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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
448/783

第一一二回 ④

ムジカ大義を説いて碧水将を動かし

チルゲイ女子に託して打虎娘を走らす

「なるほど。ではそれを初めに何とかしよう」


 チルゲイはそう言うと、一人の若い(オキン)に、


「お前は女どもを百人(ヂャウン)ばかり指揮して、酒類(ボロ・ダラスン)肉料理(マハ)などを毎昼夜、敵陣に運べ。量を惜しんではならぬ。たっぷり運ぶのだ」


「それだけでよいのですか?」


 にやりと笑うと、


「お前は賢いな。たしかにそれだけではいかん。乳酪(タラグ)も忘れるな」


 女が神妙な顔つきで去ると奇人は一人で大笑い。笑い収めると次は三人(ゴルバン)老人(ウブグン)に向かって、


「ご老公方にはもっとも重要な任務(アルバ)をお願いしたい」


 そう言ってムジカの投降と、ここを逃れる意図(オロ)を伝える。老人たちは愕然としてものも言えぬ有様だったが、励まして言うには、


「かつての勇者(バアトル)と見込んでお(たの)みします。衆庶(カラチュス)を説いて混乱を防いでいただきたい。敵人(ダイスンクン)に気づかれぬように」


「……承知(ヂェー)


「何も心配は要りません。みなが得心したら、年老いたものから逃がします。(テルゲン)の手配を併せてお願いします」


 老人たちは首を振りつつ退出する。チルゲイはこれを戸張(エウデン)まで見送ると振り返って言った。


「さて(うるわ)しきご婦人方は、いつでも退去できるよう準備を始めよ。ゲルはそのまま置いていくゆえ、大事なものだけすぐに持ち出せるようにしておけ。それとここからは重要だからしかと聴け」


 (ブスクイ)どもを順に見回すと、


「今夜半より家畜(アドオスン)移動(ヌーフ)する。行く先はウヘル(アウラ)。そこでゾルハンが待っている。(ウヘル)を先にし、(ホニデイ)を後にせよ。牝馬(ゲウ)を送り、騙馬(モリ)を残せ。一度に動かすのは全体の一割。明日の昼にまた一割、夜にまた一割を動かせ」


 さらに細かく指示を出し、幾度も言い聞かせてやっと女たちを解放する。最後に少年(クウ)が一人残る。少年は目の前で行われようとしていることの重大さをすでに(さと)って、おおいに緊張していたが、思いきって言うには、


「僕は、私は何をすればいいのですか?」


「君にはもっとも名誉(フンドゥ)ある任務を授けよう。巧みに(アクタ)を操れるか?」


 少年は(ヌル)を真っ赤にすると、(オロウル)を尖らせて言った。


「操れます! ほかの子ども(クウヘド)には、いや(ブルウ)、大人にだって負けません!」


 憤然としたその様子を見て、莞爾と笑うと、


「ならばよろしい。安心して打虎娘を預けよう」


「えっ……?」


 少年は(アマン)をぽかんと開けて、チルゲイの笑い顔を見上げる。


「どうした、馬を巧みに御すと言ったではないか。これからすぐに打虎娘を護って(ホイン)へ駆けるのだ」


「え、え、僕が!?」


「できぬか」


 意地悪く問えば、強く首を振って、


いえ(ブルウ)、できます! (アミン)に代えてもご夫人(ウヂン)をお護りします!」


 チルゲイはいきなり少年の(テリウ)(つか)むと、その(ニドゥ)を覗き込んで(さと)して言うには、


「おい、『命に代えて』などと軽々しく言うな。そういうときは『余裕です』と答えるのだ」


はい(ヂェー)、余裕です!」


 傍ら(デルゲ)からタゴサが口を挟んで、


「あまり小さい子を揶揄(からか)うんじゃないよ。それに私は最後まで残るよ。みなが無事に出たら行くわ」


 するとチルゲイはがらりと表情を改めて、


「それはならぬ。君と、君の子を無事に連れ帰るとムジカに誓ったのだ。先に行け(ヤブ)。ここには私と奔雷矩(ほんらいく)らが残る。それとも我らだけでは不安か?」


 タゴサはその顔をまじまじと見ていたが、やがて小さく言った。


「悪かったわ。言うとおりにする」


 目を伏せて深々と拝礼すると、


「奇人殿、みなをよろしく(たの)みます」


 無言で頷くと、少年を()かして車の調達へ走らせる。ゲルで待つ彼らのもとに逐一報告が入る。それを受けてまた細かに指示を出す。そうするうちにタゴサを乗せる車が用意できる。チルゲイは少年に言い含めて、


「あわてる必要はない。見てのとおりご夫人は子を宿している。丁寧に馬を駆れ。悪路は迂回して、平坦な(モル)を行け。ひたすら慎重にな」


 堅く唇を結んだ少年は幾度も頷く。


「気を楽に……、と云っても無理か。ともかく任せたぞ」


 タゴサは好漢(エレ)たちに後事を託して車に乗り込む。側使い(エムチュ)少女(オキン)が続く。少年は(ハツァル)を引き締めて手綱(デロア)()ると、大人のように拱手して、


「では、行きます」


 一同もこの小好漢に返礼(カリラ)する。高いかけ声とともに車は走りだす。しばらく見送ったのち、チルゲイが顧みて言うには、


「さあ、ここからが難しい(ヘツウ)


 応じてオンヌクドらも緊張の色を浮かべる。


 人衆(ウルス)と家畜は部族(ヤスタン)の根幹といえども、敵地にあっては行動の障りとなることは言うに及ばず、ことごとく保つのははなはだ難しいもの。(たと)えて云えば「累卵の危うきをもって盤石の堅きを撃つ」がごとく、干戈至れば鎧袖一触、(あらが)う術とてない。


 然れども古言に「セチェンは謀をもって争い、バアトルは力をもって戦う」とあるとおり、眼前に一万(トゥメン)の精鋭なくとも胸中に十万の甲兵ありて、まさに暴戻(ぼうれい)(ブルガ)に当たらんとすといったところ。


 果たして奇人の成策とはいかなるものか。また打虎娘は無事に逃れうるだろうか。それは次回で。

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