(タショウル)をひとつ入れれば、反応よくどっと駆けだす。ほかの三騎も遅れじとばかりに馬腹を蹴る。


 すると綱を切られた千頭(ミンガン)の馬も、我先に四騎のあとを追いはじめる。(にわ)かに夜の静寂(ヌタ)は破られ、馬蹄(トゥル)の響きがエトゥゲンを揺るがす。


 あわてたのは赤軍の兵衆である。


「何ごとだ!」


「馬が、馬が逃げたっ!」


「追え、追え!」


 あわてて酒杯を投げて、(フル)(もつ)れさせながら飛び出したが、酩酊して思うように動けない。お互いにぶつかっては罵り合う有様。


 何とか馬捕竿(オオルガ)などを持ち出してはみたものの、肝心の()るべき馬がない。百人長(ヂャウン)が、ただ追え、追えと(わめ)き散らす。やむなく自らの足で走っていくが、すぐに(アミ)が切れて前に進めない。中には(ウヴス)の上に嘔吐するものまでいる。

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