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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
442/783

第一一一回 ②

マルケ胸中に甲兵を有して敵営深く

オラル死地に両将を撃つも勇戦(むな)

 イレキ軍が(トイ)を払ったことは、ほどなくウリャンハタ軍の知るところとなった。衛天王カントゥカは(ハツァル)(ほころ)ばせると、


「アサン、()まったな」


「我らもあとを追いましょう。麒麟児よりも花貌豹に命じるのがよいでしょう」


「なぜだ」


「麒麟児は先の失態(アルヂアス)(テリウ)(ツォサン)が昇っております。このたびは(ブルガ)を捕捉するのが主眼ではありません。距離を保って敵の退路を(やく)する任務(アルバ)。花貌豹のほうが適しています」


 潤治卿ヒラトや渾沌郎君ボッチギンも同意したので、サチに勅命(ヂャルリク)が下る。これを聞いたシンは憤慨したが、例によってアサンが(なだ)めてやっと得心する。サチ率いるカオエン軍五千騎は悠然と動きだす。


 イレキ軍はオルグ・ヤス台地を指して、(モル)を倍する勢いで疾駆(ダブヒア)する。幕僚の一人が(アミ)を切らして言うには、


「もう少し足をお緩めください。人馬ともに疲弊(ハウタル)しております。脱落するものが出るやもしれませぬ」


 オラルは一瞥をくれると、


(アミン)を棄てたければ休むがいい。今は一刻も早くムジカと合流(ベルチル)せねばならぬ。然らずんば、いずれウリャンハタの(ガル)にかかって死ぬだろう」


 その語気に幕僚は息を呑んで口籠ると、(ニドゥ)を伏せてあたふたと謝す。オラルは再び前方を睨んで先を急ぐ。かくして一万数千騎は気息奄々(えんえん)たる有様でただただ駆け続けた。


 一日を駆け通してやっと休憩の(カラ)が下った。誰もが悲鳴を挙げつつ(ウヴス)の上に()した。オラル自身も(アクタ)を降りた瞬間、よろめきそうになったが、奥歯(アラア)を噛みしめて(こら)える。即座に夜営を命じて歩哨の輪番を定め、斥候(カラウルスン)を放つ。


 初めに任務を得た不運を嘆く兵衆を叱咤し、自ら設営を督励して回ったあと、幕舎(チャチル)に戻ってやっと腰を落ち着ける。知らぬ間にうとうとしていたところ、戸張(エウデン)に人の気配がして、はっと目が覚める。見れば幕僚の一人が立っている。


「何だ?」


族長(ノヤン)、明日は……?」


「夜明け前に出立。ハラ・アビドを一気に抜ける」


 過酷な行程に幕僚は青ざめたが、何も言えずに去る。


 オラルは寝台(オル)に横になりたい誘惑に駆られたが、首を振って外に出た。兵衆はみなぐったりと寝そべっている。テンゲリには白い(サル)がくっきりと浮かんでいる。それを見上げると感心した風に、


「月とはあんなに大きなものだったか」


 辺りは沈み込まんまで(バクタ・アルダタラ)静寂(ヌタ)。歩哨の足音、休息する兵士の荒い呼吸(アミ)だけが聞こえてくる。オラルは(にわ)かに言いようのない不安に襲われて身震いした。命、旦夕に迫る碧水将(フフ・オス)の陣だが、何ごともなく夜は()けていく。


 早朝、予告したとおり出立する。憂鬱でないものは一人とていない。結局、(セトゲル)が騒いで一睡もできなかったオラルの目の下には、色濃く疲労が表れていた。さっと(トグ)が振られて騎乗を(うなが)す。


 昨日にも勝る強行軍となった。蓄積せる疲労、大将の険しい(ヌル)、先の見えない戦況、何もかもが士気を低下させる要因となった。ハラ・アビドが視界に入る。オラルは手綱(デロア)を引いて停止を命じる。加えて言うには、


「あの(ヂュブル)を越えたら、たっぷりと休ませてやる! もう少しの辛抱だ」


 それを聞いてもわっと歓声が挙がるでもない。舌打ちしてすぐに出発を命じようとすれば、幕僚が諫めて、


「お待ちください。せめてここであと半刻の休息を……」


 かっとするとこれを叱り飛ばして、


「愚かな! 何のために急いでいると思っているのだ。ウリャンハタの追撃から逃れるためだろう。一歩遅れれば一歩分、一刻止まれば一刻分、追いつかれるのだぞ!」


「それはそうですが、もう十分に引き離したのでは……」


「麒麟児を甘く見るな。死にたければ残れ」


「…………」


 オラルが麒麟児を()る基準もやはり神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノである。もし仮に神風将の追撃から逃げるとするならば、今の行程ですらまったく十分ではない。


 だが実際にあとを追っているのは花貌豹サチである。ときどき十分な休憩を取りつつ、しかし着実に踏跡(カウルガ)を辿っていた。イレキの夜営跡を観察して、神道子ナユテに言うには、


「随分急いでいるようだ。碧水将の進軍、思ったより速い」


「麒麟児の幻影(セウデル)から逃げているのだろう」


「これではハラ・アビドに至るころには戦える状態にはないな」


「ははは、そもそも戦う(アヤラクイ)気などなかろう。碧水将の得たる情報では、こちらがハラ・アビドに伏せる兵などない」


「そうだな」


 カオエン軍はおもむろに追撃を再開する。

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