第一一二回 ③
ムジカ大義を説いて碧水将を動かし
チルゲイ女子に託して打虎娘を走らす
さて、みなと別れて南へ向かった奇人チルゲイはどうしたかというと、それはこれからお話しすること。随うは雷霆子オノチ、奔雷矩オンヌクド、皁矮虎マクベン、笑小鬼アルチン、そしてゾルハンの五将、率いる兵は僅か五百騎である。
彼らは昼は隠れ、夜を待って進んだ。途上、オンヌクドが尋ねて言うには、
「奇人殿はいかなる良策を秘めているのか」
するとちらりとテンゲリを仰ぎ、声を潜めて、
「実はな、奔雷矩。何も考えていないのだ」
「まさか! 揶揄うのは止めていただきたい」
「揶揄ってなどない。まことに何も考えてない。いや、正しくは今まさに考えているところだ」
「何と……」
オンヌクドは怒るよりも呆れてしまう。
「ははは、しかし心配は要らぬ。『窮すれば通ず』と謂う」
「ふざけているときではないぞ」
すると俄かに表情を改めて、
「おお、どうしてふざけようか! ところで奔雷矩、留守陣に遠からぬ地に兵を隠せるところはないか」
「……というと?」
顧みて五百の騎兵を指すと言うには、
「これではいかにも目立ちすぎる。まずは我らだけで行きたい」
「そういうことなら、そうだな、ウヘル山がよいだろう」
「よし、決まった。まずはそこを目指す」
一行は何ごともなくウヘル山に至る。そこは山というよりも大きな丘。遠くから見ると、たしかに牛が伏せたように見える。分け入ってあちこち見回っていたチルゲイは、鞍上で跳び上がらんばかりに喜んで、
「これはいい! 我が計は成ったも同然だ!」
オノチが聞き咎めて、
「何も考えていないのではなかったか?」
喚き散らして言うには、
「今、成った! 今、成った!」
とりあえず兵衆に設営を命じて、好漢たちを集めると、
「耳を寄せろ。今からここに万の大軍をも破りうる堅陣を布くぞ」
みな一様に眉を顰めて半信半疑の面持ち。かまわず言うには、
「いいか。敵中を何百里も踏破するのだ。少しばかりの犠牲は心してもらうぞ」
語るうちに次第にみなの瞳は輝きを増し、ついには手を拍って感嘆する。その日はそれぞれ身体を休めて、陽が昇ると兵衆を指揮して何やら作業を始める。
三日を費やしてそれが了わると、あとにオノチとゾルハンを残して四人で発つ。幸い途中で遮られることもなく留守陣に辿り着く。手近のゲルを訪ねれば、三十ころの女がおおいに驚いて、
「オンヌクド様ではありませんか! いったいどうしたんです?」
「詳しい話をしている暇はない。打虎娘のゲルへ案内してくれ」
「はい、ただ今……」
あわてて出てくると四人を導く。タゴサは留守陣の中央にゲルを構えていた。戸張をくぐって呼ばわれば、側使いの少女があっと声を挙げる。
「私だ、奔雷矩だ。打虎娘はいるか」
すぐには答えられずにいたところ、奥から、
「何だい、大声を出すんじゃないよ。聞こえているよ」
そう言ってタゴサが現れる。ゆったりとした上衣を着けている。
「奔雷矩がここにいるなんてどうしたのさ」
問いかけながらチルゲイの姿を目に留めて、あっと驚く。
「あら、奇人殿じゃないか! いったいどういうこと?」
「ははは、打虎娘、無事で何よりだ。実は火急の用件があって参った」
チルゲイは快活に言ってここに至る経緯を要領よく話す。聞くほどに気丈なタゴサも目を瞠る。
「……というわけで、ムジカの意を受けて迎えにきたぞ」
「話はだいたい解ったけど、容易いことじゃないよ」
どんと胸を叩いて言うには、
「もとより承知。我が胸中に成策あり、だ」
するとあれこれ尋ねることなくすぐに答えて、
「そう。じゃあ、奇人殿に委せるさ。何をすればいいの?」
「さすがは打虎娘、話が早い。まずは信頼できるものを集めてほしい」
応じてすぐに側使いを走らせる。呼ばれて来たのは十人ばかりの女と、三人の老人、加えて少年が一人。
「さあ、集めたよ。次は?」
チルゲイは彼女たちを見回して幾度も頷くと、
「よし、よし。良い目をしている。さてとまずは……、とその前に確認しておきたいことがある。四頭豹の手のものは近くに居るか?」
「南に千騎ばかり張り付いているよ。赤い旗を揚げているから、おそらく亜喪神ムカリの兵だ」




