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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
438/783

第一一〇回 ②

マクベン奇人を面罵して衷心を吐き

インジャ降将に憐察して仁慈を賜う

 ふとムジカが尋ねて言うには、


「奇人殿は、今日は例のことは言わぬのだな」


 チルゲイは一瞬考える風だったが、すぐに悟って、


「ああ、義君に(くみ)せよというあれか」


 杯を(もてあそ)びつつ答えて、


「もう語るべきことは語った。これ以上、言葉(ウゲ)を費やして君を(わずら)わせることもあるまい。君は時をくれと言った。ならば時をかけて考えればよかろう。中途でいろいろ口を挟むものではない」


「……そうか」


 呟いて表情を曇らせる。チルゲイは殊更(ことさら)快活に、


「すべては天王(フルムスタ)様の配剤、私には判らぬ。命運(ヂヤー)、命運」


 そしてちらと隅に(うずくま)って(ノロウ)を見せているマクベンを見ると、


皁矮虎(そうわいこ)、そう強情(コキル)にするものではない。そんな態度では超世傑も困るだろう」


 すると(ムル)をびくりと震わせて、勢いよく立ち上がるや、


「奇人殿! お主に俺の(セトゲル)は解るまい。放っておいてもらおう!」


 場は俄かに静まりかえる。マクベンはまたふてくされて人の(ドゥグイー)に背を向ける。ムジカが青ざめて、


「お、お前は奇人殿に何ということを言うのだ。謝れ!」


 チルゲイはばつが悪そうに、珍しく激するムジカに言った。


「まあまあ、私も迂闊だった。つい昔日(エルテ・ウドゥル)のように振る舞って、皁矮虎の心情を考えなかった。悪い(モータイ)のは私だ」


「しかし、さすがに今のは非礼(ヨスグイ)極まる」


 なお怒り(アウルラアス)は治まらぬようであったが、あわてたハツチらが懸命に(なだ)めたのでやっと落ち着く。何となく気まずい空気になったので、チルゲイとセイネンはその場を辞すことにした。


 と、マクベンがまたいきなり立ち上がって、


「待て! いや(ブルウ)、待ってくれ、奇人殿」


 応じて莞爾と笑うと、また座り直して、


「何だ、皁矮虎」


 問えば、やや躊躇していたが吐き捨てるように言った。


「……本来ならば殺されてもやむをえないところ。かくも厚遇されているというのに暴言を吐いたこと、深くお詫びいたす」


「ははは、そんなことか。あれは私が悪かった」


 そう言って(テリウ)を垂れる。マクベンはずいと身を乗り出すと、


「言いたいことがある。聞いてくれるか」


 笑ってこれを制すると、


「そう(りき)まずともよいではないか。いつでも人の話は聴くものだ」


ありがたい(バヤルララ)!」


 ますます力みかえった様子で言うと、


「実は俺とてインジャの、いや(ブルウ)、インジャ様の語りた(ウグレグ)る言葉(セン・ウゲ)に感動しなかったわけではない。かねて俺は四頭豹を憎むこと誰よりも(はなは)だしい。族長(ノヤン)にも再三、兵を挙げてこれを討つよう勧めたほどだ」


「ほう!」


「俺は四頭豹を討つというのなら、すぐにでもインジャ様の幕下に加わりたい!」


 その告白には一同意表を衝かれて、(ニドゥ)を円くする。


「……だが、そうもいかぬ」


 さすがのチルゲイもすぐには言葉が出ず、一旦(シルスン)を呑み込んでから、


「理由を、訊ねてもよいかな?」


 マクベンはしばらく(うつむ)いて黙っていた。膝の上にある拳は堅く握りしめられて、小刻みに震えている。やがて小さく、思いきったように、


夫人(ウヂン)が、打虎娘が、南原に留め置かれているのだ……」


 全員が(オス)に打たれたようにはっとする。さらに言うには、


「打虎娘が四頭豹の手中にあるかぎり、我らは決断できぬ。何も言わぬが族長(ノヤン)こそが最も憂えているはずだ」


 みなの視線がムジカに集まる。受けて渇いた(オロウル)を舐めると言うには、


「たしかに打虎娘のことは気になる。だが(エメ)を残してきたのは私だけではない。兵衆の家族(ゲルブル)家畜(アドオスン)、すべてが(ウリダ)にある。気に病むとすればまさにそのことだ」


 チルゲイたちは少なからず衝撃を受けて、返す言葉もない。さらにオンヌクドが言った。


「打虎娘は族長(ノヤン)(クウ)を宿している。ゆえに(ソオル)には加わらなかったのだ……」


「子を……」


 思わず呟いたのはハツチ。マクベンは目に涙をいっぱいに浮かべると、


「四頭豹に留守(アウルグ)を押さえられている間は我らは何もできぬのだ。奇人殿、我らの苦衷(ガスラン)、察してくれ!」


 あまりのことに何も答えることができない。ムジカらも目を閉じて黙っている。マクベン独りがついに(ダウン)を挙げて号泣する。しばらく経って、チルゲイはムジカの肩をがっと(つか)むと、


よし(ヂェー)事情(アブリ)は解った。打虎娘のこと、何とかしようではないか」

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