第一一二回 ①
ムジカ大義を説いて碧水将を動かし
チルゲイ女子に託して打虎娘を走らす
さて、ハラ・アビドで碧水将軍オラルを散々に撃ち破って擒えたその夜のこと。祝宴の席上、超世傑ムジカが卒かに平伏して帰順を申し出る。言うには、
「ハーンの剣となり、我が人衆の憂いを、そして世の擾乱の根源を断ちたいと思います」
居並ぶ好漢は、わっと歓声を挙げてインジャとムジカを祝福した。さらにムジカが言うには、
「碧水将軍は我が盟友です。これを説いてハーンに帰順させましょう」
もちろん許されて、早速百策花セイネンがオラルのもとに案内する。これを迎えたオラルはおおいに驚く。従臣どもを退出させて、二人は対面に腰を下ろす。
「超世傑……。事情はセイネン殿から聞いた」
「そうか。奇人殿が我が留守陣に向かったことも……?」
無言で頷く。それを見たムジカは真摯な顔つきで、
「ならばインジャ様の誠心は君にも通じているだろう」
「……ああ。驚いている」
そしてなぜかふっと笑って目を伏せる。しばらくの無言ののち顔を上げたオラルは、色の薄い瞳をまっすぐに向けて言った。
「君は、君の心は……?」
頷いて、
「今は定まった。ジョルチン・ハーンの狗となり、剣となり、盾となって人衆の苦難を除く」
躊躇なく言い放てば、オラルは瞠目してそれを見返す。何も言わずにいると再びムジカが口を開く。
「盟友よ、嗤うか? あれほどハーンに忠順だった私が、誰よりも先に翻意したのだからな」
「……いや」
「まあ、聴け。私はハーンには叛いたが、人衆にまで背いたつもりはない。ヤクマン部六十万の民が仰ぐに相応しい主君はトオレベ・ウルチではない。いわんや四頭豹においてをや。そう悟ったのだ」
オラルはやはり何も言わない。ムジカは続けて、
「近年、梁公主と四頭豹が政事を壟断するようになってから、ますます佞臣がのさばり、世を憂う義士はあるいは殺され、あるいは追われた。長吏バンフウ然り、赫彗星ソラ然り、ついにはハーンの子たるダマン様、イハトゥ様以下、諸王ことごとく粛清されてしまった。残ったのはあの妖婦の産んだジャンクイのみという有様だ。これがまともな部族の姿だろうか?」
その言辞は漸く熱を帯びて、
「神風将軍が先に憂慮したことが現に起こったのだ。私はずっと彼らの軽挙を戒め、自重を促してきたが、今ここに至ってやっと決心が着いた。先には手に一片の成算とてなく、智恵も思慮も足りなかったが、今はジョルチン・ハーンを知り、その下に綺羅星のごとく英傑が集っているのを見た。またその厚情にも触れた。これで感じるところがなければ、好漢を称することはできぬというものだ」
オラルはやっと応えて言うには、
「なるほど。たしかにそのとおりだ。君がそこまで考えたのなら、何も言うまい」
「では……」
すべては言わせずに答えて、
「私も義君にお仕えしよう」
ムジカとセイネンはおおいに喜んで、うち揃って宴席に戻る。三人の姿を見て、諸将はわっと歓声を挙げる。オラルは進み出て平伏すると、
「碧水将軍オラル・タイハンと申します。浅学非才の身なれど、ハーンのために身命を擲って尽くさせていただきます」
インジャは莞爾と笑うと、
「面を上げられよ。今宵二人の天下に聞こえた名将を得ることができて、これに勝る喜びはない」
早速席と酒杯を与える。諸将は代わる代わる挨拶して名乗り、新たな僚友を歓迎する。オラルの礫に敗れた癲叫子ドクトと九尾狐テムルチも、頭を掻きつつ挨拶する。ドクトが大仰に額を撫でつつ、
「とにかく痛かったぞ。もう二度と喰らいたくないわい」
「ははは、申し訳ない」
にこやかに謝すオラルに答えて、
「ま、次は軽く避けてやるがな」
周囲の好漢はどっと笑う。かくして宴の夜は更け、新たな朝が明けた。




