第一一〇回 ②
マクベン奇人を面罵して衷心を吐き
インジャ降将に憐察して仁慈を賜う
ふとムジカが尋ねて言うには、
「奇人殿は、今日は例のことは言わぬのだな」
チルゲイは一瞬考える風だったが、すぐに悟って、
「ああ、義君に与せよというあれか」
杯を弄びつつ答えて、
「もう語るべきことは語った。これ以上、言葉を費やして君を煩わせることもあるまい。君は時をくれと言った。ならば時をかけて考えればよかろう。中途でいろいろ口を挟むものではない」
「……そうか」
呟いて表情を曇らせる。チルゲイは殊更快活に、
「すべては天王様の配剤、私には判らぬ。命運、命運」
そしてちらと隅に蹲って背を見せているマクベンを見ると、
「皁矮虎、そう強情にするものではない。そんな態度では超世傑も困るだろう」
すると肩をびくりと震わせて、勢いよく立ち上がるや、
「奇人殿! お主に俺の心は解るまい。放っておいてもらおう!」
場は俄かに静まりかえる。マクベンはまたふてくされて人の輪に背を向ける。ムジカが青ざめて、
「お、お前は奇人殿に何ということを言うのだ。謝れ!」
チルゲイはばつが悪そうに、珍しく激するムジカに言った。
「まあまあ、私も迂闊だった。つい昔日のように振る舞って、皁矮虎の心情を考えなかった。悪いのは私だ」
「しかし、さすがに今のは非礼極まる」
なお怒りは治まらぬようであったが、あわてたハツチらが懸命に宥めたのでやっと落ち着く。何となく気まずい空気になったので、チルゲイとセイネンはその場を辞すことにした。
と、マクベンがまたいきなり立ち上がって、
「待て! いや、待ってくれ、奇人殿」
応じて莞爾と笑うと、また座り直して、
「何だ、皁矮虎」
問えば、やや躊躇していたが吐き捨てるように言った。
「……本来ならば殺されてもやむをえないところ。かくも厚遇されているというのに暴言を吐いたこと、深くお詫びいたす」
「ははは、そんなことか。あれは私が悪かった」
そう言って頭を垂れる。マクベンはずいと身を乗り出すと、
「言いたいことがある。聞いてくれるか」
笑ってこれを制すると、
「そう力まずともよいではないか。いつでも人の話は聴くものだ」
「ありがたい!」
ますます力みかえった様子で言うと、
「実は俺とてインジャの、いや、インジャ様の語りたる言葉に感動しなかったわけではない。かねて俺は四頭豹を憎むこと誰よりも甚だしい。族長にも再三、兵を挙げてこれを討つよう勧めたほどだ」
「ほう!」
「俺は四頭豹を討つというのなら、すぐにでもインジャ様の幕下に加わりたい!」
その告白には一同意表を衝かれて、目を円くする。
「……だが、そうもいかぬ」
さすがのチルゲイもすぐには言葉が出ず、一旦唾を呑み込んでから、
「理由を、訊ねてもよいかな?」
マクベンはしばらく俯いて黙っていた。膝の上にある拳は堅く握りしめられて、小刻みに震えている。やがて小さく、思いきったように、
「夫人が、打虎娘が、南原に留め置かれているのだ……」
全員が水に打たれたようにはっとする。さらに言うには、
「打虎娘が四頭豹の手中にあるかぎり、我らは決断できぬ。何も言わぬが族長こそが最も憂えているはずだ」
みなの視線がムジカに集まる。受けて渇いた唇を舐めると言うには、
「たしかに打虎娘のことは気になる。だが妻を残してきたのは私だけではない。兵衆の家族、家畜、すべてが南にある。気に病むとすればまさにそのことだ」
チルゲイたちは少なからず衝撃を受けて、返す言葉もない。さらにオンヌクドが言った。
「打虎娘は族長の子を宿している。ゆえに戦には加わらなかったのだ……」
「子を……」
思わず呟いたのはハツチ。マクベンは目に涙をいっぱいに浮かべると、
「四頭豹に留守を押さえられている間は我らは何もできぬのだ。奇人殿、我らの苦衷、察してくれ!」
あまりのことに何も答えることができない。ムジカらも目を閉じて黙っている。マクベン独りがついに声を挙げて号泣する。しばらく経って、チルゲイはムジカの肩をがっと拏むと、
「よし、事情は解った。打虎娘のこと、何とかしようではないか」